第17話 意外なバイト 【3052文字】
「ユイ?――それに、イアも……」
九条が――あのユイを何かと気にかけていた、クラスメイトの男子が――なぜか本当に似合わない起こし金(てこ)を持って、そこに立っていた。
「おお、どうしたのでござるか? こんなところで何をしているのでござるか?」
ユイが駆け寄って、屋台のカウンターに手をつく。木製のそれは、日差しを浴びたせいか、それとも奥の鉄板から熱を受けているのか、やや熱い。
九条はすっと目線を店の奥へと反らし、それから再びユイを見て、それから自分のエプロンをつまんで見せた。
「バイトだよ。見ての通り、な」
「バイトでござるか? え? 飲食店で調理担当だったのでござるか?」
「ああ。簡単なところだけさ。どちらかと言えば接客メインだ」
彼が原付二輪を買うためにバイトをしていたのは知っていたが、まさか目当ての車体を買った後も続けていたとは思わなかった。ましてそれが、彼がもっとも不得手としていそうな接客だったとは、どこから突っ込んでいいのか分からない。
「……もともと、親父の知り合いの食堂で雇ってもらってたんだよ。で、今月からこっちも出店するって言うから、そこに回されたわけだ。つっても、土日だけな」
「おお、そうだったのでござるか? こっちには、バイクで?」
「ああ、もちろんだ」
少しだけ、九条が笑った気がした。それは本人も自覚していたようで、すぐに恥ずかしそうに咳払いでごまかす。
「そういうユイは? まさか、チャリで遊びに来たわけじゃないだろうな」
「もちろん自転車でござる」
冗談で言ったつもりの九条だったが、思いっきり肯定されてしまった。腰に手を当て、誇らしそうに胸を張るユイ。水着のままだったこともあって、いつもより5割増しで視線を引き寄せる。
「マジかよ……イアは? 電車?」
「え? あ、わ……私も自転車です」
「マジかよ!?」
カラン……と、持っていた起こし金を鉄板に落とす音。
「……拙者の時と、マジかよのトーンが違うでござる」
「あ、ああ、ゴメン。なんかその……ユイの場合は『やるだろうな』と半分思ってた」
学校からここまで、およそ30キロメートル。ユイやイアが住む町はもう少し海に近いが、さほどの距離差はないはずだ。
ユイ一人なら、彼女が規格外のパワーを持った人物で説明が付く。しかし『ザ・普通の女の子』だとか『目立つのは名前だけ』でおなじみのイアがチャリで来たとなれば、いよいよもって九条は自転車の性能を認識しなおす必要がある。
「九条殿?……」
「いや、何でもない。ただ、チャリにここまでされると、俺が買ったバイクとか、それに費やした5万は何だったんだろうって、ちょっとガッカリしただけさ」
「気に止むことはないでござるよ。ママチャリだって同じくらいの値段のものもあるでござる。……拙者のはその半分くらいの値段でござったが、改造費を含めたら似たようなものでござるよ」
それに物は金額ではない。――とまで付け加えようとしたユイだったが、やめた。彼女も自転車店でバイトを始めて、もう半年近くになる。世間一般で言う『金の力』というやつが、そんなに汚いものではないことくらい知っていた。
言ってしまえば、ユイや九条が車体にかける金は、自らがその目標に向けて頑張った努力の証だ。簡単に切って捨てられもしないだろう。
「あ、焼きそば、焦げだしてる」
「え?」
イアに言われて、九条は驚いた。たしかにやや焦げ臭い。
「おっとっと。えっと、てこ。てこ……」
「こてでござるか? こっちでござる」
「え? え? それって金ベラじゃないの?」
「それは大工道具だろ!」
「そうでござる! こてと呼ぶのが本場でござるよ」
「いや、正式名称はてこだ」
「こてでござる!」
「なんかゴメン。やっぱり何でもいいや」
「何でもよくない……熱っつ!!」
