138話 コウの過去 1
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唯一の心の支えだった、妹が死んだ。
そんな現実を受け止め切ることが出来ず、多くの花や飲み物が供えられている電柱元を見つめている。
あの時……妹がトラックに轢かれた時。
自分はトラックの挙動がおかしいことに、気がついていた。このままだと、こっちに突っ込んでくるかも知れない。そう思っていた。
だが、体は動かなかった。
結果、妹は目の前で轢かれた。
どうして、体は動かなかった? どうして、呼び止める一言すら言えなかった? どうして、自分ではなく妹が?
どうして……。
後悔や自分を怨む感情は延々と湧き出す。しかし、どれだけ自分を呪おうと、妹が帰ってくることは当然ない。
「俺が……死ねばよかったんだ……」
そんなことが、無意識に口から漏れる。
その時だった。
ふと顔を上げると、赤信号機を無視したトラックが目に入る。デジャブを感じた。
そのトラックは挙動がおかしい。昨日の光景を見ているようだ。
そして、いきなり進路を変え、こちらへ突っ込んできたのだ。
体を動かそうとは思わなかった。
このままでは轢かれてしまうのは明白。すぐに動けば、避けられる。
でも、そうしたいとは思わない。
トラックが目の前まで迫る。全てがスローモーションに見えた。
一瞬だけ……妹の姿が見えたような気がした。
暗闇の中で意識が戻った。それと同時に不思議な感覚を覚える。
しかし、微かな痛みを感じてその感覚は痛覚の影へ。その痛みは次第に大きくなっていった。
「っ! ああ!!」
痛みに耐えかね、声を上げた。それと同時に、視界が広がる。
「……え?」
目の前に広がるのは薄暗い森。四方八方木々に囲まれている。頭上を覆う枝や葉の隙間から降る雨が、死んであるはずのない肌を濡らす。
ただの布と言っても過言ではないぼろぼろの服。それ以外はなにも身につけていない。
しかし、唯一の救いだったのは、あまりに突然の出来事に理解が追いつかず、無意識のうちに『行動をしよう』と思えたことだ。
右も左も分からない。目的地などない。
ただ、雨が降り続ける薄暗い森の中を彷徨い続けた。
2日後、朝。
コウはまだ森の中にいた。目が覚めた時と違う点で言えば、川を見つけたこと。
夜の間、ずっとその川を伝って歩いていた。
しかし、飲み水は確保できたものの、食糧は確保できていない。
空腹は限界。足取りもかなり重いものとなっている。声すらも上手く出せなくなっていた。
全身草木による切り傷だらけ。裸足で歩き続けた結果、足は赤黒くなって鈍い痛みを発している。
「いつまで続くんだ……?」
当然、川や道のりに向けた言葉ではない。
この……今まさに“見ている”これ……。
突然、川の方から水を弾く音が聞こえた。
「え……?」
反射的にそちらへ目を向ける。
そこには、なにか皿のような物が川に浮かんでいた。しかし、その皿は流れに逆らい、その場に止まって一方的な波紋を作っている。
何かと思い、凝視する。すると、その皿が浮かび上がった。
いや、その皿の下には竹ぼうきのような黒い髪があり、その隙間から小さく丸い……しかし恐ろしい目がこちらを見つめている。
そして、それが1つだけでないことに気がついた。
いつの間にか最初に見つけた皿の周囲に、10個ほど同じ物があった。
それらは、波紋を作りながらこちらへと近づいて来ている。
本能的に身の危険を感じる。
集団の先頭にいた皿が、突然川の中から飛び出して来た。緑色の影が、まっすぐこちらへ飛びかかってくる。
「うっうわぁ!!」
とっさに横に飛び退く。先ほどまでいた場所に、その皿の持ち主の全貌が見えた。
頭に皿、醜悪な顔面、6〜70センチメートル程の体躯、嫌悪感を抱くほどに骨が浮き出た緑色の肌、クチバシ、背には甲羅……。
「か……河童……?」
その皿の持ち主は、日本に古くから言い伝えられている“妖怪”……河童の特徴と一致している。
他の河童らしき生物たちも、わらわらと川から上がって来た。その人間とはかけ離れた瞳を持つ目は、とてもではないが友好的には見えない。
コウは恐怖心に負け、踵を返して走り出した。背後からは、背筋も凍るような鳴き声が小さくなることも遠のくことも無く聞こえてくる。
「あああ!!!」
あまりに非現実的な、そして恐ろしい状況に、助けを求める意を込めて叫ぶ。しかし、当然誰も助けてくれなどしない。
妖怪なんていない。全てフィクションだ。
現代社会ではそう思う者が大半だろう。しかしその中には、実際にいたら良いのに、と思う者もいる。
コウも、そう思ったことがないと言えば嘘になる。
だが、今目の当たりにし、感じたのは感動でも好奇心でもなく、強い恐怖心だけだった。
たとえあれが、見間違いだろうと幻覚だろうと……感じるのは恐怖心だけだろう。
……どれだけ走ったか。
ついに足から力が抜け、その場に転んでしまった。ガクガクと震える足では立てそうにない。
振り返り、確かめると河童のような生物の姿はどこにもなかった。
なんとか這って移動し、1番近くにあった木の根本に寄り掛かる。
「はっ……はっ……」
この2日間森を彷徨い続けて……そして、先ほどの恐怖体験を経て、1つ分かったことがある。
これは、死ぬ前に見る悪い夢だ。
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