139話 コウの過去 2



 これは、死ぬ前に見る悪い夢だ。



 一体なぜこんな苦しい夢を見るのか。なんとなくだが、分かっていた。

 きっと、見殺しにした妹が怒っているのだ。


 それも当然の事だろう。自分でそれほどまでのことをした自覚はある。そして、それから逃れようとも思わない。


 だが、自分は恐怖心に負け、先ほど逃げ出してしまった。あれが、自分への報復措置だったとしたら……。


「百合ゆり……ごめんな……」


 そう呟くと、自然にまぶたが閉じた。

 また森の中で目が覚めるのか……それとも、今度こそ死ねるのか。

 ……いや、これが夢なら、死ぬという表現は違うか……。


 とにかく、妹の怒りが収まるならそれで……。


「……ぃ……っち……」


 ふと、遠くの方から声が聞こえた気がした。

 しかし、それにコウはあまり反応をしなかった。目を閉じたまま、ぼんやりとその声に耳を傾ける。


「……こっち……よ!」


 その声は、次第に近づいてきているような気がした。


 夢に人がいる? ……それは別におかしくはないか……。


「あ! 居たよほら!」

「なんと……本当じゃったか」


 遠くから聞こえていたはずの声が、目の前から聞こえた。


 居た……? なにが居たんだ……?

 疑問に思い、うっすらと目を開けてみる。


「あ! 目、開けたよ!」

「……!」


 そこにはコウよりも一回りほど小さい少女が、しゃがみ込んで様子を伺っていた。


「君、大丈夫かのう? 一体なにがあったんじゃ?」


 近くから男性の声も聞こえる。目を向けると中年ほどの男性も様子を伺っていた。


「……ぅ……」


 返事をしようにも、上手く声が出せない。体にも力が入らず、腕すら上げられない。


「ねぇおじいちゃん……」

「そうじゃな、家へ連れて帰ろう。怪我も治療してやらんとな」


 そう聞こえると同時に、持ち上げられる。


「もう少し辛抱してくれ。必ず助けてやるからのう」

「家に着くまで頑張ってね!」


 それに……なぜこの2人は自分を心配している? これは、夢ではないのか? なぜ自分を助けようとする?


 そんな疑問を持ちつつも、孤独な状態から人に出会えた安心感から男性に抱えられたまま眠ってしまった。



 ……。


『……お兄ちゃん』


 どこからか声がする。


『ほら、お兄ちゃん起きてよ』


 人のような輪郭の影が、こちらへ近づいてきた。



『この世界でも、会えるかな』



 え……百合……!? 


「……っ!!」


 突然、目が覚めた。

 目に映るのは知らない木造の天井。


「はっ……はっ……」


 激しい動悸、額から流れる冷や汗、身を包む温もり。

 目を覚ましたコウは、知らない部屋の中で布団に寝かされていた。


 体をゆっくりと起こし、辺りを見渡す。

 畳、障子に襖……、コウが居たのは、書院造りの部屋だった。


「……和室……?」


 見覚えのない部屋に、困惑する。

 なぜ自分はここに居る? 最後の記憶は……たしか、女の子と中年男性の姿を見た。


 ならば、ここには彼らに連れてこられたのか?


「……ぇ……」


 部屋の中を見渡している時、鏡台が目に入った。細長い鏡に、見慣れない和服を着て、下半身を布団に潜らせた1人の幼い少年が映っている。見た目から10歳ほどだろうか。

 その少年は、鏡の中から自分を見つめていた。


 周囲には、当然誰もいない。


 それが結びつける現実を信じることができず、その鏡へ四つん這いのまま近づいた。


「な……んで……」


 鏡の前に立ち、鏡に映るのは当然自分。

 しかし、まだその現実を受け入れることが出来ない。恐る恐る手を右頬に当て、引っ張って見た。

 当然鏡に映った少年も、頬を引っ張る。


 そして、その幼い姿には見覚えがあった。

 亡くなった両親が、残してくれた遺品の中にあったアルバム。その中の幼少期の自分を写した写真。


 鏡に映る姿は、まさにそれだ。


「……こど……も……に……?」


 鏡に映ったその姿は、幼い頃の自分だった。


 体が幼少期に戻った。


 そんな、今まで以上に非現実的なことに、コウの思考は停止する。

 だが、その停止した思考はすぐに動き出し、別のことへと向けられた。


「ほっほ、やはりその鏡とやらは珍しいかのう?」


 閉じていた障子はいつの間にか開き、そこには和服に身を包んだ、見覚えのある中年の男性が立っていた。

 いくら鏡に意識が向いていたとは言え、ここまで気がつかないものかと、コウは思った。


「あ……えっと……」

「体の具合はどうじゃ? 痛むところはないかのう?」


 言われてから気がついたが、身体中包帯だらけだ。特に、裸足で酷使した足は肌が見えないほどの包帯が巻かれている。


「あの……大丈夫です」

「そうかそうか。ほれ、粥でも食べんか? 腹も減ったじゃろうて」


 男性の手には、湯気をゆらゆらと上げる手持ちサイズの鍋とお碗を乗せたお盆が握られている。


「ほれ。子供は食べんと成長できんぞ?」

「あ……はい。いただきます……」


 異常な事態ではあるが、空腹は感じる。心を落ち着かせるためにも、コウはお言葉に甘えることにした。

 お盆を受け取り、膝の上に置く。湯気を上げる粥が、とても美味しそうに見えた。


 ただ、食べ方が分からない。なにせ、鍋の横に置かれていたのが箸だったから。

 記憶が正しければ、お粥はスプーンの方が食べやすいはず。そもそも、水分の多いお粥に箸は向かないだろう。


「あの……すいません。スプーンをもらっても……」

「……はて、すぷーんとはなにかのう?」

「……え……?」


 スプーンを知らない? 割と、常識な気もするが……。


「ふむ、食べ方が分からんのか? ちょっと待っておれ」


 男性はそう言うと、お椀に少しお粥を移してくれた。これなら、箸でもお椀に口をつければ食べられそうだ。


「……ほれ、ゆっくり食べるんじゃぞ」

「あ、ありがとうございます……」

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