第8章『ママチャリレース開催!! ~当日編~』【更新中】
第52話 決戦当日の朝 【3486文字】
夏休みも終わりかけた頃、ついにその日がやって来た。レース当日である。
会場は午前中から、大盛り上がり――と言ったら少し嘘になる。
「ま、こんなもんか」
「うーん。こんなもんだろうねー」
本来なら陸上競技場であるこの場所は、本日だけは自転車レースのスタート地点として使われている。観客席は出場者の身内などで満席だ。――逆に言えば、出場者の身内だけで満席になるほど小さな会場だった。
「おとやー!!がんばれー」
「しっかりやれよー」
40代くらいの夫婦が、
「あれは?」
九条が訊くと、与次郎はすぅーっと息を吸いながら後ろ頭を掻く。
「いやー、まあ……そのー、あれだよ。両親だねー」
「お前、オトヤって名前だったのか」
「――ってオーイ! そこなの!? こんなに一緒にいるのに名前さえ覚えてもらえてないのー!?」
「スマン。で、何でお前は与次郎ってあだ名なんだ?」
「苗字だよ! そっちも本名だよー!」
与次郎は膝から崩れ落ちた。直射日光で焼けたアスファルトが、彼の膝をじんわり過熱していく。
「熱っちぃ!?」
「座ったり跳んだり忙しいやつだな」
九条はこんな中でも、暑苦しいライダーズパンツを履いて汗ひとつ掻いていない。さすがにジャケットは脱いでおり、今はタンクトップ一枚だが。
やや遅れて、向こうから走ってくる人影が見える。この暑さの中でも元気いっぱいの少女。アミだ。
「よぉ。揃ってんな? ……ってあれ? ユイは?」
「さあな。まだ来てない。それよりもお前、その恰好……」
よりによって学校の陸上部ユニフォームで来ているが、それは部活動以外で勝手に着用していいものなのだろうか?
「いやー、この格好でまたここに来れるとは思ってなかったなぁ。地区予選以来だぜ」
「ああ、そういや陸上部はインターハイで引退だったっけ?」
「そうなんだよ。お、ヨジローも涼しそうなカッコしてんな。それ、なんてバンドのTシャツ?」
「え? いやー、ぼくもよくわかんない」
3人揃ったところで、スピーカーに『キーン』と音が入った。やや時間が空いて、女性の声がする。
その声は、この辺に住んでいる人なら知る人も多い。朝のニュース番組で聞く声だ。
『はぁい。皆さん集まってますかぁ? 今大会の司会および解説を担当する、三隅梨乃ですぅ。
現在時刻は12:00になりましたぁ。あと30分で、本日のメインイベントが始まりますよぉ。サイクル・チャンピオンシップin山口。ママチャリリレーですぅ。
エントリーは締め切りましたぁ。合計45組の出場、ありがとうございますぅ』
「あれって、三隅アナだよな。自転車レースの解説なんかできるのか?」
「あれ? 九条っち、知らないのー?」
「……何だよ?」
「いやー、あの人さ。半年前にあった日本縦断レースの実況解説してた人らしいんだよ。アナウンサーになったのも、その実績があったからなんだってさ」
「ふーん」
放送機材の向こうでは、三隅がルールの説明を続けている。あくまでママチャリを使う事や、変速ギアや電動アシストの使用が禁止されていることなど、いろいろ……
『――と、まあルールの説明はそろそろこの辺までとして、そろそろスタートする時間が迫っていますよぉ。
皆さん、自転車は準備できましたかぁ? 腰などを傷めないように、きちんと準備してから跨ってくださいねぇ。激しいのを期待してますよぉ』
「あ、第一走者のユイちゃんは?」
「つーか、アイツが自転車を持ってくる約束になってたよな。まだ来てないのかよ」
「アタシら自転車持ってきてないし、ヤバくない?」
まだスタートまで30分あるが、逆に言えば30分しかない。
「電話も出ないか。仕方ない。俺たちで手分けして探すぞ」
「よし、じゃあアタシはこっちを探す。九条はそっち。ヨジローはどこでもいいや」
「おーけー……あれ?」
さらっと戦力外通告をされた与次郎を置いて、九条は入場口の方へ。アミは観客席の方へと向かう。
「じゃ、じゃあぼくはこっちかなー」
行き場を失った与次郎は、会場の奥の方……他の選手たちが並んでいる方へと向かっていった。そっちの方にはいないと思うのだが、手分けすると言われた手前、二人と違う方向に行くしかない。
――数分後、与次郎はユイを発見した。
こういう時、ハズレだと思われた方にこそ、探し人はいるものである。失くした探し物が諦めた途端に出てきたり、期待もしていない懸賞に限って当選したり。
「あー、ユイちゃー……」
声をかけようとしたが、それを引っ込める。駆け寄ろうとしたが、その足が止まる。
ユイは一人でいたわけではなかった。
(誰だろう? 相手チームの人?)
