第6話 捜査③
昭一の話では、不審に思ったのは芳江が最後に訪ねて四日目の夜であったという。
常であれば三日も空ける時には旅行や用事の話が出るものだが、それがなく四日も空いたというのは長い付き合いで初めてのことであった。
そこで、昭一は召喚体を秘かに送り中を確認したところ、変わり果てた芳江の姿を見つけたという。
とはいえ、自分がそのまま行けば不審に思われるのではないかと考え、翌朝になってから娘夫婦に連絡を取った。
「いや、僕も取り繕うのに必死で、付け入る隙を与えちまったなぁ。年は取りたくねぇもんだ」
昭一の言葉に、浩一は大いに笑った。
「それじゃあ、ご店主はそこに気配を残されたんですか」
「馬鹿を言うんじゃない。技令の気配なんざ残してたら盗みなんて出来っこねぇ。年を取って変わるのは身体が上手く動かねぇのと、気が弱くなることぐらいかねぇ」
一度うち笑った昭一の目を見遣って、浩一はしばし間を置いてから訊ねた。
間もなく二時を過ぎるというのに、客の入りはない。
「ご店主、中を覗かせた時に何か変わりはありませんでしたか」
昭一の顔から笑みが消える。
目の奥に一つ光るものが浮かび、薄っすらと顔色が転じる。
「変わったところはなかったが、もしかして芳江さん、誰かに」
「確証はありませんけどね。それでも、技令の気配が残っていたのを手の者が確認しています。ご店主の技令でなければ、恐らく単なる熱中症ではないでしょうな」
淡々と語りながら、浩一は店主の震えを見逃さなかった。
既に熱さを失っているコーヒーに口をつけると、苦味の奥に豊かな甘みが広がり、その奥で険しい表情を見せる男の姿が浮かぶ。
「ご店主、乗りかかった船ということで、一つお力を貸してくれませんか」
「む?」
「俺達は今、手に掛けたやつを探してるんだが、腕利きの密偵が欲しいところでして」
残った珈琲をぐいと飲み干し、浩一は告げた。
「じっちゃんみたいな腕利きがいてくれりゃあ、俺も百人力なんだがなあ」
店を後にした浩一は、上乃裏よりアーケードに戻り、並木坂に至る。
カジュアルな飲み屋に古書店、老舗の菓子店などの並ぶ一角は、やがて藤崎宮と上熊本とを繋ぐ大通りに繋がるのであるが、車に妨げられることもなく伸びやかに歩くことができる。
うだるような暑さの中で、近くの信愛女学院の生徒が一人で家路へ急ぐ様も見られ、清楚な紺が僅かに涼やかさを添える。
行き交った老夫婦は時にマスクをずらして暑さを逃がし、頻りに扇子で仰ぐ。
残暑厳しい折に出歩くもんじゃねぇな、と嘆きながら浩一は先のやり取りを反芻していた。
「へぇ、司書が僕みたいな盗人をねぇ」
浩一の申し出に、僅かに相好を崩した店主もまた、手元の珈琲を飲み干すとしばしの沈思に入る。
それを浩一もまた物言わずに見据え、待った。
「そこまで言われちゃあ、僕も乗らねぇとなあ。それに、芳江さんの弔いになるんなら、危ない橋でも渡ろうじゃねぇか」
「じっちゃんにそこまで危ないことさせるつもりはないが、その心意気、買わせてもらうぜ」
「ああ、好きに使ってくれ」
互いに名を交わし、笑ったところで初老の男性二人組が姿を見せる。
それを頃合いに、喫茶「もちの木」を後にした。
ゆっくりと歩を進めながら、浩一は今頃頓挫しているであろう伸介の初デートに思いを馳せていた。
(全く、頼るのはいいんだが、一つは手前の頭で考えねぇといけねぇ)
今の愚直なほどに素直な伸介の性格を好む浩一ではあったのだが、それだけに司書として働く上では危うさを孕んでいるとも思っている。
特に、相手は抜け目なくこちらを出し抜こうとする者達であり、それを相手とするには疑うことを知らねばならぬ。
これまでは運よく乗り越えてこられたものの、それもいつまでも続くものではない。
(まあ、変えて上手くいったんならそれでいいんだが)
笑い声を漏らした浩一は、通りの中ほどに在る古書店へと入った。
意識を集中させ、気配を探る。
古書店特有の香ばしい本の香りに包まれていると、それだけで本好きの浩一は満ち足りた思いがしてくるものだが、それに気を取られるわけにもいかぬ。
時に古書店に並ぶ本の中には、人手に渡るうちに思いが重なって技力を蓄えるようになったものや何らかの術式が施されたものもある。
故に、浩一も見回りの際には度々立ち寄るようにしていたのだが、コロナの騒ぎが始まってからはとんと寄り付かなくなっていた。
店主と挨拶を交わしてから半時ほど入念に確認したものの、特に技令の新たな気配は感じられず、以前に封印した召喚体の眠る本だけが怯えながら在るだけであった。
(どうだ、ここ暫く変化はねぇか)
(いや、浩一さん、何もございません。俺も何もしてません)
声を出さずに封印した召喚体に確認するが、やはり大きな変わりはないようである。
そもそも時に使い魔をして覗きに向かわせている以上、何かがあれば浩一も勘づく。
怯える奴らもまた、悪さをすればどうなるかはよく知っているため、浩一に歯向かうようなことはない。
(悪いな、脅かしちまって)
浩一はそう言い残して文庫本を二冊手に取り、買い求めてから外へと出た。
日が傾きつつあるものの、まだその暑さは和らぐことを知らなかった。
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