第18話 お腹の中に赤ちゃんが!? 【3834文字】

 うつむいたユイの横顔は、どこか物憂げで、それでいてどこか緩んでいて、

 そこに浮かぶ表情は、『初恋の彼』を好きなのやら、嫌いなのやら、

 いずれにしても、『いつものユイ』ではない何かを見せられた九条は、なぜかイラっときた。何が原因なのか? 九条にも分からない。


「ま、まあ……あやつのことは、もう何とも思ってないでござるよ」


「あー、フラれちゃったんだっけ? バイト先の常連さんでしょ?」


「うむ。今もしれっと何食わぬ顔で来ているでござるよ。まあ、拙者も気にしていないのでござるけど」


(バイト先の、常連……)


 当たり前だが、九条の知らないユイの姿は多いのである。何しろクラスメイトであるくらいしか接点が無い。

 彼女が学校でどんなふうに過ごしているかはよく知っているが、こうして週末に友人たちと遊んでいることも、バイト先でどう過ごしているのかも、九条は知らないのであった。

 知らなくてもいいと思っていた。

 ただ、今更のように知りたくなってきた。


(まあ、俺には関係ないか)


 自分に言い聞かせて、この変な感情をストンと飲み込む。


「――ところでユイ。何か買いに来たんじゃないのか?」


「ああ、うむ。そうでござった。イア殿。とりあえずどうしよう? 適当に何か買って戻るでござるか?」


「そ、そうだね」


 イアがユイの顔を見る。ユイもまた、イアの顔を見ていた。お互いにそのまま、目をぱちくり……


「なあ、お前ら。金は持ってきてるのか?」


「拙者は無いでござる。ぬいぐるみやスマホと一緒に、よじろー殿に預けてしまったゆえ」


「わ、私も無いや。お財布、コインロッカーの中だった」


「……間抜けだな」


 まあ、見れば分かる事だった。特にバッグや防水ケースを持ってきているわけでもない二人が、水着のまま手ぶらで来ている。となれば、当然どこにも何も持っていないだろうことくらいは想像がつく。


「――仕方ない。好きなもの言えよ」


「おごってくれるでござるか?」


「貸してやるだけだ。明日学校で返せ」


 なんだかんだで、優しい九条であった。






「――と、いうことがあったのでござるよ」


 拠点に戻り、焼きそばやらイカ焼きやら、フランクフルトやらを食べながら、ユイは屋台であった話をしていた。


「ふーん、あの九条っちが海で屋台のバイトねー。どーせ鼻の下伸ばしながら、水着ギャルをナンパでもしてたんでしょ。あいつ」


「いや、よじろー殿じゃあるまいし」


「うん。与次郎君じゃないんだから」


「ヨジローだけだぞ、そんなの」


「与次郎くん。いくら何でも貴方と一緒にしたら失礼じゃないかしら?」


「な、なんでぼくが総攻撃の的になるのさー」


 学校での日ごろの言動は、こうも男子二人の格差を生み出しているようである。


「ところでユイちゃん、結構食べるよねー。アミちゃんはイメージ通りだけどー」


「どういう意味だヨジロー」


 アミがフランクフルトのついていた竹串を、与次郎に突き出す。


「い、いやいや。ほら、あれだよ。アミちゃんは陸上部と水泳部の両方やってるし、そりゃー普段からいっぱい食べるんだろうなーって、あはは」


「うーん。まあ……それは否定できないけどな」


 薄い脂肪ごしに、細くてもしっかりとした筋肉を浮かばせるアミ。そのスポーティな身体は、たしかに今回の女子4人の中では一番、燃費が悪そうであった。

 青いタンキニから露出する肌には、それぞれ陸上部のユニフォームと競泳水着の日焼け跡が重なっている。そこに今日新しい日焼け跡が追加されるのかと思うと、なかなか複雑な模様になりそうだ。


「まあ、それを言ったらユイだって、自転車で鍛えてるから燃費悪いんじゃねぇの? アタシと一緒だって」


「ええ、その可能性はありそうね」


 自転車のカロリー消費は、意外と大きい。速度や車体重量にもよるが、一般的な走り方でも、歩行の3倍ほどのエネルギーを同じ時間で消費する。ユイの速度ならさらに消費量は上がるだろう。


「……拙者、そんなに食べてるでござるか?」


 ユイが目を丸くして、周囲に聞く。ついでに言えば、そのお腹もやや丸くなっていた。太ったとかではなく、単にお腹の中に食べ物を入れた結果でしかないが、


「まあ、元が細いから目立つわね」


「自分の胸に……いや、腹に手を当てて訊くといいぞ」


「むぅ……」


 すりすり……自分のお腹を撫でたユイは、それから周囲を見て、なるほどと納得するしかない状況を作ってしまう。


「あ、そう言えば拙者、こんなこともできるのでござるよ。お腹に注目していてほしいでござる」


 ユイがそう言って立ち上がった。周囲のみんなが……与次郎さえも、黙ってユイのすることに注目する。


「すぅ――」


 ユイが息を吸い込んだ、その時だった。彼女の細い腹が、ぽこんと前に出て膨らんでいく。


「わ、わ、何それ」


 隣に座っていたイアが、それを見て目を疑う。種も仕掛けも無いのは、水着だから間違いない。


「自転車に乗るなら、肺活量を鍛えたほうが良いと教えられたのでござるよ。なので修業をしていたら、いつの間にか内臓の位置をずらして呼吸が出来るようになっていたのでござる」


