第13話 明晰夢って凄い


「まさか……母親の夢を見ているの?」


 手を顔に擦り付ける動作は、子が母に甘えるような動作と似ている気がする。


 そしてそのすぐ後、彼の発した小さな寝言を聞いて、私の目からは涙が溢れでた。


「お……母……さん……やめ……」


 表情はうつ伏せでよく見えないが、体はかすかに震えている。

 母親に罰を受けている夢を見ているのだろうか。これは……どう見ても彼に説明した“いい夢”ではない。


「そんな……でも精神安定の魔法をかけた子供は1番いい思い出の夢を見るはず……」


 失敗した? ……いや、この魔法はこの日の為、何よりも練習してきたのだ。

 失敗したとは思えない。


 1つの仮説が生まれる。


「まさか……それが、1番いい思い出とでも言うの……?」


 彼は5年もの間、母親の迎えを独りで待っているような子だ。

 だとすれば、どんな形であろうと母親と一緒にいる時間が、彼にとっては“良い思い出”なのかもしれない。


「そ、そんな……」


 私の手を握っている彼の手に力が込められ、うつ伏せだった顔がこちらに向いた。


「……っ」


 その目からは、小さな涙の粒がこぼれ落ちている。


「ぅ……うぅ……」


 眠ったまま泣き出してしまった。声を押さえて泣いているようだ。


 『我慢する』とはこういうことだったの……?


 9年という短い人生で、一体どれだけの苦しみを味わったのか、とても想像できない。


 それなのに、森に捨てられてからの生きる希望は、その苦しみを与えていた偽の母親への想いにすがることしか出来ないのだ。


「カイト君……絶対に助けてあげるからね」


 涙を流すカイト君の手を両手で握りしめ、そう決意した。



ーカイトside


 今エアリスさんが部屋から出て行くのを、横目で見ている。


 いきなり寝かされそうになって驚いけど、久しぶりに夫婦が再会したんだ。きっと積もる話でもあるのだろう。


 子どもの俺は、おとなしく引き下がっておこうと思い、寝ることにした。


 にしても、やばいな……眠い……。


 さっきエアリスさんが俺にかけた魔法は、きっと精神安定の魔法だ。俺の精神系スキルにも同じものがある。それの魔法バージョンだろう。


「あ……そうだ……」


 ね……寝る前に、背中に傷跡を偽装しないと……。


 いつあの話が、作り話かバレるかわからない。忘れないうちに話の中にあった“お仕置き”で、できた傷跡を作っておかないと……。


 しかし、もう頭が回らなかったので、ラノベのイラストで出できたキャラクターの傷跡を、5人分程“身体操作”で片っ端から背中に作っておいた。


 こんなことを簡単にできるなんて……普通に考えたら、やっぱ俺は異常なんだな。


 頑張って眠気を耐え、背中へ傷跡を作る。

 しかし、ついに意識が途絶えて目の前の枕へ顔を沈めた。



 気がつくと見覚えのある場所にいた。


 ここは……ラノベを読みによく来た古本屋かな?


 見渡すと、そこは1度目の人生で通っていた書店だと確信を得られた。しかし、同じ配置の本棚には、1冊も本が入っていない。


 これは夢……それに気付いてるってことは明晰夢になるのか?


 明晰夢を見ると、その夢の中で好きな展開にできると聞いたことがある。なら、俺の思い通りの事が出来るはず。


 念じると、目の前の空の本棚にラノベが数冊出現した。


「おお。凄い、流石明晰夢だ!」


 出現したラノベは学生の時に読んでいたものだったのだが、死んでしまったので最後まで読むことができなかったものだ。


「エアリスさんの言ってた通りいい夢だ! じゃあ早速……あ、そうだ。今ならあれが出来るのかな?」


 目を閉じてあるものをイメージする。すると、すぐにそれは目の前に出現した。

 それは真っ白で湯気を放っている。


 蒸しタオルだ。


 まだ学校に通っていた頃、風呂に入る事が許されるのは週に1、2回だった。

 だから、俺の体を綺麗にする方法は、濡れタオルで体を拭くことだけ。

 ただ、ごく稀に父親の目を盗んで蒸しタオルを作っていた。俺はそれが好きだった。


 それ以降、“小説を読む”という至福の時間の直前に、“蒸しタオルで体を拭く”という事をしたら、どれだけ気持ちいいだろうと考えていたのだ。


 だだ書店でそれをする訳にもいかないから、諦めていたけど……。


 しかし、これは夢だ。好きにしたって文句を言う人はいないだろう。


 蒸しタオルを握って顔に当てた。顔を動かし、蒸しタオルへ擦り付ける。

 やはり、これは良いものだ。だけど、待ちきれないので顔だけにしておこう。


「ふぅー……よし、読もう」


 まず1冊目を手に取った。


 これは血の繋がらない母と反抗期の子の日常を描いたコメディラノベだ。

 2人の攻防がとても面白いが、たまに泣けるやりとりもあり、とても人気があった。


 生前読んでいたページまで飛ばして続きから読み始める。ちょうどセリフのシーンだ。


『おい! 母さん! やめてくれっていつも言ってるだろ! なんで毎日学校から帰ってくると“仕送り”って書かれたダンボールが、部屋に置いてあるんだよ! しかも中身はいっつも猫ちゃん柄の毛糸のパンツって馬鹿にしてんのか!?』

『あらあら、でもあなたはパンツ数枚しか持ってないのに、最近なぜか前の部分が破けることが多いじゃない? だからそこを猫ちゃんでコーティングしてあげたのよ?』

『猫ちゃんでコーティングってなんだよ!!』


 セリフのはじめの方は小声で朗読していたが、すぐに笑えてきて肩をヒクヒクさせながら読んでいった。


 ……好みは分かれると言われているが、俺は面白いと思う。


 読み終え次のラノベを手に持つ。これは先程と打って変わって感動ものだ。

 孤児院の少女と殺処分される犬の物語。短編だが泣けると評判になり、これのリメイク版がアニメ化されるそうだ。


 ぅ……うぅ……読んでたら泣けてきた……。


 俺は小説から目を背けて泣いた。



 やっぱり、ラノベって良いな。


 読み終わり、本棚にラノベ戻す。


 ……どのラノベも、もう2度とない読めないと思ってた。

 でも、読むことができたのはエアリスさんのおかげだね。起きたらお礼を言わないと。



 だが、俺は知る由もなかった。

 夢では蒸しタオルでも、現実はエアリスさんの手だったこと。

 急いででっち上げた設定に、バッチリ合う寝言を言ってしまったこと。


 これらにより想定以上の誤解が生まれ、思ってた以上に可哀想な子供と認識されてしまっていた。

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