第10話 陰影②
その翌日、美夏を車に乗せた伸介は来た道を戻るようにして浩一の下を訪ねようとしていた。
この日、美夏の家を訪ねてすぐに、
「そういえば、俺の家を教えてなかったから、先に見せるだけ見せとくな」
という話をして連れ出すのに成功していた。
とはいえ、七時を過ぎたばかりの三号線というのは中々の混雑を見せ、まだ明るさをのぞかせていた空も白川を越える頃にはすっかりと暮れてしまっていた。
産業道路を横切る段になって喫茶店へ寄ることを告げ、伸介はそのまま「林の書庫」に車をつけ、彼女を中へと
「大将、来ましたよ」
声をかけて伸介は店内を見回すと、客の姿も浩一の姿もそこにはない。
そのまま美夏を導きながらカウンターに腰掛けると、再び店の戸の開く音がした。
「そうか。まさかとは思ったが、お前が伸介とくっついてたのか」
予期せぬところから届いた浩一の声に驚く伸介であるが、隣の美夏はそれよりも強い驚愕を覚えたようで、直ちに声を上げた。
「えっ、おじさん、何でこんなとこに」
「よう、久しぶりだな、石
立ち上がって指差した美夏と目を細めて腕を組む浩一の姿を見比べながら、伸介はマスクの裏でただただ口を開けて呆然とするばかりであった。
二人を
「今から八年前だったかな。知り合いの老人ホームから頼まれて、最近、高校生のボランティアが来た後にじっちゃんたちの寝つきがやけにいいから見に来てくれと頼まれたんだ。それで、調べてみたらこいつのせいだったという訳だ」
美夏が普段は伸びた背を丸くしてコーヒーに口をつける。
その様は普段の快活さからはかけ離れ、どこか愛嬌のある姿であった。
「この石結いの美夏こと石沢美香の能力は二つあってな。一つには体液を介して相手の技力を吸い取る吸精の能力だ。それで、若い子が来ると気合の入った爺ちゃんたちと握手して、その汗を介して少しずつ技力を吸い取ってたんだ」
「え、大丈夫なんですか、そんなことして」
「まあ、量が多けりゃ俺が
その頃から背は高かったが、まだ高校生らしい丸みを帯びた身体つきも、今じゃあ大人の女のものになったなあと笑いかける浩一に、美夏は顔を赤らめる。
「それで、おじさんが呼び出したんでしょ。もし、伸介君に手を出すなって言うんなら、いくらおじさんの言うことでも聞かないから」
「そうなんですか、大将」
「まあ、まともに考えればそうだろうな。手を握ろうがキスをしようが一緒に寝ようが、伸介の技力が吸い取られる。特に深く交われば交わるほどにその量は増えるから俺が別れろ、と言うのが本筋なんだろうなぁ」
伸介が息を呑む。
確かに、二人の言うことが本当のことであれば、司書である部下の技力を吸う相手と付き合うのを看過することはできないことだろう。
美夏の睨んだ先にある浩一は、あくまでもこの一帯を管理する司書督なのである。
「で、美夏よ、お前は伸介のどこが気に入ったんだ? 技力か? それとも間の抜けたとこか?」
「違う。私が伸介君を好きなのは、どこまでも優しくて一生懸命だから。私を助けてくれた時も、最初のデートも」
美夏の言葉に顔を真っ赤にした伸介を認めると、浩一は声を上げて笑った。
「なら、やり過ぎるなよ」
「えっ」
「だから、やり過ぎるんじゃねぇぞ。お前の力は嫌でも少しは自然と出ちまう。伸介が枯れちまわない程度にしてくれときゃあ、俺は何も言わねぇよ」
浩一の笑い声が店内を包み、伸介の肩から力が抜け、手を震わせた美夏の瞳から一筋の光が流れる。
「まあ、それより聞きたいことがあるんだが、その様子じゃあ少し待った方がよさそうだな。まあ、これでもつまんで落ち着いたら教えてくれ」
そう言うと浩一はクッキーを乗せた素焼きの小皿を美夏の前に差し出すと、今度は伸介の方に向き直った。
「さて、こいつの方はいいとして、お前はもう少し周りを冷静に観察する癖をつけろ、伸介」
「いや、でも、技力が殆ど漏れてませんでしたし……」
「そんなもんがなくても、こいつと合ったときに出てくる疲れを考えりゃあ分かるだろうが。特に、事に及んだ後に重たくなるんなら疑わねぇと、お前、命がいくつあっても足らんぞ」
浩一の𠮟責に、伸介はその身を小さくする。
戦いの場においては抜群の働きを見せる部下のその姿に、浩一は一つだけ息を吐くと、それから優しく声で告げた。
「あと、これだけお前のことを見てくれるいい女に会えたんだ。こいつを泣かせるような真似だけはするんじゃねぇぞ」
「大将……」
「役目に絡んだミスならまだいいが、お前と似たこいつとの付き合いで間違いがあったときには、許さねぇからな」
浩一の言葉に立ち上がった伸介は、声を上げて頭を下げる。
窓外は電光と濃紺に覆われるだけとなっていた。
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