第23話 誰も傷つかないざまぁ(後編) 【3414文字】
ルリがやってきても、谷村は態度をさほど変えなかった。なんなら、『面倒そうなバイトがもう一人増えた』くらいの気持ちだろう。多少は短くなったたばこを、まだ大事そうにふかしている。
そんな谷村にルリは、スタッフ用の喫煙室から拝借してきた灰皿を、両手で差し出した。
「あ?」
「お客様。こちらは禁煙となっております。どうか、ご理解ください」
少なくとも、美女に灰皿を差し出されて悪い気はしない。ので、谷村はその灰皿にたばこを押し付ける。
「ご協力ありがとうございます」
「べつに……」
ニコチンを補給して落ち着いたのか、谷村のボルテージは下がり気味だった。先ほどより数段落ち着いた表情で、整備スペースの机を撫でる。
その机にはビニールマットが敷かれ、自転車専門雑誌の切り抜きが挟まれていた。完全に、整備士の趣味で切り抜かれたものである。
そのうちの一枚を、谷村は愛おしそうに撫でた。
『チャリンコマンズ・チャンピオンシップ優勝者決定!! 日本一の自転車乗りは、まさかの中学生!?』
ほんの数か月前の記事である。とはいえ春を跨いでいるので、その優勝者の中学生も今では高校生だ。
「あの大会、本当に良かったなぁ。それに出場した俺が、まさかロードバイクを直してもらえない店に来ちゃうなんてよぉ……」
確実に周囲に聞こえるように放たれた独り言、という異様なものを耳に入れたユイとルリは、お互いに顔を見合わせる。
(ユイ。お客様に『治せない』と説明したのですか?)
(違うでござる。『治すには金がかかる』と説明したでござる)
(ならよし)
無言での会話を済ませたあと、ルリは思い出したように言う。こちらも、ユイに話しかけていると見せかけながら、確実に谷村にも聞こえるように。
「そういえば、ユイはその大会の優勝者の自転車を、修理したのでしたね(棒)」
「え? そうでござるが……なぜいきなり大声で会話を?」
――ゴツン!
「痛いっ!? なにゆえ拙者が無言で殴られなきゃならんのでござるか!」
どうやら、ユイにルリの意図は伝わってなかったらしい。とはいえ、谷村にはきちんと伝わる。
「え? バイトちゃん。いま誰の自転車を直したって言った?」
まるで幽霊でも見たかのように、そっと振り向く谷村。その顔に、何やら興奮の色が伺える。
「いや、その……チャリチャンの優勝者、
「御堂ソラ!? その御堂ソラの車体を、直したの!?」
「う、うむ。そうでござる」
確かに、優勝者であるソラ氏は、インタビューでこう語っていた。『夜中遅くにも関わらず、クマの恰好のお姉さんが修理してくれました』と――
そして、『それが無かったら優勝は出来なかったです』とも。
「しょ、証拠は?」
「証拠と言われても……あ、本人に聞くでござるか?」
「ほ、本人とか言って、誰とも知らない偽物を出すなよ!?」
「あー……それじゃあビデオ通話で話したらいいでござるな」
スマホを取り出し、軽快なタッチでソラ氏を呼び出す。きっとソラという人物も、今頃は高校の部活を終えて帰宅している頃だろう。
「ま、マジか。こいつ……」
谷村は、少々――いや、かなり興奮気味だった。
そのくらい、多くの人たちが見ていた注目の大会だったのだ。そして、多くの人が憧れた優勝者だったのだ。
いまや全国にファンを持つあの自転車チャンピオンと、直接話が出来る。そんな機会は谷村にとって想像もしていなかった。
『はい。ソラです』
「おお、ソラ殿。久しぶりでござるな。今更になるが、優勝おめでとうござる」
『ユイさんのおかげです。あの時は僕の自転車を修理してくださって、ありがとうございました』
「うむうむ。よいよい。……それで、ソラ殿の車体はまだ元気でござるか?」
『はい。おかげさまで。えっと、ユイさんの車体は?』
「あれでござるか。あれは……壊れたでござる」
『ええっ!?』
「形あるものは、いずれ……というやつでござるよ。心配されなくても、今では新しい車体に乗り換えているでござる」
――と、再会を喜ぶ会話はさておき、本題である。
「ソラ殿。お主のファンだという人が、今日うちの店に来ておってな。少し話してやってほしいでござる」
『あ、えっと、はい。大丈夫ですよ』
すっ――と、ユイが谷村にスマホを差し出す。
