第40話 チーム始動、新兵器登場 【2797文字】
「店長。頼んでおいた車体は出来たでござるか?」
ユイは珍しく午前中から、バイト先の自転車店に来ていた。奥から出てきた店長は、ゆっくりと一台のママチャリを持ってくる。
「出来てるよー。お代は給料から引いておくねー」
「うむ。カスタム費用はスタッフ割引でお願いするでござるよ」
今回、レースを行うにあたって、ユイは自分が普段乗っているママチャリとは違う車体を用意していた。
「ユイちゃん。これ本気過ぎない?」
同伴していた与次郎が、ユイに言う。彼の表情はすでに引き攣っていた。
「うむ。この車体だけで20万からの投資になってしまったでござるからな。もしレースに負けた場合は、大損でござる」
「だよねー……」
ロードバイクで20万なら、まあ割と普遍的な値段と言えるだろう。カーボンフレームなどは年々安くなっているが、それでも完成車で20万を切ることはほとんどない。
しかし、今回購入した車体はあくまでママチャリだ。破格の値段設定と言えるだろう。
「確か、優勝賞金が100万円だから、もしそれが手に入れば充分な儲けだねー。でも準優勝で50万円。そして――」
「3位で10万円。4位以降の賞金は無し。つまり拙者たちに、3位以下は許されぬでござる」
今回の大会は、意外と注目を集めていた。隣県からの出場者や、セミプロの参戦なども噂されている。SNSで参加表明をしている人だけでも、それなりに多くの人数がいた。
「ママチャリ限定レースというと、本来であればレースチームが見向きもしないものでござるが……」
「今回はまた別、ってわけかー。これだけの賞金が出れば、そりゃーねー」
「うむ」
自転車をまっすぐに見つめるユイ。その目は勝つことしか考えていなかった。なんなら、目の中に『100万円』と書かれていてもおかしくないくらいだ。
(やべーよ。ぼく、そこまで本気で考えてなかったよー……)
ちょっと面白そうなイベントで、あわよくばユイにカッコいいところでも見せたいとしか思っていなかった。そんな与次郎が、この責任を負うのは厳しいところだった。
まして、与次郎はこのチームでお荷物にしかなっていないのではないかという不安がある。
ルール上、チーム内に男子が一人いるごとに、追加で積む1リットルのペットボトルが1本増える決まりになっている。与次郎がいることで、このチームはずっと1L多くの重さを乗せて走らないといけない。
で、あるのに、与次郎はこのところ全然自転車に乗っていないのだ。一応身体を鍛えてはいるが、それも趣味の筋トレという形でしかない。
何より……
「ん? どうしたでござるか?」
「いや……」
単純な筋肉量が、自転車の――まして長距離レースの速さの指標にならないことくらい、与次郎にも分かっていた。
「んー……いい天気でござるな」
店から出てきたユイは、大きく伸びをする。運動することを前提にしているためか、今日のユイは軽装だった。
キャミソールにデニムのショートパンツ。くまのぬいぐるみに見えるのは、子供用リュックだ。彼女が小さい頃から愛用している品である。
その健康的な肉付きの手足は、決して太くもなければ筋肉質にも見えなかった。いや、実際には薄い皮下脂肪の裏にとんでもない質量の筋肉を持っているのかもしれないが、外見では一切確認できない。
(その身体のどこから、ママチャリで自動車を置いてけぼりにするほどの出力がでるんだか……)
触って確認するわけにもいかないので、本当にいつまでも謎の状態だ。
一方、与次郎も自分の身体を見る。小柄だがそれなりに鍛えた筋肉。まるで軽量級のボクサーのような身体に仕上がっているが、これが自転車で役に立つかどうかは、ユイを見ていると分からなくなる。
大きめのアロハシャツに、裾が広がったボクサーパンツ。このラフな恰好も、いざ何か言われたときに言い訳になればと思って選んだのだ。「いやー、空気の抵抗がー」とか……
(ま、最初から言い訳ばかり考えちゃうぼくが、ユイちゃんの足手まといになりそうなことくらい、分かってるけどさー)
などと考えると、天気と裏腹に表情が曇ってくるというものだ。友達から似合わないと言われてしまったティアドロップのサングラスで、それを隠す。
「あ、よじろー殿」
「ん? なーに。ユイちゃん」
「そろそろお主の車に自転車を積まぬと、拙者たちが昼飯を食う時間が無くなるでござるよ」
「おっと、そうだったねー。この車体なら、特にハンドルを下ろさなくても入りそうだし、サクッと積みますかー」
「うむ」
強く頷いたユイは、とてとてと与次郎に駆け寄ってきた。そして自転車のハンドルを持っていた与次郎の手に、彼女は手を重ねる。しっとりとして、少し熱いくらいの、しかし小さな手だ。
「今回は、お主を頼りにしているでござるよ。よろしく頼む」
「――」
ユイにそう頼まれたとき、与次郎は自分でも驚くほど、力が込み上げてきた。肩の荷を下ろしたような――と形容するなら、一体どれほど重いものを下ろせたのだろう。そう思えるくらい、
(……そうだよねー。ユイちゃんがぼくを頼ってくれるなら、ぼくも頑張らないとねー)
自転車運びでも、彼女を練習場所に連れて行く方でも、自分の活躍できる場所はある。まして「レースでは足手まとい」だなんて、誰も言ってないことを自分で勝手に心配しても仕方がない。
「さあ、やりますかー!」
「お、突然やる気でござるな。よじろー殿」
与次郎が自転車を担ぎ上げて、自分の自動車に乗せる。こうなることはあらかじめわかっていたので、最初から後部座席は倒している。フルフラットだ。
「んー?」
「お、どうしたでござるか?」
「いやー、なんか、思ったよりずっと軽いなーって思ってさ。ぼくが昔乗ってたのもアルミフレームのママチャリだったけど、ここまで軽かったかなー?」
その与次郎の問いに、ユイは得意げに答えた。
「ふっふっふ。フレームだけでは自転車の重量は決まらぬよ。今回はレース用のパーツを大量に使ったでござるからな。そっちでかなりの軽量化に成功したはずでござる。もともと15キロあったのが、計算上では10キロを切るでござるよ」
「マジで!?」
素人の与次郎でも、こうして数字化されると驚くものがある。都合、この車体3台で、通常の自転車の2台分の重さしかない。そこまで軽量化するのは簡単じゃないだろう。
「あ、ユイちゃーん」
チーフメカニックの店員が、ユイを呼び止めた。ちょうどいま出勤してきたようで、まだ整備用エプロンも着けてない。
「あ、チーフ。どうしたのでござるか?」
「うん。ルリちゃんから伝言があったんだ。『くれぐれも、無茶な改造や負担のかかる走りをしない事』ってね」
「……分かってるでござるよ」
ユイは昔、それで愛車を一台、廃車にしてしまった経験がある。その時もルリは親身になって叱ってくれて、それから一緒に新しい自転車を探してくれた。
「今回は、そんな無茶をしないでござる」
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