第3話 川辺の戦い

 夕陽が大地を赤く染めている。

 夕闇ゆうやみが迫る中、赤い光を背景に地平線の彼方からアニヒレートの巨大なシルエットが見えた時は、その場にいる全員が息を飲んだ。

 到達予定時刻よりかなり早い段階でその姿を視認できるってことは、アニヒレートがいかに巨大化しているかということを明示していた。

 その全長はおよそ120メートルと推定されている。

 初めて現れた時は15メートル程度だったことを考えれば、異常な成長速度だ。


 僕は今、ジェネットや神様と一緒にモンガラン運河のほとりに設営された作戦本部のテントの下にいる。

 同じテントの下にはアビーやブレイディーも一緒にいて、彼女たちは全軍へ指示を伝える伝令役として各種の準備に追われていた。


 ヴィクトリアはせま苦しいテントの下は性に合わないと言って、となりにある救護用の広いテントで昼寝中だ。

 ノアは翼をはためかせて上空高く飛び上がり、見物気分でアニヒレートの様子を見ているみたいだった。

 良くも悪くもマイペースな2人だけど、この緊迫した状況下で彼女たちがいつも通りにしていてくれるのは返って心強い。

 僕なんかただ座っているだけなのに緊張でソワソワしてしまっているからね。


 すぐ近くに大きなモンガラン運河が流れているせいか、風に乗って水の香りがただよってくる。

 シェラングーンから馬車で30分ほどのこの場所がアニヒレートを迎え撃つための前線にして最終防衛ラインになるんだ。

 もちろんシェラングーンにも街を守るための兵力を残してあるけれど、その兵力が戦わなければならないような事態になってしまえば、間違いなく街が火の海になることは避けられないだろう。

 アニヒレートは口から巨大な火球を吐き出すからだ。


「この辺りがモンガラン運河の中でも最も川幅が広く、水深も深い。アニヒレートを落とし込むには最も適した場所だ」


 そう言う神様と僕らは川岸の手前、街側にいる。

 そして川には複数の小船が浮かび、そこにも多くの兵士たちが乗り込み、川の中に仕掛けたわなの具合を確かめている。

 川の向こう岸には、より多くの兵士が展開していて、アニヒレートの接近を待ち構えていた。


【ポイント・ワンにアニヒレートが到達するまで20分の見込み。各自配置の最終調整をされたし】


 ブレイディーが発信する指令がこの場にいる全軍に伝わる。

 アニヒレートは平原を走り出したようで、遠くに砂埃すなぼこりが巻き起こっている。

 まだかなりの距離があるはずだったけど、巨大な魔物が近付いて来るその様子に、すでにこの現場にはピリピリと緊張感が張り詰めていた。


 作戦は立てた。

 準備も万端なはずだ。

 だけどあの巨大な魔物を目の前にして本当に僕らに打つ手なんてあるんだろうか。

 そんなものは無意味とばかりにアニヒレートに蹴散らされてしまうんじゃないだろうか。


 きっとこの場にいる誰もがそんな不安を抱えているだろう。

 そのうちの1人である僕は胸の中の不安を打ち消すように両手を組み合わせて強く握る。

 こんな時に僕の頭に浮かぶのは……ミランダの不敵な笑顔だ。

 彼女がそばにいてくれないだけで、こんなにも不安だなんて。 


 ミランダ。

 どうしてこんな大事な時に君はここにいてくれないんだ。

 こんな大変な状況でも、君がいてくれたら僕はこんなに不安を抱えずにいられるのに。

 ビビッてんじゃないわよ、とか言って彼女が僕のほほをつねってくれたら、どれだけ気持ちが軽くなったことか。

 ミランダがいないこの状況で、僕は最後まで勇気を持って戦えるだろうか。


 そんなことを思って僕は思わず頭を振った。

 そんな僕の様子を見て、となりにいるジェネットが心配そうに声をかけてくれた。 


「アル様? 大丈夫ですか?」


 心配してくれるジェネットの優しさに甘えて、僕は胸のうちを彼女に話した。


「ジェネット。今回の戦いでもたくさんの人がゲームオーバーになっちゃうよね。それが僕かもしれないし、僕の大事な……」


 そう言いかけた僕のうでをジェネットがグッと握った。


「アル様。戦場では誰にでも死の危険性があります。残念ながら命を落としてしまう方もたくさんいらっしゃるでしょうし、全ての人を守ることは出来ません。でも……アル様はそんなことおっしゃらないで下さいまし」

