第53話 バチバチのスタート 【3249文字】

 九条とアミは、まだユイを探していた。会場の入り口や、選手の待合室、観客席や売店など、様々なところを探したが、見つからない。


「アミ。見つかったか?」


「ダメだな。……ったく、ユイのやつ。どこに行ったんだ?」


 もうすぐスタートの時間だ。選手たちの大半が、スタート地点に集まり始めている。

 もうすぐ、バスが出る。第2走者をバトンタッチの地点へと運ぶバスだ。アミはそろそろ、これに乗らないといけない。


「あ、いた!」


 アミが指さした先に、ユイがいた。自転車を持っていない。


「ユイ! 探したんだぞ。……あれ? 自転車は?」


「いやー、それが、の。拙者が第一走者の予定だったのでござるが、本人たっての希望で予定変更というか、なんというか……」


 もじもじと指を絡めたユイは、その指を会場に向けた。ここからではスタート地点の様子は見えない。が、そちらの方向がスタート地点であることは分かる。


「……よじろー殿が、拙者の代わりに第一走者を務めるらしいでござる」


「「え?」」






『それでは、スタートしますぅ。

 スタート方式は、一般的な自転車ロードレースに倣ってのマススタート。ペースメーカーとなるオートバイが先導します。その間に皆さんは、後ろをついて走ってくださいねぇ。

 スタートラインを越えたところで、オートバイが横に避けます。その瞬間から勝負開始ですよぉ。でも、いきなり先走って衝突しないように気を付けてくださいねぇ。

 あ、でもこういう時、少年漫画みたいに隣の女の子と絡み合って転んじゃって、ドキドキの展開とかも考えちゃいますよねぇ。うふふふ。あくまで事故を装ってくださいねぇ』


 実況者の三隅が言うと、会場が笑いに包まれる。朝のニュースキャスターでもある彼女の芸風として、すっかり確立された笑いだ。


「さー、直接対決と行こうかー。アキラさん」


「――驚いたよ。まさか本当に俺と戦うためだけに、走順を俺に合わせてくるなんてな」


 アキラはまっすぐ前に顔を向けながら、目だけを横に流して与次郎を睨んだ。もっとも、その視線はサングラスに隠れて見えない。

 オートバイが先導車として動き始めた。そのすぐ後ろに陣取ったアキラも、ゆっくりとママチャリを漕ぎ始める。


『レースのルールを再確認しますねぇ。今回はママチャリのみを使用できるルールの限定レース。この一台のママチャリを、チーム4人でバトン代わりにしていくリレー形式ですぅ。

 変速ギアの搭載は禁止。また男女差を埋めるために、チームに男性選手が一人いるごとに、1リットルの水が入ったペットボトルを1本積載してもらいますぅ。

 このペットボトルはどう積んでもいいですが、落としたらその地点まで戻って積み直してもらいますよぉ』


 与次郎のチームは、男性選手が二人。なのでペットボトルを左右に一本づつぶら下げている。重心を下げるために、後ろの荷台からパニアバッグのようにぶら下げる方式だ。

 一方で、


「うおっ……と。結構重いんだな。思った以上だ」


 アキラはペットボトルを3本、リュックサックに入れて背負っていた。登山用にも使えるリュックサックは、そのペットボトルをしっかりとベルトで抑え込んでいる。


(そっかー。直接自転車に乗せなくても、そうやって運ぶ方法があったのかー。身体への負担は大きそうだけど、重心を安定させるって目的なら意外とアリなのかなー)


 ゆっくりとスタートラインが近づいてくる。あれを越えた時、レーススタートだ。与次郎は運よく(?)最前列に近いところを確保できていた。もちろん、アキラも。


「えっと――オトヤって言ったっけ? 名前」


 アキラが隣から話しかけてきた。ママチャリも数十台が集まると、音がそれなりにうるさい。その中でも、アキラの声は何故かはっきりと聞こえた。


「あー。何だろう? 下の名前で呼ばれるのって滅多にないから、ちょっと自分でも不思議だよ」


「え? ああ、苗字で呼んだ方がいいか?」


「いや、気にしないでいいよー。ぼくもあんたのこと、アキラさんって呼んでるしー」


「そっか。じゃあ、オトヤくん。ひとつ聞かせてくれ。何で直前になって、走順を変えてきたんだ?」


 ――何で?

