第35話 かつて夢見た生活との別れ



 聖騎士長を倒した日の夜。


 空にはぽっかりと満月が浮かんでいる。

 賑やかだった街の住民も皆眠りにつき、静まり返っていた。


 だが、俺は眠らなかった。

 エアリスさんが眠っている事を確認して、静かに布団から出る。


 足音を立てぬよう歩き、窓を開け、片足をかける。

 しかし、足をかけた窓枠から軋む音が鳴ってしまった。


「……っ! ……っ!」


 驚いてあたふたしている時、背後から声が聞こえた。


「カイト君……? 何をしているの……?」


 片足をかけた時の物音で、彼女を起こしてしまったらしい。


「……」

「……カイト君。そこは寒いでしょ? ほら……こっちに来て……一緒に寝ましょう?」


 彼女は俺が何をしようとしているのかに気づいた様だ。それを止めようと優しく話しかけて来る。


 しかし、俺は彼女の元へは戻らなかった。


「……ごめん、なさい。僕……森に帰ります」

「……っ」


 彼女は胸を手で押さえた。落ち着こうとしている様だ。


「き、今日の事を気にしているの? それなら、大丈夫。何も心配はいらないよ……?」

「……ううん」


 首を振り、目を背ける。


「今日……僕の事……が、知られた……」

「……」

「きっと、迷惑かかる、思います……それは、やだ」


 成り行きとはいえ、今日の俺は目立ちすぎた。

 もしかすると、俺の事をまた欲しがる奴が出て来て、あの不正裁判のような事が起こるかもしれない。


 それは胸糞悪いし、正直面倒くさい。


 それにまさに今日、かなり偉い立場の人物を手に掛けたのだ。


 聖騎士は教会直属の騎士で、この国は宗教の影響が強いと聞いた。

 その聖騎士のトップに手を掛けたとなれば、面倒ごとになるのは目に見えている。


 それは御免だ。


 ならば森へ帰るのが正しい判断だろう。

 元々、なにかトラブルがあれば森へ帰るつもりで来たのだ。


 しかし、エアリスさんは許してくれそうにない。

 それなら……。


「ねぇ、カイトく……」

「……魔力付与……人型兵器」

「……っ」


 そう呟くと、彼女の表情が固まった。


「それが……“僕”……が、なんなのか、知りました」

「……カ、カイト君……」


 散々あの聖騎士に言われた言葉。帰ってきた後、気になって書斎を調べてみたらそれっぽい本を見つけた。


 文字は読めなかったけど、その本の絵や言葉的に、なんとなくその意味は分かった。

 きっと、皆んな俺がそれかもしれないと思っているだろうし、別れの口実に使わせてもらう。


「……僕、危ない……です。兵器なのに……感情があるから……」

「……カ、カイト君……」

「感情が、あるの……危険、です。エアリスさん達……も、危ないかも、しれない……だから森に……」


 エアリスさんは悲しそうな表情をしている。それは見ているだけで辛くなる程だった。


「ねぇ……カイト君、ここで過ごした事をどう思っているか、教えて……?」

「……え?」

「ここで暮らして……辛かった……? 苦しかった……? 楽しくは……無かった?」

「ぇ……ぅ……」


 予想外の質問だった。

 うつむき、ここでの生活を思い出す。


 人恐怖症による恐怖心はあったが、ここに居る人達はみんな俺に優しくしてくれた。

 今までとは、正反対に扱われた。


 周囲から『優しさ』を受けながら生活するのは、3度の人生で初めての経験だった。


「楽し……くて、嬉しかったです……今までに……無いくらい……」


 床を見つめながら、弱々しく答える。


「なら……それなら、これからもその生活を一緒に続けましょう? ……ね?」

「ぁ……うぅ……」

「私はあなたのことが……何よりも大切なの……だから、お願い……行かないで……」


 流れ落ちた涙がシーツに斑点を作っている。

 彼女は今までと比べようがない程、ボロボロと泣いていた。


「お願い……もう、大切な子がいなくなるのは……いやなの……」

「う……うぅ……」


 彼女は数年前、自分の子を亡くしている。

 その彼女にそんなことを言われて、心が痛まないわけがない。

 だが、彼女とその家族に迷惑をかけたく無いから森に帰る、これはもう決めた事。


「ぁ……」


 彼女と話す中で、ここでの生活の記憶が色濃く脳裏によぎった。



 みんな、見ず知らずの俺を気にかけくれて、俺のために色々な事をしてくれてた。


 そして……1人の子供として、家族の様に接してくれた。


 今までこんなに大切にしてもらった事はない。今までは人では無く、物として扱われていたのだから。

 ふと、過去の記憶が蘇った。



 父親に暴力を振られ、何も無い部屋に閉じ込められて声を抑えてすすり泣く自分。

 背伸びをしても届かない窓枠を見上げると、夜空に1本の白い線が見えた。


「流れ……星……?」


 流れ星は、願いを叶えると聞いたことがある。


 暴力を振るう父親、どこかへ行ってしまった母親と姉、そして自分。


 ……全員でなんて、贅沢は言わない。

 ただ誰かと一緒に普通に会話して、普通に食事を共にして、普通に笑い合いたい。


「誰かと………笑いたい……」


 流れ星の跡に見える線も見えなくなり、星が輝くだけの夜空に向かってそう呟いた。



 ここの生活は……1度目の人生の幼少期に、夢見た生活そのものだった。


 次第に、“ここに残りたい”という感情が出て来てしまう。複数の感情が入り混じり、俺は混乱してしまった。


 もうどうしたら良いのか分からない。


「ねぇ……お願……」

「……っ!」


 目を強くつむり、拳を握りしめ、何かを叫んだ。


「 − − − − !!」


 自分がなんて言ってしまったのか、分からない。


 俺、今……なんて……? 


「カ……カイト……く……」

「……ぁ……」


 だが、エアリスさんのとても悲しそうな顔をしているのを見て、自分が何か酷い事を言ってしまったと思った。


「ぁ……あ……ご、ごめんなさ……」


 咄嗟に謝る。

 しかし、彼女の悲痛な表情を見ていられなくなってしまった。


「ぁ……」


 頭が割れそう……胸に穴が空きそう……そんな罪悪感に襲われる。

 遂に耐えられなくなり、踵を返して窓から飛び出した。誰もいない夜の街を走り抜ける。


 我に帰り、後ろを振り向いた俺の目に、今まで過ごしたあの家が映ることはなかった。

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