第3章『バイト先と不穏な影』【19,530文字】
第20話 戻って来た学園生活とアルバイト 【3177文字】
翌日、ユイがやることは意外と多かった。まずは海水浴メンバーから回収していた昨日の昼食代を、九条に返さないと行けない。
「た、確かに返したでござるよ」
「おう。返された。……意外と律儀だな」
「意外とは何でござるか。これでも真面目な性格のつもりでござるよ」
「真面目ねえ……」
九条との用事が済んだら、別な紙袋を持ってアミの元へ。こちらにも返すものがある。
「アミ殿。昨日はこれ、助かったでござる」
そこに入っていたのは、アミのクロップドジーンズだった。
「アミ殿がいなかったら、拙者はノーパンでスカート履いて帰るしかないところでござった」
「それに比べたら、濡れた水着の上にスカート履いた方がましだと思うけどな。まあ、無事解決して良かったよ」
上は仕方ないとして、下くらいはガードする。苦肉の策でアミが打ち出したのは、自分がユイのスカートで帰り、ノーパンのユイが自分のジーパンを使う作戦だった。
「そういや、濡れた格好のまま自転車に乗ることって出来ないの? やっぱフレームに水が入ると錆びるとか?」
「いや、そんなことはないでござるよ。ただ、サドルの感触が気持ち悪かったり、濡れている場所が場所なので恥ずかしかったりするだけでござる」
「あー、それはなんとなく分かる。あのパッドって一回濡れるとなかなか乾かないもんな。表面だけなら乾きやすいけど」
「そう。その通りなのでござる。上はまだ風が当たるのでござるけど、サドルは当たらないでござるからな。外から見て乾いてるように見えても、中が気になるでござる」
「じゃ、ほれ。お前のスカート」
「おお、助かったでござる」
「ったく……もうちょっと丈の長いの穿いてきてくれよ。アタシが恥ずかしいだろ」
「むぅ」
渋い顔をするユイだったが、確かに自分のスカート丈については何度か、いろんな人から言われたことがあるかもしれない。
少しは考えを改めてもいいか、と思った彼女だったが、数分後には忘れているのだった。
放課後前のホームルームは、いつもなら何も話すことなく終わる。連絡事項があること自体が稀だからだ。いや、授業単位ではそれなりにあるのだが、学校単位となれば毎日話すことなどない。
なので、別に学校行事があるわけでもないこの時期に、先生がみんなに
「よし。帰る前に、少し話をするぞ」
と言ったこと自体が、なかなか珍しい事だった。
「何か行事とかありましたっけ?」
「いや、それとは関係のない話だ。ただ、警察の方から近隣の学校に、注意を呼び掛けるようにと通達があったらしくてな」
先生はそう言うと、スマホを取り出した。内容が煩雑なため、メモを取っていたらしい。生徒にはメモをスマホで取るなと言っておきながら、自分は堂々たるものだ。
「この近辺で、不審者の目撃情報が増えている。特に部活で夜遅くに帰宅するアミみたいな生徒や、ユイみたいにバイトしている生徒は気を付けろ」
部活代表としては、最後まで残って練習しているアミが、
バイト代表としては、遅くまで自転車店で仕事をしているらしいユイの名前が挙げられた。
「どんな不審者なんですの?」
カオリが聞くと、先生はスマホをスワイプする。
「えー、と……複数の目撃情報が入っている。たとえば、深夜9時近辺。うちの女子生徒にワンボックスカーの中から話しかけ、追いかけまわしたやつらがいるらしい」
(どこかで聞いた話でござるな……)
などとユイが思っているうちに、先生はユイを見て、さらに付け加えた。
「ちなみに、襲われた女子生徒は、自転車でその車から逃げたんだそうだ」
その話を聞いた生徒全員が、くるりとユイを見る。
「……?」
もちろん、先日ユイを襲った連中の話をしているわけだが、襲われたユイにしてみればもう忘れかけてしまった事だった。あれほどの事も、実害がひとつも無ければ覚えていないものだ。