正式名称不明の、ええと――鉄板で焼いてるやつをひっくり返すときに使う鉄の平らなやつ――を、九条がやっとのことで拾い上げる。そのまま華麗にシンクへ投げ入れると、今度は自分の指を冷やすために水を出した。
やけた鉄ベラ(でいいや)が、ジュッと音を立てて煙を上げる。よほど高温になっていたらしい。
「九条殿。やはり向いてないでござるな」
「くそっ。まさか素人でもできる調理に、俺が失敗するとは……」
「にゃははー。ま、まあ無駄話していた私たちも悪いし。あ、店長に謝らなきゃいけないなら、私たちも一緒に行こうか?」
「いや、いいよ。あの人は多分気にしないし。そもそも高校生バイトにここまでやらせる方もやらせる方だ。よくある事さ」
笑っていいのか悪いのか分からない話をする九条に、ユイたちも反応に困った。
「そういえば、バイクを買うためにバイトしていたのでござろう? なぜバイクを購入したのに、バイトの続きを?」
「ああ、ちょっと欲しいパーツとか、強化したい部分があってな。それに、ガソリン代もそこそこ掛かってる」
再び持った鉄ベラを使って、焼きそばを取り分けていく九条。プラスチックトレーに入れて輪ゴムまでかけると、そのままこっそりカウンターに置いていく。残念ながら、下の方の焦げたところはそのままゴミ箱へ。
「今度こそ……」
「今度こそ、ユイちゃんのママチャリに勝ちたいのかな?」
「なっ!?」
そんなつもりではない。今度こそ焼きそばを焦がさないぞと言いたかっただけの九条に、イアが声をかける。
「……」
「あれ? もしかして、図星だった?」
「――別に、ユイに負けたつもりはない。ただ、俺も俺の好きなことを追求したいと思っただけさ」
ユイのように、自分も、好きな車体で――
もっとも、ユイが好きなママチャリと、自分が好きな原チャリではレギュレーションがだいぶ違うのだが、
「?」
複雑な視線を受けたユイは、小首をコテンと傾げた。
ユイ自身も、特に九条と競走した覚えなどない。だから勝つとか負けるとかの意味は解らなかったが、
「拙者、九条殿のそういうところ、好きでござるよ」
「え?」
「いや。あのバイクを改造するのでござろう? そうやって自分の趣味に一直線な男は、カッコイイでござる」
何の照れもなく、そう言うユイ。正直なところ、
(ずるいな……)
と、九条は思った。自分なんて、こうしてユイを見るだけでも少し照れがある……のは、いつもと違ってユイが水着だからかもしれないし、自分は場違いにもエプロン姿だからかもしれないが。
「なあ、ユイ。もしも、今度一緒に出掛けようって言ったら、ついてくるか?」
「む? サイクリングの誘いでござるか? 言っておくけど、拙者だっていつでもあの速度が維持できるわけではないでござるよ」
「構わないさ。俺だって法定速度は守る。……というか、ママチャリで原付の法定速度に追い付いてくること自体が、めちゃくちゃ異常だけどな」
何やら、簡単にデートの約束が取り付けられている気がする。そんななか、ふと思い出したようにイアが呟く。
それは、爆弾と言うにふさわしい発言で、しかし何ということもなく出た発言――
「そう言えば、ユイちゃんの初恋の相手も、自分の愛車に夢中な人だったんだよね」
「え?」
「む?……うむ。そうでござったな」
子供っぽくて、男や恋なんかに興味もなさそうで、実際に浮いた話のひとつも聞こえてこないはずだった。
そんなユイに、初恋の相手がいたらしい。――と、九条はこの時、初めて知ったのだった。
頭が痛いような、鼻の奥がツンとするような、息が詰まるような、経験したことのない気持ち。その正体は、九条もよく分からない。
ただ、ユイがうつむいたまま見せるその表情は、九条がそれまで見たことのないものだった。
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