番外編 2 カイトの人生



しかし、エアリスとグレイスはカイトに無理矢理家を継がせる気など、微塵も無いのだ。


 彼は幼い時に大人の勝手な行動で人生を奪われ、無責任にも捨てられた。


 彼は“魔力付与人型兵器”としての儀式を受けた時のことを、話そうとはしなかった。

 だが、今より体が幼かった時に、無理矢理膨大な魔力を体に押し込まれたのだ。

 例えそれが失敗であろうと、想像出来ないほどの苦痛を感じたに違いない。



 彼は9年間と言う短い人生で、一生分の苦しみを味わった。

 2人はそう考えていた。



 望みはカイトに自由な人生を歩んで貰う事。彼が望む様に生きてもらう事だった。

 それ故に、彼が彼の人生をどう生きようと口出しをしないつもりだ。


 しかし、当然“親”の立場として、我が子に真っ当に生きて欲しいのは当然の思い。


「……あの子がその道を選ばない事を願おう」

「……」


 カイトがその様な道を選ぶなど、考えたくもない。

 しかし、悪人とは言え彼が人を手にかけたのも事実。彼は“敵”であれば簡単に命を奪える人格の持ち主と言う事。


「いいえ、願うだけじゃダメよ。あの子がそうならないように、私達がしっかりしないと」


 エアリスが真剣な表情で訴える。それに対し、グレイスもハッとした。


「……確かにその通りだ。すまない」

「いえ……でも、どう教育していけばいいのかしら……」


 グレイスの手がエアリスの肩へ置かれた。


「難しい問題だが、幸い今のあの子は良い子で、悪さをしたりしないだろう。焦って無理に考える事はない。じっくり時間をかけて2人で考えようじゃないか」

「……そうね。無理に焦る必要はないわね」


 その日、夜遅くまでグローラット家の部屋の明かりが消えることはなかった。



 数日後、カイトが高熱を出し倒れた。

 幸い、重い病気などではなく単なる風邪だと判明。熱が引くまで安静にしている事となった。


 この時、カイトは風邪を引いた事は1度だけだから心配は要らないと、主張していた。


 しかし、厳密に言えばカイトは何度も風邪を引いた事がある。

 逆に言えば、常時不衛生な環境下に置かれていた上、栄養状態も良くなかった1度目と2度目の人生で、1度しか体調を崩した事がないなどあり得ない。


 しかし、“病気や風邪”の苦痛は、“日常的”な苦痛にかき消されてしまっていた。

 つまり、カイトは“風邪を引いた事がない”と言う訳ではなく、『風邪を引いた事に気がついていなかった』だけなのだ。



 仕事を終えたエアリスが、カイトの部屋へと向かう。

 出来る限り早くカイトの元へと向かうために、仕事はほとんどグレイスが代わってくれた。

 どうしてもやらなければならない仕事をしている時は、ティカが代わりに看病をしていた。


 足早に彼の部屋へ着くと、エアリスは静かにドアを開ける。


「……エアリス様ですか」


 そこには苦しそうな表情をしているカイトの額に、濡れタオルを乗せるティカの姿があった。


「……その子の様子は?」

「だいぶ落ち着かれました。カイト様のポーションが効いた様です」


 エアリスとティカは、以前カイトから受け取ったポーションを彼に飲ませていた。

 その効果で病状は良くなったものの、“解熱”の効果を持つものは無く、今は熱が引くのをひたすら待つ状況だ。


「……分かったわ。ティカは休んで、後は私が看病するわ」

「分かりました……エアリス様」

「……何かしら?」


 ティカがエアリスに耳打ちをする。


「カイト様はずっと、エアリス様を呼んでおられました」

「……!」

「……手を握るなどして、少しでも安心させてあげてください」

「……分かったわ。ありがとう」


 部屋からティカが出て行き、ベッドにいるカイトとエアリスだけになった。

 エアリスの耳に届くのは、カイトの苦しそうな息遣いだけ。


「……ごめんね。気がつけなくって……」


 カイトが風邪で倒れたのは、様々な出来事が連日のように起きた事による、疲労が原因だ。

 エアリスは、その疲労に気づけなかった事に罪悪感を感じていた。


 ただ延々と、カイトの荒い息遣いだけが聞こえる部屋の中。エアリスは彼の小さな手を握り、額のタオルを替え続けた。


 夜遅くになっても、彼女達のいる部屋の明かりは付いている。

 エアリスは数時間経った深夜でも、カイトの看病をしていた。


「……熱が引かないわ……」


 しかし、エアリスの看病のかいは無く、カイトの病状は変わっていない。


「……」


 エアリスの頭の中が不安に覆われていく。もし、このまま更に悪化したら……そんな事を考えてしまう。


「……!」


 不意に、自分の手を握り返される感触を感じとる。


「カイト……!」


 カイトがうっすらと目を開けていた。その目は虚ろで天井を見つめている。