 喋るときは元に戻さなければならないらしい。


「ね。もう一回見せて」


「うむ。良いでござるよ」


 ユイがもう一度膨らませたそれを、イアが撫でて確認する。パンパンに膨らんでいるせいで、結構な弾力があるお腹。押してみても潰れないが、撫でてみればすべすべである。

 イアはそこに顔を近づけて、そっと目を閉じた。


「この中に、私とユイちゃんの子供がいるんだね」


「いないでござるからな」


 とんでもないジョークであるが、なぜかカオリだけがツボったらしい。息も止まるほどの大爆笑をするカオリを見て、みんなも笑った。






 それから、ずいぶんと遊んだように思う。

 しかし時間はあっという間で、日も暮れ始めてきていて……


「ちぇー。花火禁止なんて聞いてないよー」


「私は、与次郎君が花火を持ってきていたことの方が聞いてないよ」


「というより、イアは自転車で来ていたんだし、そろそろ切り上げないと帰りが遅くなるわよ」


 楽しい時間は終わりが来るものだ。みんなは無料のシャワーを使って、身体に着いた砂や海水を落としていた。

 シャワーと言っても、駐車場のあった近辺に設営された、仕切りも何もない簡易的なものである。コンクリートの壁には『シャンプー使用禁止』と明記されていた。


「カオリ殿、ずいぶんしっかりと髪をすすぐのでござるな」


「ええ。海水が付いたままだと、キシキシしてくるのよ」


「あー、分かる。絡まるよね」


 本当は水着に入った砂まで落としたいところだったが、場所が場所なので脱ぐことはできない。イアとカオリはしかたなく我慢していた。

 ちなみに、アミとユイは隙間から手を刺し入れて、可能な限りの洗浄を試みていたらしく、


「――」


「鼻の下、伸びてるわよ」


「え?」


 揺れるものが無いアミはともかく、とっても大きく揺れるユイのそれは、与次郎の視線をしっかり捕らえていた。


「そう言えば、自転車もシャワーで洗ったらダメでござろうか?」


「え? いやー、それはダメじゃないかなー」


「むー……そうなのでござるか。シャンプーは使わないでござるが」


「それ以前の問題だと思うなー、ぼくは」


 残念そうにうつむいたユイは、それからハッとしてイアに向き直った。


「そうでござった。イア殿」


「ん? どしたの?」


「潮風を浴びた自転車は、錆びる可能性が高まるのでござる。できれば専用のケミカルで洗ったほうが良いでござるが、無ければ真水でも構わんので、軽くすすいでおくと良いでござるよ。帰ったら実践してほしいでござる」


「水? それってむしろ錆びない?」


「まあ、水も自転車には有害でござるが、それでも潮風よりはマシなのでござるよ。あ、あとあんまり奥までしつこくやらない事と、チェーンだけは乾かした後にオイルを塗り直しておくのも忘れてはいけないでござるよ」


「う、うん。分かった」


 頷くイア。そこに、アミが割って入る。


「あ、そうそう。イアの脚も、もう限界みたいだからさ。帰りはアタシが乗って帰るよ。バトンタッチだな」


「む、そうなのでござるか?」


「にゃははー。せっかくだから、お言葉に甘えようかな、って」


「任せとけ」


 3人の中で一番の体力持ちが、今回あえて温存していたのは、このためだったらしい。




「そう言えば、ビーチパラソルとか、片付けないといけないわね」


 突然のように、そして用意されたセリフのように、カオリが言った。


「設営はユイと与次郎くんに任せちゃったから、撤収は私たち3人でやりましょうか。行くわよ。アミ。イア」


 それを聞いて、二人もピンとくる。


「じゃ、お二人さんはもう少しゆっくりシャワーでも……」


「アタシらは荷物をまとめて、それから着替えて来るぜ。ユイ。また後で駐輪所か更衣室で合流な」


「え? いや、拙者も手伝うでござる」


「ダメだ。もう少しゆっくりしてろ」


「ほぇ?」


 バタバタと去っていく3人をよそに、訳の分からないまま、ユイたちは取り残されてしまった。

 いや、分からないのはユイだけで、もちろん与次郎は自分のすべきことを知っている。


(サンキュー、3人とも……ぼくは頑張るよー)


 方角の問題で、夕日は海ではなく山に落ちる。その艶やかな紅に染まる雲と、山の稜線。反対側には、一足先に星空を見せる海。空は綺麗に、ふたつの色を見せていた。


「ねえ、ユイちゃん。子供の頃、海に来たのを覚えてる?」


「うむ。覚えておるよ」


 それは、与次郎にとっては忘れられない、今も続いている物語で、

 ユイにしてみれば忘れかけていた、もう終わった物語――

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