262話 街に出て



 昨日の夜朔夜さんに言われた通り、朝になって街へ出た。彼女曰く、街道の人形屋の右の道を少し進んだところで何かいいことがあるらしい。


「なんなんだろう……」


 何があるのかを彼女に何度か聞いてみたが、ニコニコしながら「それはお楽しみどす」と言われるだけだった。


 疑問に感じつつ若干ドキドキ鳴る胸を押さえて道を進んだ。太陽が登って少し時間が経っていることもあり、街の人たちがかなり道に出ている。


 そんな中人形屋を見つけて、右の道を少し進んだところで立ち止まった。


「……!」


 道の両側にはしばらくは建物が続いているが、その先には田んぼが見える。朔夜さんの神社がある山の前は田んぼが広がっていたが、位置的に多分その田んぼだ。

 たしか、まだ稲が植えられている田んぼと植えられていない田んぼがあったはず。


 そういえば、稲ってどうやって植えてるんだろう? 機械で植えるって聞いたことあるけど、ここには機械なんてないだろうし……やっぱり手なのかな?


 特にする事もなく、ぼーっとしながらそんな事を考える。


「……“いい事”ってどんな事なんだろ……」


 いつ起きるのか分からないそれを待つ。空を見上げると、真っ青な背景に真っ白な雲。ただ、雲の流れが昨日より少し早い。上空は風強いらしい、まだ肌に当たる風は微風程度だがこれから強くなるかもしれない。


「……あ」


 そんな時だった。街道の方から足音が近づいてきたと思えば聞き覚えのある声がした。

 空から視線をそちらへ向けると、親しくなった少女が立っている。


「……あれ、こたつちゃん?」

「かいと、こんな所で何してる?」


 立っていたのこたつちゃんだった。ただ、いまの彼女は赤い着物ではなく動きやすそうな甚兵衛っぽい服を着ている。

 そんな彼女に、以前と変わらない抑揚のない淡々とした口調で問いただされた。


「ぁ、いや……えっとね」


 なんて説明しようかな……。


「ひ、暇だったから……こっち側には来たことないなって……」

「……そう、暇だったんだ」


 彼女は表情一つ変えないが納得したようだ。内心胸を撫で下ろす。


「今、暇って言った。これから予定はない?」

「え、うん……特に無いけど……」

「そう。もし良かったら、一緒に来る?」


 突然の誘いに一瞬迷う。だけど、もしかしたら朔夜さんの言っていた“いい事”ってこれの事かもしれない。

 そう思い、彼女に返事をする。


「うん。一緒に行くよ」

「分かった。ついて来て」

「うん。で、でもどこに行くの?」

「手伝い。今からあっちの田んぼに行く」

「田んぼ?」


 あ、もしかしてあの田んぼに行くからこの道に来たのかな。


「今、田植えの時期。だから手伝いも田植え」

「あ、そうなんだ」

「うん、もし嫌なら別にいい」

「ううん、嫌じゃないよ。ついていってもいい?」

「もちろん」


 そう答えた彼女の声はほんの少しだけ明るかった気がした。

 そんな彼女の後に続いて田んぼへ向かう。


 田植えのお手伝いか……そういえば、前に孤児院で将来のためにいろんな所でお手伝いしてるって言ってたっけ? きっとこれもそうなんだろうなぁ。


 それに、ちょうど田植えのやり方が気になっていた所だし、楽しみだ。


 建物が無くなり、田んぼが広がっている場所まで来た。すぐ横の小川に50代くらいに見える夫婦が座っている。建物の影で見えなかったから気がつかなかった。


「田川さん、おはようございます」

「ああ、こたつちゃん。おはよう」

「おはよう、今日もよろしく頼むわよ」

「はい」


 相変わらず表情一つ変えないが、夫婦は笑顔で彼女を迎えている。

 その様子を俺は少し後ろから見ていた。そんな俺に女性が気づく。


「あら、おはよう。何か用かしら?」

「ぁ、えと……おはようございます……」


 とりあえず挨拶は返したが、どう言えばいいのか分からない。

 オロオロしているとこたつちゃんが口を開いた。


「最近この街に来た子。暇らしいから連れて来た」

「あら、そうなの」

「うん、かいとも一緒にやってもいい?」


 すると、男性が立ち上がりこっちに近づいてくる。筋骨隆々とまではいかないが、肉付きのよく大きな体に威圧感を感じてしまった。


 男性は目の前まで来ると、しゃがみ込み目線を合わせてくる。その顔は威圧感を感じた時とは真逆の印象の笑顔だった。


「君の名前は?」

「か、かいとです……」

「次郎さん、今こたつちゃんが言っていたじゃないですか」

「ん? まぁそうだが、やはり始めの自己紹介は自分でせんとな。ははは」


 彼は笑うと大きな手で俺の頭を強めに撫でる。3往復くらいだったが、それだけで髪がボサボサになってしまった。


「にしても、かいと君か? 聞いた事のない名前だな」

「ぁ、えっと……」

「次郎さん、あまり子供を困らせる事を言ってはいけませんよ」

「ああ、すまんな。俺は次郎で、あっちは妻の沙代さよだ」

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