第27話 chase.1 【1747文字】

 学校から家までの直帰というのは、ユイにとって退屈なものだった。体力もそれなりに余っている。となれば――


(少し、いつもと違う道を走って帰るのもいいかもしれぬな)


 遠回りでも、楽しいと思えるほうがいい。自転車好きなら誰しも経験する、あの思考である。知らない道も多いが、その方が楽しい。だいたいの方角さえ合っていれば、あとは知っている道に出ることも多いのだ。


(冒険でござるな)


 ユイの血が騒ぐ。なんとなくだが、駅が呼んでいるような気がした。ので、そちらにふらりとハンドルを切った。

 日差しは暖かく、風も穏やかだ。あえてゆっくりと道を走れば、いろんなものが目に入った。商店の看板や、買い物に行く人たち。それに混じって、自分と同じセーラー服や、見慣れた学ランも混ざる。


(これほど人が多ければ、白昼堂々と襲撃はされそうにないのでござるが……)


 しかしこの道は、イアがよく登下校に使っている道だ。イアとユイは家が近いが、その登校ルートには大きな違いがある。イアは最寄駅から電車を挟んでの自転車通学。一方のユイは電車を一切使わない。


(イア殿がどの辺で被害にあったかは分からぬが、警戒はしておくか……む?)


 目の前を、2台の自転車が並走していた。いずれも同じ学校の生徒だろう。自転車のリアフェンダーに貼ってある通学証明ステッカーの色で、学年が分かる。1年生だ。


(ふむ……まあ、自転車でも横並びは、本当は違反なのでござるが……)


 周囲に車も少ないし、まあいちいち注意して回る必要も無いかと、ユイは楽観的に考える。自分が彼女らを追い抜くことがあれば、その時は自分が気を付ければいいだけだ。

 そして実のところ、追い抜く気も無かった。今日はのんびりとサイクリングだ。ペダルを止めて、ハンドルに肘をついて、もたれかかるように身体を丸める。こういうゆったりとした走り方も、ユイは好きだった。




 そんなユイに、後ろからロードバイクの男が接近してくる。ユイが見たことのない車体だ。


「む?」


 その男は、急いでるわけでもなさそうに、ふらふらとユイを抜いた。ユイの横すれすれ――少しでもハンドル操作や路面コンディションが悪ければ、ぶつかっていたほど近い間隔だ。

 そのロードバイクは、次に少女二人に接近していく。



 一瞬だった。

 並走する二人の少女のうち、右側を走っていた子の胸元へと、その男が手を伸ばす。そのまま減速して、触れたように見えた。


「――!!」


 ユイも後ろで見ていて驚いたが、その少女の方が驚いただろう。彼女は急ブレーキをかけて止まり、その結果、左側にいた友達にぶつかりそうになる。

 二人分の大きな悲鳴は、後輪ブレーキの音と混ざり合って響いた。白昼堂々の、あまりにも大胆な犯行。その異様さに周囲が気づくころには、犯人は速度を上げて逃走している。


「大丈夫でござるか?」


 ユイはひとまず、その少女らに声をかけた。


「だ、大丈夫です。でも、びっくりしちゃって」


「今の人、うわさの?」


「うむ。おそらくそうでござる」


 二人に怪我はない。そして、触られた様子でもない。どうやら犯行自体は未遂に終わったらしい。


(――とはいえ)


 そういう対象として狙われた。それだけでも恐怖だっただろう。


(イア殿も、こんな風に……)


 ユイの中に、どんな感情か分からない気持ちが渦巻く。これが怒りとかいう感情であるなら、ユイは今まで怒ったことが無い、となってしまうだろう。


「あ、あの……」


「すまぬ。拙者、あやつを追うでござる」


「え?」


 まるでカタパルトに押し出される戦闘機のように、ユイの車体がはじけ飛ぶ。相手の車体はすでにコーナーを曲がり、姿を消している。それでもユイは、小さな痕跡を見落とさずについていく。

 身体が熱い。ペダルはいつもより数段軽く感じて、速度が速いのも理解できる。が、それでも周囲の景色はスローモーションのように遅く感じた。

 軋むペダルが、しなるハンドルが、パワーを支えきれないフレームが、もどかしい。


(すまぬ。拙者のママチャリよ。今だけ力を貸してほしいでござる)


 曲がり角の先に、その犯人の姿は無い。ただ、カーブミラーにちらりと後姿が見えた。

 ジャリジャリと、ママチャリについているベルを連打するユイ。カーチェイス中であることを周囲に伝える目的と、それから相手への威嚇だ。


「逃がさぬよ!」

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