第25話 ユイの奮闘日記 【3268文字】
お子様連れのお客様というのは、それなりに多い。だいたいが子供用自転車の購入目的などで、今では男女問わずMTBタイプが売れているようだった。
もっとも、マウンテンバイクとは名ばかりの、あくまで玩具みたいな車体だ。実は2階のスポーツバイクコーナーに行けば、本格的な子供用MTBもあるのだが。
「ぱぱー。へんそくギアー」
ガチャガチャと、6歳くらいの子供が店内のディスプレイ自転車を弄りまわす。あの辺は大人用のコーナーで、その子供には乗ることが出来ないだろう。
「ああいうの、いいの?」
なんとなくそれを見ていた九条は、これまたなんとなく隣にいたルリに聞いた。というより、反応が無ければそれでもいい独り言のつもりで呟いたことだった。
しかし、ルリは直立不動の姿勢のまま言う。
「当店では、変速ギアのコントローラーと本体とを、接続しない状態で展示しています。理由のひとつとしては、お客様が勝手に操作してしまった場合の破損を防ぐため、ですね」
自転車の変速ギアは、大きく分けて外装式と内装式に分かれる。歯車が何枚も重なっているのが外装式。その歯車が一枚しかなく、車軸の中に変速機が組み込まれているのが内装式だ。
外装式ギアの場合、ペダルを回しながら変速しないと、きちんと作動しない。その状態で無理やりコントローラーを弄れば、重大な破損に繋がる。
「当店でも、元々は『変速機に触らないでください』とポップを立てていたのですが、やはり触られるお客様が多いですね。なので接続を切った状態で展示するということになりました」
「ふーん」
テーブルに肘をつき、頬杖をつく九条。退屈からか脱力しきっている。
なので、次の瞬間に起きた出来事に、九条は対応できなかった。
並んでいた自転車が、子供の手によって引き倒されたのである。
もともと身長の低い子供が、無理をしてハンドルに触っていた状態だった。これは予想が出来たことかもしれない。
その場から遠く、また緩み切っていた九条に出来たことは、目を見開くことくらいだった。ルリに至っては、一歩前へと足を踏み出すことしかできない。
このままでは、子供の頭上にフレームがぶつかる。と思った時――
「危ないでござるよ」
ユイがひょうひょうと、そのサドルを掴んで元に戻す。
「う、うわあああああん!」
「おお、よしよし。ビックリしたでござるな。勝手に弄ると危険でござる。何か気になる商品があったら、拙者たちかパパかママに言うでござるよ」
エプロンに泣きつく子供を、ユイが撫でて落ち着かせる。……と、そのついでなのだが、頭を触りながら、万が一にも怪我が無いか確認していた。もしも当たっていたらいろいろ大変である。
ついでに、倒れた自転車にも傷が無いか確認……は後回し。どうせすぐに買い手が付く車体でもないし、同型が在庫として倉庫にあるのだ。店頭にしか在庫が無いモデルではない。
「ほら、鼻をかむでござ――拙者のエプロンではダメでござるよ!? こっちのハンカチに……ああ、もう遅いでござるな」
「うー、あ、ごめんなさい。お姉さん」
「いや、よいよい。あ、でも自分の袖で拭くのはダメでござる。それは服が汚れるでござるからな。ほら、こっち」
ハンカチを手渡しつつ、にこやかに対応する。と、そのうちに親御さんがやってきたようだった。
「ふーん。意外とやるんだな。ユイ」
様子を見ていることしかできなかった九条が、そっと呟いた。ルリもその表情を崩さず、出しかけた足を戻しながら答える。
「ええ。お子様が相手となると、ユイはこの店一番の働きをします」
「あんたよりも、か?」
「私が接客すると、お子様は怖がるんですよ。何がいけないんでしょうね?」
(その能面みたいなツラだろ)
と、口元まで出かかった言葉を飲み込む。
その後も、妙にユイの接客は目立った。――そう、目立ったのだ。
例えば、レーシングジャージを着た集団が入ってきた時もそう……
「いらっしゃいませーでござる」
「ご無沙汰してます。ユイお嬢」
「誰がお嬢でござるか」
「お嬢と呼ばせてください。そして次のレース、是非とも俺たちに助太刀してください」