「ジェネット……」

「私はこの手で守れる人を出来る限り守り、この戦いに勝利することで街を守りたいと思っています。でもそれがかなった時、もしもアル様が帰らぬ人となってしまえば、私の戦いは負けたも同然です」


 そう言うとジェネットは強く握っていた僕のうでを放し、その手を優しく僕の手の甲に重ねてくれた。


「アル様。何があっても必ず生き残ると約束して下さいまし」

「ジェネット……うん。分かったよ。絶対に死んだりしないから。約束する」


 僕の言葉にジェネットはホッと息をついて安心したように微笑ほほえんだ。

 そうだ。

 不安を感じていたのは僕だけじゃない。

 ジェネットだって同じように不安だったんだ。

 あまり彼女に心配をかけないようにしなくちゃ。


 僕はそう思ってジェネットに微笑ほほえみを返した。

 気楽におしゃべりでもしてジェネットを安心させてあげなくちゃ。


「あのねジェネット。僕、実はさっきミランダのことを考えてたんだ。彼女だったらこの状況でも笑って戦いに向かうのかなって」


 そう言う僕の言葉にジェネットはフムとうなづく。


「そうですね。ミランダなら先陣切ってアニヒレートに向かっていくでしょうね。それが彼女の生まれ持った気質なんでしょう。彼女の横暴なところは決してめられたものではありませんが、あの精神力の強さは私も見習いたいと思います」


 ジェネットのその言葉は僕を勇気づけてくれた。

 そうだ。

 ミランダがいなくても僕は彼女の人柄ひとがらを一番近くで見てきたんだ。

 ミランダの心の強さの全部マネするなんてヘタレの僕にはとても出来ないけれど、ほんの少しでもミランダのような心持ちで戦えたら。

 そう考えると僕の心にのしかかっていた暗い重しが少し軽くなったように思えた。


「そうだよね。僕も見習わないとね」

「ええ。そうですとも。ところでアル様」

「なに?」


 変わらずに柔和にゅうわな笑みを見せてくれているジェネットは、いきなり僕の手の甲をキュッとつねったんだ。


「アイタッ! ジェ、ジェネット?」

「もうっ。私がとなりにいるのにミランダのことを考えていたのですか? そんなアル様にはお仕置きです」

「いや、あの……イタタタッ。ごめんごめん」


 いや、僕も何を謝ってるのか分からないけど、とにかくジェネットの機嫌を損ねてしまったみたいだ。

 彼女はめずらしくねたようにくちびるとがらせている。

 ジェネットとミランダは犬猿の仲だ。

 光とやみ、水と油。

 いつも衝突しては言い争う2人だ。


 作戦前のピリピリと張り詰めた時にミランダの話をしたから怒ってるのかな?

 そんなことで怒るジェネットでもないと思うんだけど……。


「アル様。どうして私が子供みたいにねているのか分かりますか?」

「わ……分かりません。ごめんなさい」

 

 とにかく素直にびる僕にジェネットは肩を落としてため息をついた。


「もう。本当に仕方のない人ですね。アル様は」


 そう言うとジェネットはつねられてわずかに赤くなった僕の手の甲を優しくでてくれた。

 そんなやり取りをしていると僕らの後ろからいきなり声がかかった。


「ハイそこのお2人さん。戦場でイチャイチャしない」


 振り返るとブレイディーがジト目でこちらを見つめていた。

 

「君たちね。はたから見ているとまるで百合ゆりカップルだよ。イチャイチャするのは戦いが終わってからにしたまえ。アルフリーダ君が男に戻ってから存分に好きなだけ互いをむさぼり合うがごとくイチャイチャしたまえ」

「イ、イチャイチゃなどしておりません!」


 ほほを赤らめてブレイディーに反論するジェネットは何だか普通の女の子っぽくてかわいかった。

 その時、すぐ近くで号令が鳴り響く。

 

「第一飛行部隊! 出立!」


 その声と共に多くの兵士たちがその場から飛び立っていく。

 彼らは皆、背中から翼を生やした獣人たちだった。

 鳥系の獣人達の中でも最も飛行速度の速いはやぶさ族で構成された第一飛行部隊。

 空からアニヒレートに接近する飛行部隊の中でも一番最初にアニヒレートに接触する、最も危険な任務に当たる飛行部隊だ。

 だからこそ一番速く飛び回れる彼らが編成された。


つゆ払いがうまくいくかどうか。それがまずは本作戦のきもだな」

 

