第4話 捜査①

 翌日、浩一は朝から街へと繰り出していた。

 熊本の繁華街は上通かみどおり下通しもとおりとに大きくは分かれており、縦断するアーケードを中心に数々の商店が立ち並ぶ。

 それを分かつ電車通りを前に、鶴屋は下通側の雄として堂々とした店構えを見せる。

 令和二年の二月までは熊本パルコがそれに並んでいたが、今では解体のための覆いがその威容を偲ばせるばかりである。


 そのような盛り場に、半袖のティーシャツとジーンズ姿で出たのであるが、厳しい暑さにマスクの裏で顔を顰める。

 前を行く男が頭を下げるようにして道を空けた。


(いかんなあ、この暑さには殺気立ってしまう)


 身を小さくするようにして、浩一は鶴屋の中へと入った。


 井川の話によると、亡くなった芳江は四階の婦人服の店によく顔を出していたという。

 そこで、浩一は手始めにそこへと向かったのであるが、特段異様な気配は感じられない。

 正しくは、着流しのような格好で一人婦人服売り場を彷徨う浩一自身こそが異様であり、いらっしゃいませという言葉が警鐘にも似て響き合う。

 三十ほどと思しき女性は浩一を鋭い目で追いながら、入らぬ客を手持無沙汰に待っていた。


(ふむ、カミさんを連れてくるべきだったか……)


 後悔しても遅く、一回りその姿を小さくせざるを得ない。

 それでも、芳江の贔屓にしていた店の前に来ると暫し目を閉じて、入念に残った技令の気配を探る。

 既に、芳江が訪ねてから相当な時間が経っており、杜氏の技令の跡が残っている可能性は限りなく低い。

 にも拘らず浩一がここを訪ねたのは、その凶行を繰り返さんとする者が何かを残していないか探るためであった。

 微かに香る方向に包まれながら、浩一はそのあてが外れたことを悟った。

 

(まあ、仕方のないことだ)


 そもそもが、司書の行う捜査というのは非常に地味なものである。

 何か目の前で大きなことが起きていればまだしも、相手もまた疑いのかからぬよう慎重を期す。

 そうなると狐と狸の化かし合いとなってしまい、半月でも一年でもかけて証拠を集めていき、その輪を縮めていくこととなる。


「ねぁ、あそこの男性、さっきから何されてるのかしら」

「なんだか薄気味悪い感じねぇ」


 いよいよ、浩一の耳にも届くほどの声で店員が話をするようになってきた。

 退くこととした浩一は、既に汗が引こうとしていた。


 一転して地下へ行くと、浩一はその堂々たる体躯をがに股で進め、前行く者を蹴散らさんばかりの威勢となる。

 とはいえ、淑女の多い店内においては浩一も流れに乗るかのように身をかわし、無暗にその威容を見せつけることはない。

 ただ、いかに波風立てぬようにしようとも、やはり目立たぬという訳にはいかぬようであり、

「あら、林さんのところの旦那さんじゃないですか」

と、腕をはたいて呼び止めたのは浩一の妻の友人である陣内智子であった。


「いやぁ、ご無沙汰しております。すみません、気づきませんで」

「何言ってるの。事務所からの戻りがけだったから仕方ないじゃない。あっちゃんは元気にしてるの?」

「ええ、おかげさんで。最近じゃあ、殺菌だ、感染防止だ、ってカリカリしてますよ」

「大丈夫よ、あっちゃんはいつもカリカリしてるように見せてたけど、そうやってうまくガス抜きしてたんだから。でも、調剤薬局なんて病院とほとんど同じでしょう、災難ねぇ」


 言葉とは裏腹に甲高い笑いが、周りを包む。

 黒い前掛けをした小柄な姿は、ただそれだけで大きく見えるようであった。


「それにしても、そんな黒い服着てマスクも黒だなんて、熱中症になるんじゃないの?」

「まあ、普段は店ん中ですから」

「気を付けないと、息子さんもまだ大学生でしたでしょ。稼ぎ頭が倒れてどうするのよ。うちの常連さんでも病院に運ばれたのが先週だけで三人もいて、もう、ただでさえコロナで人が少ないのに困っちゃった」

「ほう、そんなにですか」

「そうよ。しかも家ん中でですって。まだみんな六十過ぎたばかりなのにねぇ。だから、林さんも気を付けないとだめよ。五十も危ないんだから」

「ええ、肝に銘じておきます。すみませんねぇ、お仕事中に気を遣わせてしまいまして」

「あらやだ、そうだった。戻ってる途中だったわ。またお越しんなってね」


 慌てて戻る小さな背を眺めながら、浩一は再び意識を集中させる。

 件の総菜屋を覗く前に酒でも求めようと考えていた浩一であったが、先の話を聞けばそうもいかなくなった。

 確かに暑い時期とはいえ偶然が重なり過ぎており、何かあるのではないかと勘繰る方が自然であった。

 そして、微かな技力を放つものは意外なところから姿を現した。


 地下二階も奥にある酒屋の一角、日本酒が堂々と並ぶ中に蝉の絵の描かれた箱がった。

 明らかに滲み出る技力は自然にあるものではなく、何かしらの思いによってそこに存在していた。

 今のところ他人を害するような気配は発していないものの、場合によっては、口にした瞬間に発動する類の技令やもしれぬ。

 そも愉快犯である場合、あたり構わずに技令の起点にすることがあり、手を付けたもののうち残る一つである可能性もある。

 値札を確かめた浩一は、それを一つ買い求めて家で分析することとした。


 それから暫く巡行して外へ出ると、日も高くなり暑さはより厳しいものとなっていた。

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