212話 あの女の子
八百屋の幸恵に、街について聞いていたカイト。そんな彼の目の前に、1人の少女が現れた。
「……あ、いた」
抑揚のない声で呟く少女。
髪には、梅の花のガラス細工が施された髪飾りが付いていた。
前髪はおでこで切り揃えられ、横の髪は顎の長さで切り揃えられている。そして、後ろ髪は腰までの長さ。その色は漆のように黒い。
身長はカイトより若干低く130センチ弱ほど。
赤を基調とした和服には、派手な装飾はなくシンプルな梅の花がいくつか裁縫されている。
しかし、そんな明るい赤色とは相対的に、少女の表情は無表情であった。
カイトと目があってもその眉が動く事はなく、ジトッとした目で彼を見つめている。だが、その目は不機嫌を表しているわけではなさそうだ。
まるで普段から常に無表情なのではないのか。そんな印象を持たせるほど、彼女の表情は動かなかった。
カイトと少女の視線が合わさり、2人とも動かなくなってしまっている。
カイトに関しては言うまでもないが、恐怖、焦りなど様々な感情から体が言うこと聞いてくれないようだ。ふるふると体を震わせている。
それに対し、少女は無表情故になぜ動かないかは不明だ。
「……なんだい? あんたら知り合いだったのかい?」
静寂を破ったのは幸恵。カイトと少女の顔を交互に見ながら誰にともなく聞いた。
先に口を開いたのは少女だった。
「……知り合い、じゃない。でも、知ってる子」
抑揚のない返事。それを皮切りに少女がカイトへ詰め寄る。
「……君と、話がしたい」
「……っ……!?」
少女はカイトのすぐ前へ移動すると、その小さな手を伸ばして彼へ差し出した。しかし、相変わらずその表情は変わっていない。
それが、カイトの恐怖心をさらに煽った。
無表情故に、その心理が分からない。もしかすると、内心ではなにか企んでいるのかもしれない。
……と、このような少女に対して普通は考えない事だろう。
だが、今のカイトの心理状態ではそう考えてしまうのも、無理はなかった。
「……かいと? どうしたんだい?」
少女に話しかけられても震えるだけのカイトに、幸恵が心配そうにしている。
「……! かいとって、いうの?」
幸恵の発言から、少女はカイトの名前を察したらしい。
それがカイトにとってスイッチとなった。
「っ……!!」
体が勝手に動く。少女のすぐ横、そして幸恵の脇を走り抜け、街道へ飛び出した。
「ちょっ!? なんだいなんだい!?」
「……! 待って」
そんなカイトを目の当たりにし、驚きの声を上げる幸恵と、まるで驚いているようには思えない声色の少女。
その2人には目もくれず、あてもなく街道を走り続けるカイト。その行動に深い意味はなく、ただただあの状況から逃げ出したかっただけだ。
街の住民が不思議そうな視線をカイトへ向ける。しかし、彼はそんなことに脇目も振らずに走った。
「はぁ……はぁ……」
しばらく走ったカイトがふと後ろを振り返った。彼の目に少し離れた所にいる少女の姿が映る。
彼女はカイトへ向かって走っていた。
「ひっ……」
反射的に前を向き、再び走り出すカイト。
どれほど走ったか。彼を取り巻く景色は、いつの間にか家々が連なる街から緑が鬱蒼と生茂る森へと変わっていた。
「……あ、あれ……?」
ハッとし、辺りを見渡す。見覚えのない景色にようやくカイトは我に返った。
昼頃だというのに薄暗い森は、どんよりと不気味な雰囲気を醸し出している。
森が薄暗い要因は空にもあった。朝には晴れていた空が、すっかりと雲で覆われている。
「そういえば……」
店を飛び出す直前に、幸恵が“雲行きが怪しい”と言っていた事を思い出した。
彼女の言葉が正しければ、もうすぐ雨が降るだろう。気温も少し下がって来たように感じる。
「ぁ……降って来た……」
ポツポツという音が聞こえ始めたと思えば、あっという間に土砂降りへと変わってしまった。
想像の数倍の勢いの雨に、カイトは慌てて木の下へ避難した。しかし、雨量が多すぎてとてもではないが凌ぐことができない。
ザーザーと強烈な音しか耳には届かず、足元は跳ねた泥ですでに汚れている。
文字通り滝のような雨で、すっかりカイトの体は水に浸かったようにずぶ濡れとなってしまった。
「あ、雨具……ぁ……」
これ以上体が濡れないようにと、空間魔法の収納部屋から雨具を出そうとしたが、その手がピタリと止まる。
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