第12話 仕掛②
家に帰り着いた男は、付き纏った羽虫を手で追い払うと、そのまま雑魚寝して天井を眺めた。
加藤神社から藤崎宮に行き、それぞれで目ぼしい御朱印帳に技令を施したのであるが、慣れたこととはいえどうにもできぬものが心の中で渦巻くのを感じる。
この篠原丈二は二つ名を持つほどの技令士ではないのだが、師匠である「祈祷の由人」の下で祭壇技令の修行を積み、今やその片棒を担ぐほどには成長していた。
「お前達のおかげで準備が整ってきている。この力を以ってすれば、我々はこの地を裏から操ることも可能となる」
帰りがけに寄った由人の家で同志三人と共に告げられた丈二は、喜びとも悩みともつかぬ感情をぼんやりと浮かべ、それでも、恩を返すべく淡々と事を成そうとしていた。
「お前たちがまともに働けず苦しんでいるのは知っておる。もう暫くで、その心配も無くなる」
丈二は師匠の言葉を反芻して、溜息を吐く。
元は居酒屋で働いていたこの男は、しかし、年初からのコロナの騒ぎで仕事が大いに減り、やがてシフトに入ることすらなくなった。
元々は休みが減っただけであったのだが、彼なりに持っていた働くという生の原動力がこの合間に薄まってしまい、気付けば生きる張り合いを失ってしまっていた。
日々、家と近所の商店へ買い出しに出るだけの生活は、ただただ丈二を人間の役を演じるものへと変えてしまった。
それでも生きるには金が要る。
その金を何くれと無しに出してくれたのが由人であり、故に碌な貯金のなかった丈二もここまで生き長らえることができた。
その由人から力を貸すように言われたのは八月に入る前のことであり、
「お前の力を貸してほしい」
という一言に何かを取り戻した思いのした丈二は、二つ返事でこれを受けた。
そして、いくつかの神社を巡りながら、御朱印帳に術式を施すという日々を送ることとなった。
気が付けば眠っていたのか、部屋はすっかり暗くなってしまっている。
スマホの画面に映し出された二十時という表記が、急に空腹を呼び起こさせ、丈二を立ち上がらせる。
「飯を買わねぇと」
そう言って立ち上がり、徐に財布を掴んだ彼は部屋から出て階段を下りたところで、不意に意識が遠くなるのを感じた。
崩れ落ちた彼を、二人の男が抱える。
黒い軽バンが闇の中へと溶け込んでいった。
丈二は目を覚ますと、自らの四肢に架が嵌められ、何か金属の棒のようなものに据えられていることに気付いた。
狭い室内には他に男の姿が二つあり、その片割れはいかにも穏やかな目で丈二を見据えていた。
「おう、やっとお目覚めか。悪いなぁ、手荒などことをしちまって」
そう告げた男は、長い木の杖を丈二の右頬にに当て、そのまま、その腕に這わせる。
それに身震いした丈二は身を捩るものの、金属の乾いた音がするのみで逃れることはできない。
事ここに至り、丈二の顔から血の気が引いた。
「司書だけには気を付けろよ」
初めに師匠から告げられた言葉が丈二の脳裏を掠める。
一度捕まれば最後、何も知らぬ者に対して技令を行使した咎でどのような仕打ちを受けることになるかは分からぬ。
何事もなく進んでいたために忘れかけていた忠告は、しかし、今になって蝋燭に揺らめく現実となって表れた。
「俺を、どうするつもりだ」
「そうだなぁ、お前のしたことはおよそ分かっているが、お前達が何をしようとしていたかまでは俺も知らん。どうだ、お前の知っていることを全て吐けば悪いようにはせんが……」
丈二の喉が鳴る。
「お前も気付いているだろうが、俺は司書督林浩一という。お前が何も言わぬというのであれば言うように仕向けるだけだが、さて、どうしたい」
浩一の言葉に、丈二は逡巡するもその首を横に振る。
師匠を売るような真似は出来ぬという思いと、技令で吐かせようというのであれば対抗する術もあるという自信が丈二にはあった。
それを見透かしたかのように、浩一の左手には細く研がれた楊枝が握られていた。
「そうか。なら、考えが変わったら言ってくれ。お前もきっと、何かがあってこんなことに手を染めたのだろうからな」
「誰がお前なんかに」
丈二の捨て台詞を気に留めるでもなく、浩一は丈二の左の足元に近づき、徐にその楊枝を一つ、親指の爪の合間に当てがった。
「そ、そんな脅しに――」
言い終わるよりも早く、それは深々と刺し込まれ、同時に薄闇を
暴れようにも、逃げようにも、丈二はどうすることもできず、ただ、僅かに身を捩るばかりで耐えるより他にない。
「悪いなぁ。技令士らしく催眠技令で大人しく白状してくれる奴が多ければよかったんだが、そうもいかなくてなぁ。こうやって責めねばならなくなっているのさ」
浩一の穏やかな声は変わることなく、さらに、もう一本が左足の中指に突き立てられる。
悲痛な声が室内を満たし、伸介もなるべく聞かぬようにと耳を塞ぐ。
それでも、伸介は回復技令を丈二に施す。
優しさからではない。
突き立てられた楊枝をそのままに回復すれば、回復した端からまた傷めつけられ、故に激痛が走る。
余程の相手であっても、この責めに耐えられた者は僅かである。
丈二が知る限りのことを浩一に話したのは、それから五分ほどしてからであった。
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