145話 コウの過去 8
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けぶったような淡い朝の光が、部屋の中へ入ってくる。功はその光に照らされ、目を覚ました。
この時、目の前で寝息を立てている美音みふねに、17歳健全男子の彼が驚いたことは、もはや言うまでもない。
「食べ終わったかのう。では、手を合わせて」
朝食を食べ終わった功と美音の茶碗を確認し、総一郎が指示を出す。
その指示に合わせて、美音は手を合わせて目を閉じた。功もそれを真似る。食事を取る前にも同じ行動をしたのを思い出す。
どうやら、これがここでの食事の挨拶のようだ。
しかし、声に出さずに挨拶をすることは、現代日本とは違う。それが、功の『ここは本当に日本なのか』と言う疑問を加速させた。
いつまでも悩むだけではダメだろう。そこで、行動に移すことにした。
「あの……総一郎さん」
「む、なんじゃ?」
「今日、外に行く予定があったらでいいので、良ければ俺も連れて行ってくれませんか?」
この家から出て、実際に周りを取り囲む環境をこの目で見る。そうすれば、悩みも少しは進展するはずだ。
「ふむ、今日は夕餉の買い出しと、道場へ顔を出す予定じゃ。それで良いのであれば、共に来るかの?」
「はい、お願いします」
「相分かった。外の空気を吸うことも大切じゃからな」
そんな会話をしていると、ふと美音の表情が気になった。なにやら、少し寂しそうな顔をしている。
「美音ちゃん? どうかした?」
「あ……ううん。なんでもないよ」
美音は首を振ってはぐらかす。そんな彼女へ、功は訊いた。
「……一緒に来る?」
「……っ」
その瞬間、表情が固まる美音。すぐに、無理に作ったような笑顔を見せ、言った。
「大丈夫だよ。あたしはお留守番してるから、2人で行ってきてね」
そう言うなり、美音は別の部屋へ行ってしまった。その場に、功と総一郎、そして彼女のお膳だけが残される。
「功君、すまないのう……ちいとばかし、美音には色々あってな」
「あ……その、すいません……」
そういえば、茶髪は『怪憑き』と呼ばれ、迫害されているんだったか。そんなことが脳裏によぎるが、すでに後の祭りだった。
「……さて、支度を整えるとするかの。あの子はよく留守番を任せているから、大丈夫じゃよ」
「……はい」
どこかへ行ってしまった美音が気になるが、今はどうしようもないだろう。
「……では、行ってくるからの。昼前にはもどるぞ」
「うん、行ってらっしゃい。功君も」
「……う、うん。行ってきます」
刀を腰に携えた総一郎と、新しい和服を貰った功が居る。
玄関口で貰った草履を履いて、挨拶をした。
幸い、美音はすぐにいつも通りの雰囲気で戻ってきた。そんな彼女へ軽く手を振り、外へ出る。
外に出てみて初めて気が付いたのだが、今までいた建物は、とても立派なお屋敷だった。
玄関を出て目に入るのは立派な門。その門へ、綺麗に敷き詰められた石畳が続く。その石畳の道の両脇に生える松も、雰囲気とマッチしてとても良い。
「ほっほ、そんなに熱心に首を振らんでも、景色は逃げないぞ?」
「は、はい……なんだか、すごく豪華な庭ですね」
「そうじゃろうそうじゃろう。なにせ数日に1度、一流の庭師に庭全ての木々の剪定を任せているからのう」
門を出ると、目の前に長い下りの階段が見えた。どうやら、それなりに高い位置にこのお屋敷はあるようだ。
ふと、とあることが脳裏によぎる。
……あれだけの立派な庭を保つのは、相当お金がかかるのではないか? 事実、一流の庭師を数日おきにと言っていた。
昨日の美音の話からは、色々な情報を得ることができた。その内容は、主に総一郎に関してだが。
その情報からすれば、彼はとんでもない人だった。
まず、彼の本職は『刀匠』だ。それも、国のお偉いさん、“お上”と呼ばれる人達から造刀の依頼が頻繁にくるほどだと言う。
なんとなくだが、あんな立派な家に住んでいたのもうなずける。
それと同時に、領主でもあると言う。ここら一帯の街は、彼の領地だそうだ。
他にも孤児院など、様々な設備を私財で建てたらしい。
その中でも、最も多くの人が出入りするのが『道場』だそうだ。だが、柔道とか空手とかでは無いらしい。
たしか……せ、せんじ……なんだっけ……。
聞いたことのない単語だった故に、功はそれを忘れていた。
総一郎を見上げてみる。
白髪まじりの頭。正直、彼が自己紹介の時に言っていた“じじい”と言うのも、当てはまらないこともない。
「ほっほ、わしばかりではなく、自慢の街を見て貰えるかのう」
「あっ……わ、分かりました」
階段を下りながら、目線を彼から前方に広がる景色へ向けた。
「わ……」
その光景に心奪われた。
広く、青い空がどこまでも続き、遠くではその青を背に緑の山々がどこまでも連なっている。
眼下に広がるのは、古風な家が1列に建てられている街並み。中学生の時に修学旅行で赴いた、古き良き日本を感じさせる京都と同じ印象を受ける光景。
米粒のようにしか見えない人々の会話が、すぐ近くから聞こえるような臨場感を感じるほど、一目で活気に溢れていることが伝わる。
そんな街並みの中で、あちこちに生えているものの、その全てが自らの存在を主張しているのが“桜”だった。
風に揺れた木から出る桜吹雪が、街を桜色に染め上げている。
違うのは、見える範囲で現代日本を思わせる物が、なに1つとして無いこと。
空を遮るビルもなければ、電柱、道路すらも無い。京都にあったような人力車が、あちこちに見えるが、“車”らしき物は遠くを見渡しても見えない。
まるで、本当に現代技術が存在しない世界に……江戸時代に迷い込んだような心境。
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