番外編 1 “普通”の日常
窓から入り込んだ朝日で、エアリスは目を覚ました。
顔を洗い、寝巻きから普段着に着替えてとある部屋へと向かった。
「おはようございます。エアリス様」
「おはようティカ。朝早くからごめんなさいね」
エアリスが向かった部屋の前の椅子には、ティカが座っている。
「……あの子はどうかしら?」
「ふふ、ご心配無く。ちゃんと眠ってらっしゃいますよ」
ティカの返答に、エアリスは胸をなでおろした。
「それでは、“初仕事”頑張ってくださいね」
「ふふ、仕事って程では無いけれど……頑張るわ」
互いに微笑み合い、ドアノブを回す。
部屋の中は質素で、豪華に飾られたりはしていない。
そして、部屋の片隅にあるベッドには、カイトが静かに寝息を立てていた。
彼を起こさぬよう静かに近づく。
「ほら……カイト、起きて」
彼女の手がカイトの頬に当てられる。
「ん……」
カイトが頬の感触に気づき、当てられている手を握った。
「ふあ……ぁ……おはよう、ござ……ぁ……」
眠そうな目をこすり、ゆっくりと体を起こした。
「お母さん、おは……よう」
その言葉に、エアリスは胸が熱くなる。
「……おはよう、カイト。よく眠れた?」
「うん……ありがとうござ……ありがとう。お願い、聞いてくれて……」
「気にしないで、私だって嬉しいんだから。それじゃあ、ご飯を食べに行きましょう」
カイトが顔を洗い、着替えた後2人は手を繋いで食堂へと向かう。
カイトの言う“お願い”とは、『朝に親が起こしに来てくれる』事だ。
それは、カイトが1度目の人生の幼少期に憧れていた、『何でもない普通の日常』の1つ。
そしてエアリスにとっても、それは憧れの1つだった。
自分の息子の頬に手を当て、名を呼んで起こす。起きた息子に『母』と呼んでもらう。
9年前に、我が子が水子となってしまった上、子を産めなくなってしまったエアリスにとって、『我が子と過ごす何でもない日常』程、憧れ、手に入らない物は無かった。
「……?」
ふと、自分の手にひんやりとした感触が伝わる。
手に目を落とすと、カイトが両手で自分の手を握っていた。
何か言いたい事があるのかと、カイトへ目を向ける。
「……」
しかし、カイトは何も言わず、ただ小っ恥ずかしそうな表情を見せるだけ。
「え……えへへ……」
そして、照れ臭そうに微笑む。
それを見て、再びエアリスの胸が熱くなる。
周りからすれば、“子供が母親の手を握って嬉しそうにする”というただの『何でもない事』だろう。
だが、カイトとエアリスにとって、これこそが、長年夢見てきた『普通の日常』なのだ。
「お父さん……おはようご……おはよう」
「おはよう、カイト」
食堂にはすでにグレイスが到着していた。カイトは彼に駆け寄り、朝の挨拶をする。
それに対してグレイスも、笑って頭を撫でて返事をした。
「ふふ、いい笑顔じゃないか。お母さんに起こしてらった感想は?」
「……嬉しかった」
「ははは、そうか。それなら、明日は私が起こしに行っても良いかな?」
「……! ……うん……うん、お願い……!」
その提案に、嬉しそうに何度も頷くカイト。
そんな、『親子が楽しそうに話す』事さえも、1月程前のグローラット家にはあり得なかった事。
しかし、そんな『普通の親子』という関係を持つことが出来たエアリスとグレイスには、まだ不安な事があった。
それは、日々のカイトの言動だ。
カイトはまだ、自分達に敬語を使う癖が抜けていない。
理由は単純。カイトにとって大人は、例え親であろうと敬語を使う対象だからだ。
だが2人は、それは“カイトが心を開ききれていないから”だと感じていた。
「……」
今、カイトがしている行動もその1つだ。
食事を食べる前に、ただ黙って料理を見つめる。
カイトにとっては、この世界の料理を観察しているだけに過ぎないが、2人は別の意味に捉えていた。
以前エアリスとティカが話し合った際には、その行動をとる結論として“料理や宿代を払うため、その価値を考えている”というものが出た。
