第11話 仕掛①
月曜の昼下がり、伸介は藤崎宮の社務所に行くと御朱印帳を差し出してから、静かに本殿の左方に納められた鏡に手を合わせていた。
この日、有給休暇を取らされた伸介は朝から浩一と共に出張り、昼になってから美夏を加えて藤崎宮の周りで見張りを続けていた。
南中を過ぎて太陽に少し雲がかかったものの、煮え立つような暑さは変わらず、マスクの下で蒸れる心地悪さを抱えながらの忍耐勝負となった。
朱の社殿のに潜んでいると、
「おじさん、あの人」
美夏が声を漏らしたのと同時に、昭一の使い魔が姿を眩ませた。
話によると美夏は昭一に助けられた際、藤崎宮で御朱印を受け取った後で急激に技力が吸われていくのを感じ、意識が朦朧としたという。
「神社の人からは何も感じなかったから、たぶん、技令士がいたんだと思う」
吸い上げられたのは殆ど一瞬の出来事であり、何とか参道も中程までたどり着けたものの、そこでどうしようもなくなり崩れ落ちてしまった。
それを見た伸介がたまたま抱きかかえたのであるが、その際に互いに薄着であったのが美夏には幸いした。
伸介と美夏から出た汗がまじりあい、それによって美夏の吸精の能力が発動したことで彼女は一命をとりとめることができたのである。
「まあ、伸介の技力は多いからなあ。多少抜き取ったぐらいで丁度いいぐらいだ」
浩一の一言には閉口したものの、それを知った伸介はまんざらでもない思いであった。
ただ、美夏としてはその時の怒りもあり、今回の捕物に協力することとなったのである。
美香の見据えた先には中肉中背のやや暗い茶髪の男があり、この暑さの中で濃紺のジャケットに身を包み、手水舎で時間をかけて手を清めていた。
そこで、浩一は用意していた御朱印帳を伸介に押し付けてけしかけたのがここまでの顛末である。
伸介の合わせた手に汗が滲む。
気配を探れば、男が社務所の近くで何か写真を撮っているのが分かるが、それと同時に何か技令を用いているのも察せられる。
濃密な聖域の技令の中でも、異質なその気配だけはかき消そうとしても完全には難しいものである。
ただ、伸介も浩一もそこでは動こうとはしない。
ただただ気配を消し、それを注視するのみである。
伸介が本殿に手を合わせたところで男が境内を去っていく。
伸介には掴めぬものの、昭一の使い魔もそれを追っていることだろう。
初穂料を納めて御朱印帳を手にした伸介は、手水舎近くの木蔭で開き、そこに施された術式を確かめる。
お神籤を木に結ばぬように告げる看板が日常を示し、近寄った浩一の気配が異形との交わりを示す。
「大将、これ……」
「ああ、弱いものだが祭壇技令だな。これならそれ単体では弱くとも、御朱印を集めたものにかければ、祈りの力で増幅されて強力なものになる。しかも、神社の中なら気配も読み辛い。思った通り、だな」
発動した祭壇技令に技石を掲げてその技力を吸わせる。
一つの技石の力を空にして、やがてその力は失われた。
祭壇技令は五つある強力な技令の一つであり、相手の精神力から体力までを吸収する技令である。
その大きな特徴は、人々の信仰心や祈りの対象とするものを触媒とすることでその威力を飛躍的に高めることができるところにある。
何もない場所で発動させれば、さほどに大きな技令でなくとも、それを教会や記念碑などで扱えば相手を溶かしつくすほどの威力とすることもできる。
「祭壇技令だったんだ、おじさん……」
「美夏の御朱印帳でこれをやってたら、おそらく伸介単体でもただでは済まなかっただろうな。そして、亡くなられたお婆さんもかなりの数を集めていた。信仰の厚さというよりもそれまでに重なった思いの厚さがそのまま力になって跳ね返っちまったんだろうな」
浩一の組まれた腕に筋が浮かび上がる。
込められた力の強さを見て、伸介はその表情を引き締めた。
「じいさん、手水舎に隠れてるんだろう。どうだ、尾行の方は順調か?」
「ああ、抜かりはねぇ。それより、これからどうするんだ」
「ああ。一気に一網打尽といきたかったが、捨て置くこともできねぇ。場所を突き止めたら、今晩にでも乗り込んで捕まえる」
「いいのかい、大元の手掛かりが手に入らないかもしれないぞ」
「いや、だからこそだ。捕まえて、吐かせる。そしてじっちゃんにはそっちの追尾をしっかりやってもらいたい。向こうさん、何か感づけばすぐに動くはずだ。虫一匹の動きも逃さねえように頼むぜ」
浩一の言葉に、手水舎から一羽の蠅が飛び立つ。
それに合わせるようにして浩一は二人の方に顔を向けると、力強く告げた。
「俺達は今晩には動く。だから、準備を進めておけ。そして、美夏は念の為に俺の家で待機だ。顔を見て向こうが何か感づいたかもしれん。念には念を入れておく」
「俺の部屋はどうしますか?」
「ああ、そっちも使えるように準備しておいてくれ」
頷く二人を見遣って、浩一が本殿に一礼をする。
暑さに負けぬ朱色の輝きが何とも眩しいものであった。
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