「嫌だと言ったでござろう。助けるのは一度だけ。その約束でござったよ?」
「車体は貸します。なんなら今度はジャージも」
「ダメでござる」
例えば、老人が入ってきた時も、
「電動アシストって奴なら、転ばんかの?」
「うむ。ペダルの踏み込みが軽くなるので、余計な力を入れなくて済む分、バランス感覚に集中できるでござるよ」
「足腰が弱ってきてのう……」
「うちのお爺ちゃんも、同じことを言っていたでござる。拙者がその時オススメしたのは、こちらの車体でござるな」
車いすの外国人が入ってきた時も、
「この車椅子を自転車みたいに出来るやつ、調整お願いします(英語)」
「あ、あー、おーけぇい。おぅけーい。いんでぇっくす、せってぇぃんぐでござーるなー(英語?)」
「よろしくお願いします(英語)」
「えー、あー……ぷりーず、たあいむ。明日までにぱーふぇくとにしておくでござーる(英語っ!)」
「……何だ今の?」
「おお、九条殿、見ておったのでござるか」
「ああ。で……自転車屋ってのは、車椅子も扱ってんのか?」
「うむ。自転車と足回りの部品は共通であることが多いので、扱っている店は多いのでござるよ。パラリンピックなど見ていると、ホイールに競輪やロードバイクでおなじみのロゴを見かける事も多いでござる」
「パラリンピックか……そういや中継をなんとなく見たことはあるけど、車いすのホイールなんか注目してなかったな」
ぼんやりと言う九条に、ユイは謎の装置を見せてくれた。一本の棒があって、その端っこには自転車のペダル……いや、ペダルの代わりにハンドルが付いたような歯車。もう片方の端っこには小さな車輪がついている。
「何だそれ?」
「先ほどの、デイビット殿から預かった車体でござる。これを車椅子の正面に取り付けると、自転車のように扱えるのでござるよ。足踏み式ではなく、手で漕ぐのでござるけど」
「ふーん」
見たことも無い謎の物体を見ながら、こんなものも自転車店で扱うのかと、九条は感心した。
ついでに、学校では見ることが出来ないユイの意外な一面も、ずいぶんと見た気がする。自分勝手で子供っぽい性格に見えたユイも、こうして観察していると上手く相手に合わせているものだ。
「あ、九条殿の自転車、もう少ししたら調整が完了するでござるからな。今、チェーンとタイヤが交換されたところでござる。料金は先にお伝えした通りでござる」
座っている九条に目線を合わせるためにかがんだユイは、また謎の機会を持って店の奥に行ってしまう。
(ママチャリなんか乗ってる奴なんて、ただ免許を持ってないだけか、あるいは金額の高いレース用自転車が買えないだけだろうと思っていたけど……そんなことはないんだな)
ロードバイクやマウンテンバイク。必要であれば車椅子までの知識と理解を持ち、それでいながら、ママチャリを本当に愛しているのだろう。
また、新しい客がやってきた。孫に一輪車を買ってあげたいという老婆だ。
「はいでござる。一輪車というと、外でお使いでござるでしょうか? それとも体育館のような室内用でござったでしょうか?」
少々、言葉遣いにバグがあるのはさておき、どんな車体にでも一生懸命に向き合う彼女を見ていると、
(俺の悩みなんて、何だったんだろうな)
九条が今やるべきことが、少なくともここでユイを眺めている事じゃないのはわかった。
ただ……
「九条殿」
「ん?」
「自転車、出来たでござるよ。拙者はタオルで拭いただけでござるが」
そう言って、持ち込んだ時よりは綺麗に磨かれ、余計に錆などが目立った気がしないでもないママチャリを持ってくるユイ。
「店の前までお持ちするので、すまぬがレジでお会計ののちに、拙者のところまで来てほしいでござる。一応、駐車場で試乗していただいてから正式なお渡しでござるよ」
「ああ。わかった」
せっかく点検整備をしてもらったのだ。たまにはちゃんと、このママチャリにも乗ってみよう。そう決意する九条であった。
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