 そう言う神様が陣取る座席の前には大型のモニターが設置されていて、今飛び立ったばかりの第一飛行部隊の様子が映し出されている。

 あらかじめ上空に飛ばしておいた無数の記録妖精たちから送られてきた映像だ。

 つゆ払い。

 第一飛行部隊の任務はアニヒレートの脚を封じることだった。


 総勢30名の彼らは一団となって編隊飛行を続け、運河近くの本隊から離れて単独でアニヒレートに向かって行く。

 彼らはものの数分でアニヒレートの頭上に差しかかった。

 モニター上にアニヒレートの巨大な姿が映し出されると、作戦本部にどよめきが起きる。

 

 確かにアニヒレートは以前よりもはるかに巨大化している。

 ダンゲルン、ホンハイを陥落かんらくさせたアニヒレート自身も激しい抵抗を受けたはずだけど、それでもなおそのライフは90000を切ることなく残っている。

 やっぱり並大抵の攻撃じゃあの巨神のような魔物にダメージを与えることは出来ないんだ。

 そんなアニヒレートの鼻先を第一飛行部隊のうち先行の10名が撹乱かくらんするように飛んだ。


「ゴアアアアアッ!」


 アニヒレートは苛立いらだってえながら2足歩行で立ち上がると、彼らを払い落とすべく前脚を振り回した。

 もちろん飛行部隊はこれを楽々と避けて飛び回る。

 我慢できなくなったアニヒレートは頭上の彼ら目がけて口から青い光弾を吐き出す。 

 

 遠く離れたここまで聞こえてくるものすごい轟音ごうおんと衝撃に僕は思わず身を固くした。

 そして光弾を避けたはずの10名のうち2人が、翼の制御を失ったように墜落していく。

 

「ああっ!」

 

 おどろく僕に、映像を見ていた神様もうなるように言った。


「むぅ。光弾射出の衝撃波によるショックで失神したんだろう。巨大化した分、アニヒレートの光弾は格段に威力を増している」


 な、何てことだ。

 避けてもその衝撃波だけで気絶させられてしまうなんて。

 もし直撃したら人の体なんて一瞬で消滅してしまうだろう。

 

 だけどそれでも第一飛行部隊は果敢かかんに任務を続行する。

 おとり組がアニヒレートを引き付けるうちに、残った20名がアニヒレートの背後に回り込んでいた。

 彼らは20名全員がその手に何かを持っている。

 それはひとつなぎになった巨大なあみだった。

 

 20名がそれを持ったまま散開すると、そのあみが広がっていく。

 彼らはそれをアニヒレートの後頭部に向けて落とした。

 おもりのついたあみはアニヒレートの巨体をスッポリと包み込む。


「ゴアアアアッ!」


 体にまとわりつくあみを嫌い、アニヒレートは雄たけびを上げて鋭いつめでこれを引き裂こうとする。

 だけどそのあみはアニヒレートの体に溶け込むように染み込んでいき、その毛皮に網目模様あみめもようをつけた。

 

「グアアアアッ!」


 途端とたんにアニヒレートは苦しげな声を上げ、その動きがにぶくなる。

 僕は事前に聞かされていたから知っているけど、あれは精霊魔法で編み込んだ特殊なあみだ。

 大地の精霊の力がアニヒレートにまとわりつき、その動きを止めようとする。

 今のアニヒレートは重荷をその身に背負わされた状態なんだ。

  

 もちろんアニヒレートの動きを完全に止めるまでには至らない。

 だけどこれでアニヒレートはもう走ることは出来なくなったはずだ。

 あれだけの巨体が走り出したら、とてもそれを止めることは出来ない。

 防衛ラインは簡単に突破されてしまうだろう。

 だからまずはアニヒレートの脚を封じたんだ。


 第一飛行部隊は失神して墜落ついらくした仲間を素早く地上から救助すると、すぐさまその場から離脱していく。

 怒りに燃えるアニヒレートはうなり声を上げて青い光弾を放つものの、第一飛行部隊はそれを避けてあっという間にアニヒレートの元から離れていった。

 よし。

 まず作戦の第一段階は成功だ。

 いのるような思いで戦況を見つめていた僕はひとつ小さく息をついた。

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