(ほ、本物……)
谷村は感激で言葉が出なかった。ユイのスマホには、間違いなく雑誌などで何度も見た、紅顔の美少年が映っているのである。彼がその可愛らしい顔立ちと裏腹に、どれほど激しい走りをしたのか。それも当時の映像で知っている。
『あ、あのー……』
「は、はい。谷村です」
『谷村さん。初めまして。ソラです』
「存じ上げております! お会いできて光栄です!」
谷村にスマホを手渡したユイは、ルリの隣に戻って来た。そのまま谷村と距離をとると、そっと口を開く。
「さて、ルリ姉。今のうちに作戦会議でござるかな?」
「作戦?」
「とぼけないでほしいでござる。今はお客様である谷村殿の気を紛らわせているが、肝心の問題である彼のロードバイクは修理できていないでござるよ。それをどうするか、でござる」
そう。肝心の問題は全くの手つかずで、話が前には進んでいない。ソラが時間を稼いでいるうちに、手を打たねばならない。ユイはそう考えていた。
ちなみに、ルリはそう考えていなかった。
「もうその問題なら、解決したも同然です」
「え?」
「ユイ。貴女のお手柄ですよ。良かったですね」
「???」
しばらく話が出来て嬉しかったのか、谷村は満足そうにスマホを持って戻って来た。そしてそれをユイに返すために差し出した……のを、ルリが横からかすめ取る。
「な、何をするでござるか」
「借りときます。あ、お久しぶりですソラ様」
『ルリさん、お久しぶりです。あの、怪我は――』
今度は、ルリがソラと話をしながら、バックルームへと行ってしまった。取り残されたユイは困惑気味である。
谷村に向き直ったユイは、おずおずと先ほどのロードバイクに話を戻す。
「た、谷村様。こちらのロードバイクでござるが……」
「ああ、修理をお願いします。先ほどの料金で構いません」
「え?」
「いやー、ソラさんの車体を修理したメカニックに、俺の車体も修理していただけるなんて、光栄です。是非ともよろしくお願いします。ユイさん」
「え? あ、いや……」
「それじゃ、また修理が終わったころに取りに来ますので、よろしくお願いします。ご迷惑をおかけしました」
「待つでござる! 話を聞いてほしいでござ……い、行っちゃったでござる」
どう転んでも人の話を聞かないのは、谷村自身の性格の問題なのかもしれない。あれは本人に自覚が無いので、治りそうにもない。
「はぁ……。ソラの車体を修理した時は、営業外の特例だったから、拙者が担当したのでござるよ? 通常営業での修理なら、何の資格も持たない高校生の拙者がやるわけないでござろうて」
なぜか女子高生が指名されるという、自転車店とは思えない経験をしたユイであった。
ちなみに、当然だが実際の修理はチーフが引き続き担当することになるだろう。ユイがやるのはせいぜい発注伝票の記載までだ。
(でも……)
何があったのかをよく分かっていないユイは、それでも最後に谷村が見せた表情を思い出す。とても嬉しそうで、安心しきっていたその顔を――
(ご満足いただけたようで、よかったでござる)
そう思って見送れるほどには、ユイ自身もこの仕事が好きになっていた。
『あの、ユイさん、困ってたみたいですけど――』
バックルームでは、ソラがルリと話していた。なんとなくの雰囲気から、ソラも自分が厄介ごとに巻き込まれたのだという事には気づいている。そしてユイがピンチだったことも。
しかし、ルリはユイを心配してはいなかった。
「大丈夫でしょう。少し正確に難のある子ですが、彼女は優秀です。乗り手としても、整備士としても、ね」
『……ルリさん、なんだかんだ言っても、ユイさんを信頼しているんですね』
「ええ。腕前の方は、ね。だからこそ、その能力を危険な行為に使わないかと、不安なんですよ。能力のない人は危険な行為も出来ませんから、私が心配してあげる必要はありません」
『あはは。厳しいですね』
「厳しいですよ。ライバルのつもりですもの。――あ、これユイには内緒にしてくださいね」
どこまで冗談だか分からないルリの言葉に、電話越しのソラは終始笑っていた。それを見て、ルリはなぜ笑われているか分からなかった。彼女は基本的に、いつでも大真面目なのだ。
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