第24話 九条、来店 【3715文字】
日曜日。それは、多くの学生にとって休みである。そして、ユイにとっては朝から忙しい日だった。
ショップのアルバイトにしてみれば、この日曜日が一番忙しいと言ってもいい。店長やメカニックたちは、平日の事務処理やメーカーとのやり取り、あるいは新車の組み立てが一番忙しそうだが。
「おはようござるます」
「ユイ。おはようございます」
ユイより数分早く到着していたルリは、もうエプロンをつけて出勤準備をばっちり決めていた。うっすらとファンデーションを塗り、血色が悪くならない程度にチークとリップを乗せたその顔は、もとの良さと相まって綺麗だ。
「早いでござるな。ルリ姉」
「私はメイクなどに時間がかかりますので、当然です」
「拙者はしたことが無いでござる」
「私だって普段はしません。ユイも高校を出ると、いろんなところで必要に駆られますよ」
「そういうものでござるか」
学校が無い日にもかかわらず、ユイはいつものセーラー服で来ていた。これが高校生にとっては正装で、何よりノーメイクの許可証になっているのだが、ユイ自身は『バイト先に言われたからこの格好をしている』だけの認識である。
「さ、朝礼が始まりますよ」
「うむ。あ、あー……コホン」
日曜日の朝礼は、土曜日に比べれば短い。実は土曜日の朝礼が他に比べて長いだけなのだが、そもそも土日しか朝礼に参加しないユイたちは知る由もないだろう。
こうして、彼女らの日曜日が始まるのであった。
大した連絡事項もないまま、ただ接客マニュアルを読み上げるだけの暇な朝礼を、適当に終える。あんなものを真剣にやっているのはユイだけだ。
「んっ、しょ……」
シャッターを開けて、外に出るユイ。そのあと店の展示品である自転車を数台、外に並べる必要がある。それからコンクリートブロックに幟も指してこないといけない。
「面倒でござるな……ん?」
その駐車場に、珍しい男が立っているのを見つけた。短いおかっぱ髪を風になびかせて、眩しそうに看板を見つめる男……
「九条殿。どうしたのでござるか?」
「おお、ユイか。奇遇だな」
奇遇もへったくれも無い。ユイがここでバイトしていることは、九条も知っているはずだ。
その九条だが、今日はいつもの原付に跨ってはいなかった。乗っているのは、古びたママチャリだ。
「珍しいでござるな。お主が自転車なんて」
「まあ、な。昔、俺が使ってた車体なんだ。たまには整備して乗ろうと思ってさ」
「そうでござったか。それじゃ、お客様一名、ご案内でござる」
ユイはぱぁっと嬉しそうな顔をして、うやうやしく九条を迎え入れる。なぜ嬉しそうなのかというと、
「あ、ルリ姉。拙者はお客さんが来たので、その対応で忙しくなるでござる。あとの開店作業はよろしく頼んだでござるよ」
こうして、面倒な仕事を同僚に押し付けられるからだ。
交代でやってきたルリは、店内の通路に置かれたママチャリを重そうに動かし、外に並べ始めた。この時、スタンドは足で蹴るなと教育されているため、必ず手で稼働させる。
「さて、九条殿。ママチャリをお預かりするでござるよ」
「お、おう。頼む」
手渡されたママチャリを、そっと手に取る。まっすぐ横を向いた一文字ハンドルに、あえて外された前カゴ。ユイのママチャリよりもずっとスポーティな見た目の車体である。
「残念ながら、点検が出来る資格を持ったメカニックが、いま不在なのでござるよ。12時から出勤で、それから最大で1時間ほどかかるでござるから、13時まで預かる形になってしまうでござる。それでもいいでござるか?」
「んー、まあ、俺は今日ずっと暇だからいいけどさ。その間は店内で待っていてもいいのか?」
「いいでござるけど……普通はお渡し用の預かり書類を書いて頂いて、外で適当に暇をつぶすものでござるよ。なんなら後日引き取りに来てくれても構わぬ」
「あー、ほら。あれだ。俺、そのチャリで来てるからさ。預けちまうと、どこにも行けないんだよ」
「あ、それなら一度自転車で帰って、12時以降にもう一度来店してくれても――」
「いや、面倒くさいからここにいる。それでいいだろう」
「……うむ。構わぬけど、こちらも大したサービスは出来ぬよ?」
「いいさ」
「?」
どこかそわそわと、店内を見回す九条。まるで何かを探しているようだったが、ユイにはよく分からなかった。
「まあ、そこの待合スペースのテーブルは自由に使っていいでござる。店内を見て歩くのもご自由に……それと、何かお探しの商品がありましたら拙者に声をかけてほしいでござる」
「ああ、すまんな」
