第60話 私の中をあなたでいっぱいにして④

 まず俺たちはジェットコースター乗り場へ向かった。一時間待ちと書かれてあったが、そんなに待ったか? と思うくらい吉良坂さんと一緒にいると時間が過ぎるのが早かった。


 それは、嬉しいようで少し悲しい。


「もう少し、二人で待ってたかったな」


 と吉良坂さんもぼそりと呟いていたし。


 俺たちの番が来て、せっかくだからと一番前の座席に並んで座る。


「あ、あの。宮田下くん。やっぱり、その……怖い」

「吉良坂さんが言い出したんだろ? 遊園地と言えばジェットコースターだって」

「だって前から一度乗ってみたいと思ってたから」

「じゃあ一度も乗ったことないの?」


 こくりと頷くと同時に、ジェットコースターが出発する。


「う、動いちゃった」


 と反射的に目を閉じた吉良坂さんが俺の上着のひじの辺りをぎゅっと握った。いやいやまだ怖がるの早いって。


「吉良坂さんって意外と怖がりなんだな」

「それは……意外と握りたいだけだったりして」

「だったらジェットコースターに感謝だな」


 二人で会話している間にジェットコースターが傾斜を昇り始めた。……ああ、どんどん高くなってきたぁ。


「私……やっぱり怖いぃ。み、宮田下くんは、よ、余裕っぽい?」

「ま、まあ、とととと当然な」

「ん? 宮田下くん?」


 ようやく目を開けた吉良坂さんが不思議そうにこちらを見る。あああああ見るな! ただいま絶賛顔面蒼白中だから! ごめんなさいずっと強がってました! だって女の子からジェットコースターに乗りたいって言われて、怖いからやだなんて男が断れないだろ!


「も、もしかして宮田下くん。こ、怖いの?」

「なななわけあああるか。ここここんなのむしろ楽し――」


 頂上に達したジェットコースタが一瞬だけその動きを止める。


 俺は歯を食いしばると同時に吉良坂さんの手を取って、強く強く握りしめていた。


「も、もう、宮田下くんったら」


 景色が落ち始めるまさにその瞬間に、くすくすと笑う吉良坂さんの声がした。俺を励ましてくれるかのようにぎゅっと手を握り返される。


「そういう一面を、もっと知りたかったな」


 俺たちを乗せたジェットコースターは勢いよく落下する。


 なにが起こったかわからないくらい激しくて、ジェットコースターを下りた後は、吉良坂さんの手を借りないといけないほどふらふらだった。


「すまん。ちょっと休憩させてくれ」

「もう。苦手なら苦手って言ってくれれば。強がらなくていいのに」

「いや、そこは男として」

「宮田下くんの情けなく赤面する姿を私は何度見てきたと思ってるの?」


 肩を軽くこづかれる。

 俺たちは売店近くのベンチに座っていた。


「せっかく遊園地に来たのにほんとごめん。初めからノックダウンで」

「大丈夫。こうやって世話を焼くのも楽しいから。お母さんになったみたいで」

「ママぁ、ママぁ」

「はいはい。ほんとにこの子は甘えん坊さんですね」


 こんな風に、過去の恥ずかしい体験を笑い話にできてるなんて。


 こんな未来は訪れないものだとばかり思っていた。


 もう二度と会うことのない相手だと思っていたから、未来は本当に不思議だ。


 もしかしたら、もしかするかもしれない。


 吉良坂さんと過ごした日々に、後悔という名前をつけないですむ未来が、俺の目の前には転がっているのかもしれない。


「じゃあ、私の前で強がりたいって思ってくれた、そのお礼に」


 吉良坂さんが太ももの上を二度ぽんぽんと叩く。白のワンピースから伸びる蠱惑的な太ももはとても魅力的な枕だ。一度寝たことがあるからよくわかる。


「あのときみたいに膝枕します? 横になった方が回復も早いでしょうし」

「こんな場所でするわけないだろ。いっぱい人いるし」

「ん? ……おっぱい? そっか。宮田下くんは私のおっぱい枕がいいってことですね!」

「いっぱいの『い』を『お』に変えて言ってみてっていうの、小学校のときにはやったなぁ。おっぱいじゃなくて『おっぱお』なのにみんな恥ずかしがっちゃって」

「小学生じゃなくて私たちはもう高校生でしょ? さぁ、ふとももとおっぱい、どっちを枕にして寝ますか?」

「それだったらおっぱい……とはならないからな。ダブルバインド下手すぎか」

「ちぇ。草飼が教えてくれた秘儀だったのに」


 唇を尖らせた吉良坂さんを見てまず俺が笑う。すぐに吉良坂さんも笑い出す。


 もうジェットコースターに乗ったことによる気分の悪さはどこかへ吹っ飛んでいた。


 むしろまたおっぱいの上に乗りたい――ああ次のアトラクションさっさと行こうか!


 本当に、なんでこんなに幸せなのに、なんでこんなに切ないのだろう。


 俺と同じ気持ちを、きっと吉良坂さんだって感じていているはずだ。


 二人で過ごした日々があったんだと確認するために、だけどしんみりはしたくないから、笑いとばせる冗談として過去の話をしている。


 これはあれだ。


 前にドラマで見たことがある、向き合ってはいけない侘しさだ。


 そのドラマでは、かつて恋人関係だった二人が高校の同窓会で再会し、互いの薬指にはまっている結婚指輪を確認した後で、『あのころあんなことがあったね』と言い合っていた。


 それからその二人は、もしかしたらそんな未来もあったのかなぁなんて、訪れなかった未来と青春時代の後悔に想いを馳せながらも、目の前の現実を選んで別々の電車に乗り込んでいく。


 それぞれの家庭に帰った二人は子供と配偶者に迎えられて笑っているんだけど、一度だけ後ろを振り返ってため息をつく。


「もうそろそろ行こうか」


 いつまでも思い出に浸っていたって仕方ない。


 俺がそう言って立ち上がろうとすると、吉良坂さんに袖口をぎゅっとつままれる。


「あ、待って。あれ」

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