第41話 人恐怖症


「頑張れカイト、もう一押しだ……」


 『白』がどこまでも続いている空間の中、あぐらをかいて足元を見つめているテイルの姿があった。


 あれが見つめている先は『白』の空間だが、エアリスに必死に謝ろうとするカイトの姿が見えているようだ。


「……よし! よく言ったカイト!」


 カイトがエアリスに謝罪をしたと同時に、喜びの声を上げる。


「ふぅー……一時はどうなるかと思ったぞ。……ん? なになに、『養子にして』……?」


 カイトのその言葉を聞き、次第にテイルの表情が笑顔へと変わる。


「それを言えるようになるまで、もう少しかかると思ったが……この短期間で成長したな、カイト」


 やり遂げた表情で、ゆっくりと立ち上がる。


「あれから5年か……ここまで長く感じる5年間は初めてだな」


 『白』だけの何もない空間を見つめ、呟くテイル。

 そんな彼の脳裏には、カイトと出会った頃の記憶が流れていた。



 ー5年前


「また……やってしまった……」


 自分のミスにより、2度の人生を送った者がいる。その人物が、2度目の人生を終えたようなので魂を呼び出した。


 その人物が送った1度目と2度目の人生は、かなり辛いもののようだ。きっと、事情を知れば怒るに違いない。


「まずは……とりあえず謝らなければ。それから……」


 その人物への対応を再確認する。


 過去にも1度このようなミスをして、嫌と言うほど罵倒されたことを思い出す。

 背筋に寒気が走った。


「……ま、またあんなに罵倒されたら、かなり凹んでしまうからな……」


 以前は立ち直るのにかなりの時間がかかった。今回また罵倒されたら、立ち直るのにどれだけかかるのか……。


「む……き、来たか」


 地上から魂が到着した。目の前に、小さな女の子が現れる。こちらに背を向けて座り込み、何もない空間を見つめている。


 こ、この者が……とにかく謝罪だ!


「す、すまない。君に話があるのだ」


 しかし、反応がない。聞こえなかったのだろうか。


「……ちょっといいか? 君に話が……」


 再び声をかけるが、どうも様子がおかしい。 

 こちらの声にピクリとも反応せず、ただ何もない空間を見つめ続けている。


 不思議に思い、回り込んで少女の顔を窺う。

 その顔を見て、言葉を失った。


 垂れた前髪の間から見える目に光はなく、表情一つ動かさない。その様子から、生気はとてもじゃないが感じられない。


「こ……これは……」


 それを見て無意識のうちに感じとる。


 心が壊れてしまっている。まるで人形だ。


 この人物が、自分のミスのせいで悲惨な人生を送った事は分かっている。

 しかし、細かな事まで把握しているわけではない。一体何があって、このような状態になったのか。

 それを確かめる義務が、自分にはある。


「……少し、失礼するぞ」


 手を伸ばし、少女の頭に置く。

 その瞬間だった。


「っっ!?」


 少女が悲鳴を上げた。あまりに突然のことに、驚いて手を引く。

 彼女は体をガタガタと震わせ、謝罪と命乞いを繰り返している。


「い、一体何が……」


 この様子だと、頭を触られることに対して悲鳴を上げたのか?

 そう思い、今度は頭ではなく肩に手を置いてみた。


 結果は同じ。


 しかし、記憶を見るには体に直接触れないといけない。

 怯える少女が可哀想だが、体に触れなければならない。悲鳴を覚悟して、再び頭に触れた。




 背伸びをしても届かない窓だけの部屋の中、全身に痣を作って声を抑えるようにすすり泣いている少年がいた。


 その痣は、全て実の父親から受けた暴力が原因。

 体は痩せ細り着ている服すらボロボロ。食事は1日に1度だけ、床に投げ捨てられていく生ゴミと区別がつかない物。


 それ故に成長が遅く、少年は15歳とは思えぬほど小さな体だった。



 名も知らぬ同級生達が卒業式をしている頃、少年は苦しんでいた。ひどい熱、吐き気、立つどころか座っている体勢すら保てないほどのめまい。

 それを耐えていると、突然父親に外へ連れ出された。髪を掴まれ強引に車の中へ押し込められる。


 いつもと違う。暴力を振るうだけなら家の中で済むはず。

 得体の知れない不安を感じる彼を待っていたのは、見知らぬ土地だった。


 ここはどこ? なぜ連れてこられた?