整備スペースの隣にある、待合スペースの椅子に腰を下ろす。そうしてテーブルの上に並べられた適当な専門雑誌を、これまた適当に開いた。あまりに適当だったので、雑誌の上下が逆である。
(俺は、何をしに来たんだろうな……)
九条は軽くため息をつき、まだ自分以外の誰も通っていないだろう自動ドアを眺め始めた。
彼の脳裏に、先週の海での話が残っている。イアが言っていたことだ。
『そう言えば、ユイちゃんの初恋の相手も、自分の愛車に夢中な人だったんだよね』
『あー、フラれちゃったんだっけ? バイト先の常連さんでしょ?』
(ここに来れば、そいつに会えるわけでもない。仮に会えても、だからって話すことも無い。なら俺は、本当に何を……)
わざわざ使いもしない、なんなら処分間際だった自転車を、倉庫の奥から引っ張り出して――
本当に、自分でも何がそんなに引っかかっているのか、九条は全く分からなかった。
手に取った雑誌に目を落として、それが上下逆であることに今更気づく。正しい方向に持ち替えて、読んでいる振りをしてみた。
(……)
何が書いてあるのか、さっぱり分からない。少なくとも今年のレーシングマシンのインプレッションなどが、プロ選手の目線から語られている事だけは分かる。このへんは九条が普段読んでいるオートバイ専門雑誌と大差ない。
専門用語が多く、カタカナ無しでは語れないのも、九条が愛読しているバイク雑誌と同じだ。ただ使っている言葉が、あるいは車体の仕組みが、九条には全然分からない。
(自転車も、結構複雑なんだな)
たまにハイドリックディスクブレーキやら、3チャンバーエアサスペンションやら、オートバイでも使われる単語が出てくるとホッとする。と同時に、それがマウンテンバイクに搭載されていると知り、自分の原付よりいいものを使っている事実に驚くが。
(え? これ160万もするのか!?)
そんなどうでもいい事を考えていると、向かい側の椅子がガタリと音を立てる。ユイだった。
「九条殿。もしかして目的は自転車ではなく、拙者だったのではござらぬか?」
「ばっ! お、お前なに馬鹿なことを――」
それなりに図星だったためか、九条がガタリと椅子を倒して立ち上がる。一方その正面の椅子に座ったユイも、九条の態度に驚き、目を大きく開いた。
「む。じょ、冗談でござるよ。ただ、先週は拙者が九条殿のアルバイトを知ってしまったでござろう? 仕返しに、今週は拙者のバイト姿でも見に来たのかと思っただけでござる」
「……」
そういう意味なら、その話に乗っかっておけばよかった。と九条は思う。変な気持ちでやって来たのではなく、それこそ自然な動機付けが自分自身に出来たというものだ。
まあ、ここまで立ち上がって叫んでおきながら、今更「いやー、じつはそうだったんだ」などと言うわけにもいかないので、
「……お、俺は自転車の整備を頼みに来ただけだ」
と宣言して押し通すしかあるまい。
「むー」
何が気になるのか、ユイは九条の顔を覗き込んだ。そっと視線から外れようとした九条が、テーブルの端を掴んで体を倒す。バイクで曲がるときにそうするような動きだ。
しかし、ユイのくりくりとした丸い目は、どこまでも九条を追いかける。
(なんなんだよ?)
その目をずっと見ていると、まるでユイに知られたくないことまで見透かされてしまいそうで、九条は必死にその視線を避ける羽目になってしまった。
一方のユイも何がそんなに面白いのか、逃げる九条を追いかけるのに夢中である。
椅子に座ったまま、パタパタと揺れる二人……を、パンパンと手拍子2回で止めたのは、ルリだった。
「ユイ。仕事中ですよ。遊んでないで」
「る、ルリ姉。ちょっとくらい、よいではござらぬか」
「はいはい。そのちょっとが先ほど終了しました。他のお客様もいらっしゃいますし、商談や説明ならそちらのカウンターで。それ以外でしたらお待ちのお客様に迷惑をかけない形でお願いしますね」
「むー。わ、分かったでござるよ」
ぱたぱたと戻っていくユイに、ルリはため息を深く吐く。そして、ついでのように九条にも、そっとご案内。
「もし退屈でしたら、試乗車やイベント案内。その他など、出来る限りのご案内は致します。もともとお客様を長く店内でお引止めする前提がありませんので、大したサービスが出来ないのはお許しください」
「真面目だな。あんた」
なんとなく、九条の中にモヤモヤが到来する。本来なら九条だって真面目と呼ばれる側なので、ルリの言いたいことも、暗に何を示唆しているのかも分かるのだが、
(なんか、気に入らない)
と、ルリに対する嫌悪のような感情も抱く。きっと同族嫌悪だろう。
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