「それと、他の不審者の報告もある。時間帯からするとうちの生徒ではないと思いたいが、深夜11時ごろ、国道を自動車並みの速度で走る自転車乗りが目撃されている。うちの生徒ではないと思いたいが、うちのセーラー服を着ていたそうだ」
再び、ユイに視線が集まる。
「……」
さすがに今回は心当たりがあった。まさか挙手するわけにもいかないので、窓の外でも眺めるようにしておく。
「はぁ……最後になるが、こちらも自転車関連だ。最近、自転車を使ってすれ違いざまに、女子生徒にわいせつな行為をする輩が確認された。被害者も出ていて、それぞれ手口が違う事から、同一犯かどうかの判断が出来ないそうだ」
「それだけは拙者ではござらぬよ」
立ち上がって言うユイ。さすがにこれまで注目を浴びてしまうのは濡れ衣というものだろう。しかし、
「……ユイ。『それだけは』の意味は?」
「え? あ」
「他は?」
「あ。あははー、どうでござったかなー」
必死で目を反らし、吹けもしない口笛を必死で吹こうとする。そんな彼女の様子に、各所から溜息が上がった。
「……まあ、いろいろ突っ込みたいが、話を長引かせるだけになりそうだからな。報告は以上だ。みんなも気を付けて帰ってくれ。それじゃ、解散」
先生が退出して、周囲もざわざわと動き始める。日常の中に潜む危険が語られたあと、こうして再び日常が取り戻されていく。
放課後、ユイは自転車店へと向かう。いつも通りのアルバイトだ。
「はぁっ!」
駐輪所に向けて自転車を走らせたユイは、そのまま飛び降りた。乗り手を失ったママチャリは、ふらふらと進路を維持して走行。そのまま、駐輪所の前輪ラックに自動で収まる。
ガシャン!
狙いは正確。隣の自転車にハンドルをぶつけることも無く、完璧にハマった。
「よし!」
着地したユイは、後ろカゴからスクールバッグを取り出し、ついでに鍵もかける。特に何の変哲もない馬蹄錠は、とてもスムーズに閉まった。普段から適切に注油している成果だ。
セーラー服の襟をさっと撫でて正し、店の裏口からスタッフルームに入る。
「おはようござるます! 昨日は日曜日なのに、突然お休みを頂いて申し訳ござらぬ!」
少し慌てたように言うユイに、店長がのんびりと近寄って来た。
「大丈夫だよ。ユイちゃん」
「え? でも、いつも『人が足らない』って言ってたのは、店長ではござらぬか」
「うん。そうなんだけどね。急な助っ人が来たからさ」
「む?」
店を覗き込むユイ。いつもの閑散とした月曜日らしさあふれる店内には、閑古鳥と店長のほかに、もう一人のスタッフがいた。
フリルのついたワイシャツの上に、ゴツい整備用エプロンを付けた若い女性だ。短い髪を左サイドだけ編み込んだ彼女は、涼しい顔で店内の掃除などしている。
その綺麗な横顔に、ユイは並々ならぬ見覚えがあった。
「ルリ姉」
年齢性別を問わず、ほとんどすべての人物への敬称を『~殿』で統一しているユイが、ほぼ唯一それ以外の呼び方で呼ぶ人物――
「ああ、ユイ。お久しぶりですね」
――彼女こそ、ユイにこのバイトを斡旋した人物であり、ユイの自転車選びに協力したベテランアルバイター。
彼女はユイの目をまっすぐ見つめると、そのまま視線を外さず、こちらに向かって歩いてくる。
コツ――コツ――コツ――スルン!トントントン!……ふぅ……コツ――コツ――
表情を一つも変えないルリ。せっかくの美人であるのに、彼女は笑顔を見せない。いつだって、その冷たい表情を保っている。
しかし、決して心まで冷たいわけではない。
「ユイ、元気でしたか?」
「いや、何事も無かったかのように話を続けているでござるが、さっき滑って転びかけたのは無かったことにならぬでござるよ?」
「……掃除をしていました。少々、本気を出し過ぎましたかね」
モップを地面に突き立てて、その柄頭に両手を乗せるルリ。クーラーの風が彼女の髪をなびかせるその様子は、まるでどこかの姫騎士のようであった。
さっき転びかけたのは無かったことにならないが。
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