すらっとした男性だった。こう言っては何だが、たかがママチャリレースなのに気合の入った、競輪選手のような恰好をしている。自分と同年代のようにも見える顔立ちだが、どこか大人びた雰囲気を纏っている。大学生だろうか。
その男は、ユイと何やら楽しそうに話していた。
(あ……)
そっと、男の手がユイの頭に乗る。撫でられたユイは、まんざらでもなさそうに目を細めて笑った。その手がユイの頬をなぞり、そっと下ろされる。
(――)
何だろう。このモヤモヤとした感じは。
ユイちゃんが他の男と一緒にいただけ。ただそれだけなのに、なんだか何かを取られたような気がしてならない。
もし自分が同じように手を伸ばし、頭を撫でようとしたら、ユイは笑って受けただろうか。
小さい頃からよく知る幼馴染の、全く知らない一面を見せられた。ずっと見ていたはずの少女が、誰とも知らない男に――
「お、よじろー殿!」
ユイと目が合った。名前を呼ばれて手招きされる。そうされたら、与次郎も行くしかあるまい。
「ユイちゃん。探したよー」
なるべく平静を装って駆け寄る。探していたのは事実だ。
「よじろう?」
ユイの傍らにいた男が訊いた。
「うむ。よじろーおとや殿でござる。拙者のクラスメイトで、今日のチームメイトでござるよ。アキラ殿」
「ああ、そうなのか」
アキラと呼ばれたその男性は、そっと握手を求めてきた。
「俺はアキラ。まあ、えっと――ユイとは……」
(呼び捨て?)
同じクラスの九条もそうだったが、あれはまだ許せる。九条が誰かに敬称をつけたり、愛称で読んだりする方が想像つかない。
でも、この男はどういった関係でユイを下の名前で呼ぶのだろう? 兄弟か? いやいや、ユイが一人っ子であることは、幼馴染の自分が一番よく知っている。
しかし、アキラも説明に困ったらしい。言葉を切ったまま、その続きを言わずに黙っている。
「そういや俺、ユイの何なんだ?」
などと、アキラ自身が言い出したくらいだ。
「うーむ……そうでござるな」
少し顎に手を当てて考えたユイだが、すぐに適切な説明を思いつく。
その説明は――
「アキラ殿は、」
予想に反して、
「拙者の――」
あるいは、予想通りの、
「初恋の人でござる」
もっともシンプルな回答だった。
「おいおい。他にないのかよ」
「何でござるか。本当の事でござろう?」
「まあ、俺だって女の子から告白されたのは、ユイが初めてだったけどさ」
「去年のキャンプの時でござったな」
アキラとユイの仲睦まじい会話を、館内放送が遮る。
『さあ、第一走者の皆様は、スタート地点に集まってくださいねぇ。選手の走順交代はまだ間に合いますよぉ。その場合はスタート地点にいるスタッフか、あるいは受付に申し出てください。まもなく開幕ですよぉ』
「おっと。行かねば。――ああ、スタートの時間が迫ってたから、よじろー殿は拙者を探しに来てくれたのでござるな。かたじけない」
「いや、まあ、そうなんだけど……あ、待ってよユイちゃん!」
与次郎の静止もむなしく、ユイはくるりと自転車ごと向きを変えて、スタート地点に向かってしまう。
「さて、俺も行かないとな」
アキラがサングラスをかけて、自転車のスタンドを蹴り上げた。その時、
「待ってよー」
与次郎は、アキラの腕を掴んでいた。
その後の事は考えていなかった。アキラの腕を掴んで何になるのか、それすら分からない。
「なんだ?」
「いやー、ちょっとお願いというかさー。アキラさん? だっけ。個人的なことで申し訳ないんだけどさー」
今日は与次郎にとって、一世一代の勝負の日。そして記念日になる予定だった。
ユイちゃんに告白する。その日だ。
でも、状況が変わった。与次郎がユイにOKを貰えるかどうか、という二択ではなくなった。
勇気の無い自分の心に打ち勝つ! しかしその前に、勝たねばならない相手が増えたらしい。
「アキラさん。ぼくと一戦、交えてくれないかな」
そうすることでしか、前に進めない状況があった。
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