「お……母……さん……?」

「……! ……カイト、目が覚めたの?」


 声をかけられたカイトは、ゆっくりと顔を向けた。


「ぁ……ぅ……」

「どうしたの? どこか痛いの?」


 自分の事を悲しそうに見つめるカイトに、エアリスはそう声をかける。


「ぁ……ぁ……おか……あさん」


 次第にその表情は、恐怖心を感じさせるものへと変わっていった。

 目からは涙が浮かび、口元は震えている。


「っ!? ど、どうしたの!?」


 声をかけられても、ビクリと反応するだけだ。


「……ご、ごめんなさい……」

「え……?」


 突然の謝罪に困惑した。


「僕……ぼ、僕……迷惑……かけて……ごめんなさい……」

「そ、そんな……迷惑だなんて、思ってないわよ?」


 否定しても、彼は泣きながら首を横に振ってしまう。

 そして、体を起こしエアリスにすがる態勢をとった。


「僕……ひ……独りに、なって……グスッ……ずっと……ずっと寂しかった……怖かった……」

「……っ」


 この時、カイトは意識が混濁しており、『1度目の人生の父親に捨てられた』時の自分の感情を訴えていた。

 だが、そんな事を知る由も無いエアリスが、『5年前の森に捨てられた頃の事』だと思い込むのは当然だった。


「ずっと……迎えにきて、くれるの……待ってたのに……」

「カ……カイト……」


 ボロボロと流れる涙を、片手でぐしぐしと拭いとる。だが、拭ったそばから新たな涙が流れている。


「ほ、ほんどは、分かってた……捨てられだってぇ……」

「……えっ!?」


 この時、エアリスは驚愕した。

 カイトが5年もの間、森で孤独な生活に耐えることが出来たのは『親が迎えにきてくれる』という、すがる事の出来る希望があったからだと思っていたからだ。


 しかし彼は今、『捨てられたと分かっていた』と言った。


 森で出会った頃のカイトの発言から考えると、“5年もの間、自分を騙して信じていた”と推測できる。


 いや……以前にも彼は、『捨てられた』と言っていた。それはポーションをティカへ渡した時、そして、ここから飛び出して行ってしまった時。

 その時に気がついてやるべきだった。彼はずっと自分の心を押し殺し、苦しんでいたのだ。


 大人ならまだしも、彼はまだ精神的に成長しきれていない子供。

 そんな彼が5年という長い時間、自分を……一体どれほどの苦しみを感じたのか、考えるだけで胸が締め付けられた。



 カイトがここまで泣きじゃくり、エアリスに“1度目の人生”の感情を訴えるのには、意識が混濁している以外にも理由があった。

 その理由は『1度だけ引いた事を認識した風邪』にある。


 その“1度だけ引いた事を認識した風邪”を引いたのは、奇しくも“父親に捨てられた”その日だ。


 故に、彼にとって“風邪を引く”とは、“親に捨てられた”と言うトラウマに直結するものだったのだ。

 カイトは混濁した意識の中、トラウマを思い出し『風邪を引いたら捨てられる』と思い込んでしまい、パニックに陥ってしまったのだ。


 パニックになり、再びあの苦しみを感じるのかと思い込んでいるカイトは、必死にエアリスに訴えかけた。


「も、もうあんなに……辛くて……苦しいのやだぁ……風邪も治す、からぁ……言う事も、なんでも聞くからぁ……」

「……カイ……ト、お、落ち着……」


 カイトがエアリスを引き寄せるように服を掴む。


「だから、お願い……お願いぃ……もう、捨てないでぇ……置いていかないでぇ……」

「……っ」

「お……おねが……」


 エアリスが抱きしめたことにより、カイトの言葉が途中で遮られる。


「ぁ……ぅ……」


 意識が混濁しているカイトは、何が起きたのか分からず、ただその感触へ身を委ねている。

 そして、耳にエアリスの声が届いた。


「お願い……私の話を聞いて」

「ぁ……ぅ……ぅ……」


 エアリスが抱きしめたまま背中や頭を撫でると、次第に呼吸が落ち着いていった。


「……落ち着いた?」

「……」


 黙ってうなづくカイト。

 だが、落ち着いた事により自分が今までパニック状態だった事を思い出した。

 同時に、それによりエアリスに迷惑をかけたのでは、と言う不安にも襲われる。


「あ……ぁ……ごめんなさ……んぅ……?」


 だが、謝ろうとしたカイトの口に指が当てられる。


「カイト、今は私の話を聞いて。 ……ね?」

「………」


 再び黙ってうなづく。

 それを確認して、カイトを体から離してベッドへ座らせた。


「……?」


 カイトの不安そうな顔へまっすぐ目を向け、エアリスは話し始めた。


「……前にも言ったけれど、9年前に私は自分の子供を死なせてしまったの」

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