第5話 捜査②
加茂川ですき焼きをつついた浩一は、二時前には話に聞いていた喫茶店へと入った。
上通の小路にあるその喫茶は老いた店主が一人で営んでおり、天井よりかけられたビニールカーテン越しにカウンターで向かい合う。
「ブレンドコーヒーを」
浩一の注文を受け、痩身の店主は一つ頷いただけでカップに湯を入れ、豆を挽き始める。
それだけで店の呼吸を呑み込んだ浩一は、
「煙草を吸っても?」
差し出された灰皿を引き寄せ、ショルダーバッグからマッチとグダン・ガラムの真紅の缶を取り出しつつ、熟達した店主の手つきを追う。
右手が描く円の緩やかさは経験に裏打ちされた自信に満ちており、それだけで客を安らげる。
やや長身の煙草に火を灯し、一連の儀式のような所作を見据えながら浩一はゆったりと息を吸う。
小さなバチバチという音が静かなクラシック音楽へ相槌を打つように響き、霞のように煙が広がる。
差し出された珈琲に口をつけ、大きく息を吐いた。
「お兄さん、同業の方だね」
だからこそ、店主の初めて利いた言葉に浩一はうち笑った。
「ええ。やっぱり分かりますか」
「どうしても、目つきが違うからねぇ。どうですか、お味は」
「いやあ、旨いです。まだまだ自分は未熟だな、と思ってしまいますよ」
店主の顔に喜色が浮かぶ。
白髪は淡い褐色の肌に映え、瘦身が浮かび立つ半袖のシャツは店主の有様を際立たせる。
小柄でありながらも、カウンターの奥に立つ姿はそのようなことをあまり感じさせぬ。
「昔は、僕もあちこちを回ってたんだが、ここ二十年は馴染みのところにしか行かなくなってねぇ。年を取るとどうもいけねえな」
「いえ、分かりますよ。俺も他所様の店を回るのは好きだったんですが、ここ数年は足が伸びなくなってますよ。でも、俺はまだ若輩ですから、回らないといけないんですけどね」
「いやいや、人を見りゃ大体の味は分かる。お兄さんの店もいいところに違いねぇ」
そう言った店主はマグカップに手をかけ、マスクをずらしてぐいとやる。
束の間見えた口元はやがて染め抜かれた紺に消え、その艶を隠した。
素焼きのマグカップは歪な形をしており、しかし、同時にこの空間を覆う壁と相似を成す。
浩一は再び煙草を吸うと、心地の良い沈黙を破った。
「ご店主、技令の気配が漏れていますよ」
浩一の一言に、店主の瞳が鋭く光る。
浩一は口元よりその歯を僅かに覗かせた。
この店主、名を村田昭一といい、昔は「妖盗の昭一」として知られた技令士であった。
とはいえ、人を傷つけるような真似をするようなことはなく、専らその力は技令にまつわる名品を掠め盗ることに用いられた。
それも使われて力を失ったものや多くあるところより奪うようにし、それが失われては困るというものには決して手を出さなかった。
その手口は、昭一の群を抜く勘所の良さと卓越した召喚技令に裏打ちされており、当時の技令士をして、
「尻尾を掴むことすら難しい」
と言わしめるほどであった。
それに加えて、時に大きな盗みをしてのけた際にはカードを残し、また、時には犯行予告を送り付けて盗み取ったこともある。
失敗はこれ一度きりというから恐ろしい手際の良さであったが、もう十年ほどはそのようなことから離れてしまっている。
ただ、昭一は自分を技令士と喝破され、僅かに動揺してしまっている。
無論、昔のことを追及されてしまえば技令士の掟としてただでは済まない。
今の昭一はそれより逃げる術などほとんど持ち合わせていなかった。
「お兄さん、何者だい」
「俺は林浩一という司書ですよ」
浩一の一言に、昭一は身構える。
とはいえ、昭一ができることなど限られてい、その逃げ道さえも浩一に塞がれている。
噂に聞く司書の拷問は凄まじく、とはいえ、素直に従おうともどのような沙汰を受けるか知れたものではない。
敵わぬまでも挑むか、それとも僅かな隙を突くかという昭一の逡巡は、しかし、浩一の笑声によって遮られた。
「いや、ご店主、これは悪戯が過ぎました。この見事な調度品がどこから来たかは存じませんが、きっとここに集まりたかったから集まったのでしょうな」
再び覗かせた浩一の歯を、昭一は静かに見据える。
気を緩めるわけにはいかぬものの、昭一の肩がやや緩んだ。
「俺も昔は人に言えないことをしていたんですよ。ですから、ご店主の悪戯を咎められるほど立派ではありません。それよりも、良ければ教えていただきたいのですが」
浩一がコーヒーに口をつける合間も、昭一は寸分たりとも目を離さない。
丁寧な口調とは裏腹に隠されたものを探らぬことには、昭一は油断できぬ。
「常連だった倉間芳江さんが亡くなられた件ですが、それを芳江さんの娘さんに知らせる前、使い魔か何かで芳江さんの部屋を確認されませんでしたか」
「どうして、そのことを」
「いえ、娘さんに連絡されながらご本人に連絡されていないのが気になりましてね。ともすれば、もう連絡しても無駄であるとご存じだったのではないかと思いまして。ただ、ご店主が手に掛けられたのでしたらお伝えするのも引っかかる。そうなると、心配になられて使い魔か何かで探られたのではないかと考えたまでですよ」
浩一の説明に、昭一は力を抜く。
ここまで詰められてしまってはどのようにしたところで、俎板の上の鯉でしかない。
そう悟った昭一は、静かにその口を開いた。
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