 再び髪を掴まれ強引に運ばれる。耳には川の流れる音が届いた。

 それを認識した瞬間、全身に刺すような冷たさを感じた。


 なんとか状況をつかもうと、辺りを見渡す。

 どうやら、自分は川の中に投げ込まれたようだ。幸い、腰あたりまでの深さで溺れることはない。


 岸を見上げると、父親の姿。しかし、その姿が遠ざかっていく。

 必死に後を追った。その姿は車の中に消えていく。

 必死に叫んだ。その車はどこかへ行ってしまった。



 『捨てられた』



 その事実だけが頭の中に響いている。

 上下感覚を失うほどのめまいに、何度も川の中で転倒しながら岸へ上がった。


 助けを呼ばなければ。


 そうでもしないと命さえ危うい。それくらいの事は分かっている。だが、体が言うことを聞かない。

 凍えているからか? ろくに食事をとっていないから、体を動かすほどのエネルギー程度も残っていないからか? それとも、ひどい風邪をひいてしまったからか?

 その全てだ。


 目を覚ました時、少年は岸にいた。辺りはすっかり暗くなっている。

 まだなんとか生きている。しかし、このままでは本当に死んでしまう。


 彼は最後の力を振り絞り、地面を這いながら岸の上の道を目指した。


 どれほどの時間がかかっただろうか。

 ようやくアスファルトの硬い感触を、手に感じた。


 誰かいないのか。助けてくれないのか。


 遠くの方に、2つの光が見えた。それらは揺れながらこちらへ近づいてくる。

 懐中電灯を持って、ランニングをしている男女だった。


 助かった。


 その2人が目の前を通過する時、手を伸ばして助けを求めた。

 しかし、現実は期待を裏切った。


 女性は悲鳴を上げ、男性は伸ばした手を蹴り飛ばす。

 ゴロゴロと草の上を転がり、再び刺すような冷たさの川へ転落した。


 ボサボサで目の下まで伸びた髪。痩せ細った体。所々に血痕のあるシャツ。蒼白した顔。

 少年は、自分の姿を理解していなかった。


 もはや、体の感覚などない。空一面に広がる星と、川の流れる音のみを認識する。

 何かを考える力すらも残っていなかった。ただ、目前に迫る自分の未来をぼんやりと理解しながら、空を眺める。


 そして、日の出と共に、そのまぶたはゆっくりと閉じていった。



 目が覚めると、暗い森の中にいた。

 理解が追いつかない。ここはどこだ。


 しかし、つい先程のような感覚はない。体は水の中ではないし、力だって入る。


 むしろ、おかしいのはその姿。


 顔は確かめようがないものの、腰までだらしなく伸びた髪。若干膨らみのある胸。着ているのは薄汚く茶色に変色した、膝まで伸びきった服とは言えない布1枚。


 それらは、明らかに自分のものではない。


 しかし、どれだけそれを確かめようと理解する事は出来ない。

 右も左も分からぬ森の中、当てもないまま歩き続けた。


 運良く、とある老夫婦に保護された。


 案内されたのは、日本では考えられないような寂れた村。しばらくの間、そこで過ごした。


 この時、衝撃の事実を知った。


 水鏡に映った自分の姿。それは、紛れもなく女の子。男の自分ではない。

 この現象には覚えがあった。


 唯一の心の支えだったラノベ。それから得た“転生”と言う知識。いまの自分は、それに当てはまる。


 人生をやり直せる。


 だが、そんな期待は長くは続かなかった。

 突然、家に押しかけた男性達。その男性達に乱暴に縛られた。


 困惑しつつも老夫婦に助けを求める。しかし、老夫婦は助けるどころか笑っている。



 『奴隷として売られた』



 それからの日々は、まさに地獄だった。

 自分の何倍もの大きさの荷物を無理やり持たされ、運ばせられる。

 ほかの時間は、男達の遊び道具。殴られ蹴られ、肌に刃を突き立てられる。悲鳴を上げると男達は喜んだ。泣きながら謝ったり命乞いをしたり、棒で叩かれたりするともっと喜んだ。


 なぜ? なぜ自分はこんな目に合う?


