第30話 エピローグ 【2015文字】
その後の話を、少しだけ語ろう。
その痴漢は無事逮捕され、余罪を追及された結果、一連の犯行を認めた。この町にようやく平和が戻った――などと言えば大げさかもしれないが、一件落着である。
そして、
「九条殿は免停でござるか?」
「冗談だろ。今回は厳重注意で済んだっての」
九条の処分については、意外とあっさりしたものだった。状況が状況だったので、さほど大きな問題として扱われなかったのである。警察からも、学校からも。
「まあ、俺もぶっちぎりでスピード違反だったし、相手を蹴り飛ばしちまったからな。もっと何か言われると思ってた」
「そう言えば、あの時のお主、以前よりも速度が出ていたのではござらぬか?」
「ん? ああ、まあな。俺もあんなに出せると思ってなかった。つーか、あんなに出してたのに気づかなかったよ」
「どのくらいだったのでござる?」
「時速50キロオーバー」
不思議と、あの時はそれを速いと感じなかった。いつもなら30キロだって速く思えているはずだったのに、だ。
車体は安定していて、周囲の細かい障害物も見えた。今までは勝手に走るじゃじゃ馬みたいだったオートバイが、その時だけはまるで自分の手足のように使えたのだ。
(まあ、二度とやらんけどな)
妹も心配だったが、それ以上にユイが心配だった自分にも驚いた。『お兄ちゃんがバイトすっぽかして誰かの心配なんて、珍しいじゃん』と妹に言われたときは、何も反論する言葉が見つからなかったほどだ。
「ふふふー」
ユイの笑い声が聞こえた。彼女の真新しいセーラー服が、廊下の窓から入る風にひらひらとなびく。
「どうした? ユイ」
「いや、ちょっと自分でも不思議だったのでござる。あの時、なぜかあのエンジン音だけ、九条殿だと分かったのでござるけどな。まさか本当に九条殿だったなんて」
「何だそれ? どこに笑う要素あったんだよ?」
「いや、我ながらよく信じられたものだと思ったら、おかしくて、のう」
自分がひどい目を見た後だというのに、ユイはそんな様子をかけらも見せなかった。きっと本当に大したことじゃないと思っているのだろう。大物というか、なんというか。
「ああ……でもちょっと分かる気がする」
「うむ? 九条殿もでござるか?」
「ああ。ユイに呼ばれたような気がして公園に駆け込んだけど、本当にいるなんてな」
「いや、確かに呼んだでござるよ。大声で」
と、ユイは主張するが、実際のところ聞こえなくても無理はないだろう。距離も離れていたし、エンジンの音などもあったのだ。
それでも、九条には伝わった。
「その大声が出せるなら、俺じゃなくても誰かに聞こえただろ」
「仮に聞こえたところで、その人が助けてくれたかどうかは分からぬでござるよ」
「……」
学校の廊下。柱に寄り掛かっていた九条は、ゆったりと重心を移動して立ち上がった。
「そろそろ授業が始まるぞ」
「おっと、そうでござるな」
ゆっくりと歩く九条の横を、ちょこちょことユイもついていく。
「そうだ。この件でござるが、誰にも内緒でござるよ」
「はいはい。分かってるよ」
「絶対でござるよ。フリなどではないでござるからな」
「そのつもりだが、念を押されると逆に広めた方がいいのかと思っちまうな」
「違うでござるからな!」
地方新聞には、痴漢が逮捕されたことだけが載ったらしい。そこに関わった高校生たちがいたことは、本人たちたっての希望で秘匿だ。
九条としては、あまり自分の走り方が褒められたものではないと自覚していたから。ユイにしてみれば、これ以上の都市伝説扱いなど求めていないから。
「普通に生きるとは、かくも難しいものなのでござるな」
「普通になりたいなら、その喋り方から変えてもいいんじゃないか?」
「そんなことしたら、また周囲から『ユイちゃん今日はどうしたの?』って言われるでござろう? ひとたび定着したイメージは、戻すことが出来ぬ運命なのでござるよ」
「そんなもんかねー」
「うむ。きっかけが欲しいでござる。例えば、恋人でも作ってしまえば『彼が直せっていうから』とか言い訳が出来るでござるけどな」
「それもそれで想像できない絵面だな」
「むー。どの辺がでござるか」
「お前に恋人が出来たらって例えから、だ」
「そんなことないでござろう! あ、ちょっと待つでござる。勝手に話を切り上げて席に戻るでないわ」
ガラガラと教室の扉を開けば、またいつもの喧騒が戻ってくる。また友人たちがユイを囲み、九条もすかした態度で自分の席に着く。
普通の女子高生こと、天地ユイの日常は忙しい。学校にバイトに、それから遊びの予定。さらに事件やら何やら……もう大変である。
今日もまた、何かしらの出来事が彼女に訪れる。そのたびに彼女は周囲を振り回したり、振り回されたりするのだろう。――彼女が中心にいることからも分かる通り、振り回す方が多いと思うが。
そのたびに、ユイはなんだかんだ言いながらも走ってくるのである。
愛用のママチャリで、どこへでも。
たとえ少しくらい、遅刻したとしても。
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