家族となった今では、何も気にしないで食事を楽しんで欲しい。何度か、そうカイトに伝えた。
しかし、カイトはそんなつもりはなく、十分に楽しんでいるつもりだった。
故に、彼は2人の悩みに気づく事なく料理の観察を続けていたのだ。
少しの間料理をみつめつづけ、食事に手をつける。
食事に手をつけてからは、笑い合って話す事は出来た。
しかし2人にとって、カイトがそれらの言動をしている時程辛い事は無かった。
夜。
エアリスはグレイスの部屋へ向かっていた。
「グレイス……起きてる?」
「エアリスか、起きているぞ。入ってくれ」
部屋に入ると、グレイスは机の上に並べられていた資料をまとめ上げ、片付けた。
「ごめんなさいね……こんな時間に」
「いや、私も君に話したい事があったんだ」
エアリスは机の横にある椅子に腰かけた。
「さて……話とは、カイトの事だろう?」
「……ええ、そうよ」
その質問に頷く。
「あの子……まだ私達に、心を開ききれていないみたいなのよ……」
「……そうだな。以前に比べたら、かなり開いてくれてはいると思うが……」
カイトの言動により、2人は悩んでいた。
どうすれば心を開き、何の不安も持たずに暮らせるのか。
聞かされたカイトの過去は、前例など無い異例中の異例だ。そんな辛い過去を持つのは、10歳にも満たない小さな少年。
それに対し、子供を持たない大人2人がどのように接する事が正解など、分かるはずがない。
これまでの2人は、カイトに本物の愛情を向け、優しく接する事を心がけていた。
しかし、それだけで彼の心の傷は癒せていない気がする。彼の心を開ききってもらうにはどうすればいいのか。
ひたすらその事を考えていた。だが、問題はそれだけでは無い。
「あの子……聖騎士長を倒しただけでなく、国王様の元までたった1人で、誰にも見つからずに辿り着いたんでしょう?」
「ああ、あの子はそう言っていたな」
“この国の聖騎士長を圧倒して倒した”
それは、この国でトップクラスの実力を持つ事を意味する。
“国王の元へ誰にも見つからずに潜入した”
それは、高い隠密の技術を持つ事を意味する。
話によれば、その時カイトは、“王室”で国王の帰りを待ったと言う。
説明するまでも無いが、“王室”とは『国王の部屋』だ。
当然この国の中で、1番警備が厚い。
つまりカイトは、国王に養子縁組届けの印を貰ってきたと同時に、『国で1番警備の厳重な王室であろうと、侵入できる』と言う事を証明してしまったのだ。
『どこへでも侵入出来、他を寄せ付けない力を持つ』
これらを肩書きとして人に聞かせれば、カイトを“殺し屋”に向いた人物だと考えて悪用しようとする者が出てくるはずだ。
「……もし、あの子がその事に気がついたら……」
“殺し屋”は危険が伴うため、高い身体能力や頭脳が求められる。
カイトはその条件にもピッタリだ。
身体能力に関しては言うまでも無いだろう。
頭脳に関しては、年相応な部分や大胆な部分も見られるが、たった一晩である程度話せるまで言葉を学んだ点を見れば、かなり高い様に見られる。
彼はまだ“お金”の価値を分かっていない。長年の森での生活で、使う機会がなかったからだ。
だが、その価値を知ってしまえば、出来るだけの手を尽くして効率的に稼ごうとするのが人の性。
その点を見れば、“殺し屋”はどんな仕事より危険ではあるが確実に儲かる。
内容にもよるが、1人葬れば一月は遊んで暮らせる程だろう。
カイトが心優しい少年である事は、よく分かっていた。
しかし、“成長したカイト”が心優しいままかなど、分からない。
ここで、“貴族なら家を引き継ぐのが当たり前では?”という疑問が生まれる。
しかし、エアリスとグレイスはカイトに無理矢理家を継がせる気など、微塵も無いのだ。
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