第12話 セーブポイント 【2427文字】
コンビニエンスストア。
それは、現代日本で自転車に乗る際、とても重宝する存在である。自身の体力を消費して走るライダーにとって、ガソリンスタンドのようなものだった。
と、言うわけで……
「軽食でござるな」
自転車の両脚スタンドに足をかけたユイが、車体を後ろに引き上げる。イアは片足スタンドを立てて、左側に自転車を傾けた。
「ところで、ユイちゃんが使ってるスタンド、重くないの?」
「うむ?」
「いや、持ち上げるときに、大変じゃないのかな?って」
両脚スタンドは、後輪の下に潜り込ませる構造のため、車体を持ち上げ気味に乗せなくてはならない。タイヤが浮いた状態で固定されるからだ。
「ああ、これは確かに重いでござる。後ろカゴがあると余計でござるな」
「なんで片足スタンドにしないの?」
「こっちの方が、荷物を積んでも安定して駐輪できるからでござるよ。片足スタンドだと、ハンドルの角度や地面の傾斜次第で倒れてしまうでござるからな。こう……くるんって」
何故かユイが、その場で回って見せる。今日の彼女の服装は、少し大きめの白いTシャツに、自転車には不向きそうな黒のミニスカート。
回ったときに、ふわりとそのスカートの中身が見えた。
「ちょっ! ユイちゃん。スカート気を付けないとっ」
「む? ああ、大丈夫でござるよ。拙者、今日は遊ぶ気満々でござるからな。中に水着を着てきたでござるよ。ほれ」
あえてスカートをまくり上げて見せるユイ。確かに中は水着だ。彼女の元気で明るいイメージを反映するような、太陽や果実を思わせるオレンジ色。
「……って、そうじゃなくて、無防備だって言ってるの」
「別に、水着なら大丈夫でござろう?」
「スカートの中なら関係ないよ」
「ではスカートを脱げばいいのでござるか?」
「そんなわけない事に気づいて!」
顔を真っ赤にしたイアに、ユイが両方の手のひらを向けて制止する。どうどう。どうどう。
「わ、解ったでござるよ。気を付けるでござる」
「もう……」
何も解ってなさそうなユイに、イアはそっと鼻を鳴らして、ついっとそっぽを向いた。ひそめた眉の奥の方で、オレンジ色の水着を纏ったユイの姿を思い浮かべる。
「どうしたでござるか?」
現実の方のユイが、イアの顔を覗き込むようにして聞いた。その手には、なぜかクマのぬいぐるみが抱かれている。ユイが普段、よく自転車の前かごに座らせているぬいぐるみだ。
「え?ああ、うん。なんでもないよ」
「そうでござるか?」
「う、うん」
ユイの後を追って、イアもコンビニへと入っていく。自転車を止めた時にぶわっと出てきた汗は、扉の向こうの冷気に冷やされて、火照る身体を優しく冷ますのだった。
10分後。
「――と、いうわけで、自転車とは意外とカロリーを使うのでござるよ」
コンビニを出た二人は、外で食事をとっていた。コンビニにイートインコーナーが無かったからだ。
幸いにして水平に近いユイのママチャリ。その後ろカゴを簡易型のテーブル代わりにしながら、二人は軽くサンドイッチなどつまんでいた。
「そうなんだぁ。なんか、朝ごはんとお昼ご飯の間にこんな食べるの、変な感じ」
「でも、お腹は空いたのでござろう?」
「……うん。不思議と」
家を出る時間が早かったせいもあるだろう。しかしそれを加味しても、確かにお腹がすくのが早い。
「まあ、今日はこういう休憩も含めて計画を練ったでござる。だから、時間はたっぷりあるでござるよ」
ユイが言うように、今日はとても長い時間をかけて、ゆっくり走るプランだった。先ほどから30分に1回ほどは小休憩しているし、一度は食事休憩をはさむプランでもある。
「ユイちゃんなら、休憩や食事なしで海まで行けたりするの?」
「む? いやー、この距離ならさすがに拙者も休憩は挟むでござるよ。食事は走りながらとったかもしれぬけど」
「走りながら?」
「うむ。せめて片手離しか、できれば両手離しが出来ればそんなに難しい事ではないでござる。あ、でもブレーキをとっさにかけるとき、落としてもさほど困らぬものに限定でござるけどな」
つまり、急ブレーキが必要になったら、いつでも食べているものを捨ててブレーキをかける覚悟という話だろう。
「ほえー。私には真似できそうにないや」
「しなくていいでござるよ。拙者は長らくの走りの中で、そういう技を自然に身につけただけでござる。それが出来ないからと言って、別に困ることはないと思うのでござるよ」
サンドイッチの最後の一口を頬に詰め込んだユイは、大きく伸びをした。彼女はよくこうして手足を適当な方向にピンと伸ばす。きっと、そうしないと固まってしまうのだろう。
「んーっ! ん」
ユイの真似をして、イアも手足を伸ばしてみる。長距離を走って固まりかけた身体に、ぶわっとエネルギーが運ばれていくような感覚。それでいて、今まで力の入っていた筋肉がほぐれていくような感覚も……
(気持ちいい)
腕に、肩に、背中に、首に、腰に、お尻に、太ももに、すねに、
ぐんぐんと伝わるその感覚は、まるで重力から解放されていくようだった。また走れる気がして、自然と笑みがこぼれる。
「さあ、行こうか。ユイちゃん」
「おお、やる気でござるなイア殿。まあ、海ももうすぐ。約束の時間ももうすぐでござる」
「え? そうなの?」
「うむ。意外と速い到着になったでござるな。まあ、あとは向こうを先に待っているのも一興でござるよ」
ゆっくり来たつもりだったが、確かに時計を見てみれば、結構な時間が経過しているらしい。そんな感じもしなかったし、いつの間にか時間も忘れるくらいに走っていた。
(ああ、そっか)
スポーツをやるわけでもない、ただ出掛けるだけ。それならば、タイムなど細かく気にしなくてもいいのだ。ゆったり好きなように走れば、こんなにも楽しく続けられる。
そうして気づけば、いつのまにか遠くに来ている。自転車とはそんな乗り物だったな、と、イアは思い出すのだった。
「さあ、よじろー殿より先について、奴を驚かせてやるでござる」
「うん。頑張るよー」
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