 そういえば、何でだろう?


(それは――)


 アキラと直接対決したかったから。……アキラに勝たないと、ユイに振り向いてもらえない気がして?

 いや、そんな子供じみた話じゃない。

 アキラとユイが同じ区間を走るのが、気に入らなかったから?

 いやいや、そんな嫉妬深い話じゃないし、今更そんなことを気にしたって仕方がない。

 なら、どうして?

 どうして自分は、アンカーだったはずの順番を変えてまで、先発を走っているのだろう?


「あー、わかんないや」


「分からない?」


「うん。自分でも分からないんだ。ぼく、どうしてこんなに焦ってるんだろうねー。……ただ、分かることもひとつだけあってさ」


「うん?」


「アキラさんにだけは、負けられないんだわ」


 与次郎も、自分の感情がよく分からない中で、それでも勝ちたい気持ちだけは湧いてくる。


「いいね。そういうの。俺は好きだぜ」


「え? そう?」


「ああ。俺がそんなに買いかぶられている理由が分からないけど、嬉しいね。全力で戦おう」


 ああ、なるほど。

 確かにアキラという男は、いわゆる『いい男』なのかもしれない。初対面だが、何となくそんな気がする。






 先導していたオートバイが、スタートラインを越えた。そのまま競技場の外側に抜けていく。つまり、ここから勝負開始だ。

 そのオートバイが抜ける瞬間、まるでテールランプの表面をかすめるように、アキラのママチャリが飛び出す。

 ロケットスタートだ。


『さあ、選手一同がスタートですぅ。みんなが必死にペダルを漕いで加速する中、一人だけまるで弾丸のように飛びだした選手がいますねぇ。

 チーム名、『輪学大学3年生』の不知火アキラ選手。急激に攻めていきますぅ。体力の残りを考えていないのか、脚にも車体にも負荷がかかる走りですぅ。

 ハンデとして背負ったペットボトル。その重ささえもペダルを漕ぐための力に変えての加速ですねぇ。アルミ製のフレームがギシギシと悲鳴を上げていますぅ!

 ……うーん。何かを思い出してムラムラする音ですねぇ』


 実況の三隅梨乃の声が、会場に響く。この放送は地方テレビでもインターネットのライブ配信でも流れているらしく、第2走者もそれを聞いている人は多い。

 と、それはさておき、


(体重+ペットボトルの重さで加速って――どんな筋力してたらそれが可能なのさー!?)


 動揺する与次郎も、すぐに気持ちを切り替える。追い付けないまでも、離されないように注意して追いかける。少なくとも、この競技場にいる限りはそれでいい。


『コースの紹介をしていきましょう。まずはこの競技場の200メートルトラックを3周。そのあと公道に出て、平地を走る単距離コースですぅ。

 ああっと! これはっ!

 先頭を走るアキラ選手。後輪をドリフト気味に外側に滑らせましたぁ。

 意図的なものではないですねぇ。おそらく競技場の土と、使っているタイヤの相性が悪かったのでしょう。やや蛇行しながらも、転ばずに体勢を立て直しましたぁ。

 その間に後ろに迫って来たのは、チーム名『ファッションカオス』第一走者、与次郎オトヤ選手。両者ともに譲りません』


 与次郎たちの車体は、ハンデとなる水入りペットボトルを、後輪の横にぶら下げる形でつけている。おかげで重心が低く安定しているのが特徴だ。後輪にかかる重量も増すので、横滑りを起こしにくい。

 アキラは後ろを振り返りこそしなかったが、三隅の実況放送を聞いて納得した。


(なるほどなぁ。さすがユイのチーム。俺たちとは違った作戦だが、いい戦法だ。それに加えて、俺に追い付いてくるだけのパワーを持ったオトヤ……警戒しておいた方がいいか)


 その後ろから、与次郎が追い上げてくる。


「ここからが本番だよー。アキラさん」


「よし、勝負だ。正々堂々やろうか!」


 競技場を3周――は終わった。ここからは白バイ隊に先導されながら、町へと出る。地面は土からアスファルトへ代わり、コーナリングのほとんどないコースへと続く。

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