 当然答えが出るはずがない。終わりの見えない苦痛に、遂に心が耐えられなくなり、音を立てて崩壊した。

 その崩壊した心の跡には、1つだけ残っている感情があった。



 『人』が怖い。



 自分に暴力を奮い続け最後は捨てた『人ちちおや』

 自分を奴隷として売り、笑っていた『人ろうふうふ』

 自分を痛めつけ、悲鳴を聞いて喜ぶ『人おとこたち』


 自分を苦しめているのは『人』と言う生き物。そして、その『人』は周りに大勢いる。毎日のように見る。

 そして今この時も、自分を苦しめている。



 壊れた心が残した感情。それは、『人』に対する恐怖心だった。



 何も見ない。何も考えない。何もしようとしない。『人』への恐怖だけ感じ続ける。


 怖いから従う。痛い時は、出来るだけ早く終わるよう悲鳴を上げる。泣き叫びながら謝って命乞いをする。怖いから従う。


 その繰り返し。

 少女にとって、それが生きる上での『当たり前』となってしまった。


 ……。



「……なんて……事だ……」


 流れ込んできた記憶は、想像以上の酷さだった。


 以前にミスをして、自分を罵倒していった者は精神年齢が大人だった。その上、1度目の人生は平凡そのもの。

 だから、悲惨な2度目の人生を送っても、“罵倒出来るほど”理性が残っていたのだ。


 しかし、今回はまるで違う。

 精神も成長しきっていない子供。1度目の人生ですら、心に深い傷を残すものだった。

 そんな状態から、さらに酷い人生を送ったとなれば……。


 心が壊れてしまうのも当然だった。


「すまなかった……」


 震える頭から手を離し、静かに謝った。しかし、当然少女はそれに反応せず、震えるばかり。


 こんな状態では、とてもじゃないが3度目の人生など送れるはずがない。なんとかしなければ。


「……少し、辛抱してくれ」


 少しだけ力を込め、少女の頭を掴む。

 必死に謝り、命乞いする声と悲痛な叫びが響く中、少女の“心”に触れた。



 壊れた心を修復する。過去の記憶を“薄く”する。



 それが終わると同時に、少女はパタリと倒れて眠ってしまった。

 記憶自体を変えることは出来ないが、その存在を薄くすることは出来る。

 つまりは、過去を軽く考えられるようになる。そうすれば、傷も少しは埋められるはず。


 しかし、傷を少し埋めただけでは根本的な解決になっていない。だから、トラウマを全て払拭出来たわけではない。


 故に少女の人への恐怖心……『人恐怖症』は完治したわけではないのだ。

 しかし、それは心の病。正しい環境で正しい愛情を受ければ、いずれ良くなるだろう。


 それに、これから転生するのは魔術や魔法が存在する世界。他にもスキルなどが在る。

 それらがきっと助けてくれるはずだ。


 そろそろ、少女が目を覚ます。

 その前に、せめてこの空間だけでも恐怖を感じないようにしておこう。




「……また無意識に思い出してしまったな」


 この出来事は彼自身としてはかなり衝撃的だったため、無意識のうちに度々思い出していた。


 カイトと出会った頃は、人格すら残っていなかった。

 だが、今は自分の行った処置によって人格が回復し、自分の行ったサポートで無事に彼は家族を持つことが出来た。


 すると、無事にひと段落付いたからか、今まで必死だった自分の姿が目に浮かんだ。


「……ふふ」


 その思い浮かんだ姿に、思わず小さく笑う。

 今までここまで必死になったのは、種の大量絶滅以来だ。


「それもまさか、1人の人間に対して……だからな。それも、友人という関係まで持った……」


 彼は数多の魂を扱う存在。

 そんな存在が、その中の1人を特別扱いし、必死になってサポートしていたなど、少々馬鹿らしくなってくる。


「……」


 しかし、その微笑んだ顔はすぐに思いを馳せたような表情へ変わった。


「……だが……“我々の都合”で彼を呼び出しているんだ。それくらいしてもおかしいことはないだろう」


 そう呟く彼の目の先には、エアリスとグレイスに抱きしめられ、嬉しそうな表情で涙を流すカイトの姿。


 そしてこの後、新たな地へ降りたカイトは、様々な出会いをする。

 新しい家族と幸せに生きる。

 それが、2度の悲惨な人生を終えたカイトの3度目の人生だ。

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