第11話 夏の日のガールズトーク 【3913文字】

 来たる週末。海に行く約束の日――


「思ったよりも快適でござるな」


 ユイが自転車を走らせる。彼女にとっては、とても楽しい時間だった。真夏の日差しは朝から容赦がない。それでも彼女はにこやかに走る。

 と、その隣では、イアが何か悩み事のある顔で走っている。


「む? どうしたのでござるか? イア殿」


「ああ、いやー、あはは……」


「?」


 首をかしげるユイに、イアは愛想笑いだけで返した。

 2台のママチャリは、たいした速度もないまま、普通に走っていく。


(ま、まさか本当に、ユイちゃんと一緒に自転車で海に行くことになるなんて……)


 自分で提案したこととはいえ、まだ少し現実味の無い話である。スタートしたばかりだからか、まだまだ体力も時間も余っている。


「イア殿。もし疲れたり、異常を感じたら、すぐ拙者に報告してほしいでござるよ?」


「え? あ、うん」


 速度は、お互いにせいぜい時速15キロ前後だろう。イアの速度に合わせて、ユイがゆっくりと走っているのだ。

 荷物にしたって、ユイが代わりに全部を積んでくれている。おかげで彼女の後ろカゴはイアの荷物で、前カゴはユイの荷物でいっぱいだった。両方にカゴを付けているからこそ実現する積載量だろう。


「ユイちゃんは、重くないの?」


 カゴを空っぽな状態にして、荷物と言えばせいぜいがポケットのスマホだけになっているイアが訊ねる。


「うーむ。拙者としても、もちろん重さは感じているでござるよ。まあ、しかし変速ギアのおかげで、さほどでもござらぬ」


 ユイのママチャリには、外装6段変速がついている。ママチャリ用のチープなものだが、これがあるだけでも走りが大きく変わってくるのだ。


「そういえば、ユイちゃん。ギア軽すぎない?」


「おお、よく気付いたでござるな。これが拙者にとっては楽なのでござるよ」


 さっきから見ていれば、ユイは脚にさほど力を入れていない。そのくせ、とてもきれいなフォームで速く回すのだ。


「もともと、『トルク型』と呼ばれるタイプの人間と、『回転型』と呼ばれるタイプの人間がいるのでござる」


 唐突に、ユイの自転車解説が始まる。


「トルク型は、脚の筋肉を使って、重いギアをゆっくり漕ぐのが楽だと感じるタイプでござるな。一方の回転型は、拙者のように軽いギアを早く漕ぐのが楽だと感じるタイプでござる」


「それって、どっちが速いの?」


「意外かもしれぬが、どちらも変わらぬよ? ギアを軽くするほど、ひと漕ぎで進む距離が短くなるでござるからな。後はもう、パワーより回数を重視するか、その逆か、でござる」


 実際、こうして同じ速度で走っていても、ユイの方がペダルの回転が速いのだ。その分、イアよりもギアを軽くしているという事だろう。


「まあ、どっちが楽かは人に寄るでござろうし、意外なことにどっちでもさほど体力の消費も変わらぬのでござるよ。後は筋肉の質がどっち寄りか、でござる」


 ハンドルから両手を放し、グーンと伸びをするユイ。その姿は本当に自由だ。ユイの自転車は、ハンドルも握られていないのにまっすぐ進んでいく。


「ユイちゃん、普段はぜんぜん勉強できないのに、自転車は勉強しているんだね」


「なっ、勉強だって、ちゃんとテスト前にやってるでござるよ。その証拠に、ちゃんと赤点を回避しているでござる」


 ちなみに、ユイたちの通う学校で赤点をとる者は基本いない。




「それにしても、イア殿が拙者と共に自転車で行きたいと言ったのは驚いたでござるな」


「そ、そう?」


「うむ。普段はそんなキャラではござらぬと思ったのじゃが?」


「キャラって……まあ、確かにそうかもしれないけどさ」


 教室では目立たず、運動もあまり得意ではなく、何よりインドア派。そんなイメージは、イアに定着していた。

 今日は後ろで一つに束ねているが、いつもは両サイドで三つ編みにされているはずの髪。そして今日も今日とて変わらぬ眼鏡も、そのイメージをより強くしているだろう。あまり外で運動するイメージが無い。

 実際、


「もしかして、私が一緒だと足手まといかな?」


 そんな不安が、イアにはあった。

 ユイ一人なら、もっと遅い時間に家を出ても、余裕で時間通りに現地集合できただろう。イアにペースを合わせるために、ユイがプランを組み直していたのも事実である。

 ただ、それはそれとして、


「拙者は楽しいでござるよ? こうして同年代の女子と走るのは久しぶりでござる。それに……」


 ユイが悪戯っぽく笑う。イアはその表情を見つめていたい気持ちに駆られたが、すぐに進行方向を確認するため、視線をそらしてしまった。

 そんな隙をついたわけでもないが、


「イア殿の可愛らしい姿も、じっくり眺められるでござるからな」


「えっ?」


 急に可愛いなどと褒められたイアは、少しハンドル操作を誤る。とっさに立て直す彼女を、ユイは絶妙な距離感で避けた。


「か、かかか」


 可愛い――とは、割と他の女子には軽いノリで言われる言葉ではある。ただ、ユイから言われるのは少し珍しい。

 他の女子たちから言われること自体はさほど気に留めてないが、ユイに言われたときは気に留めている、と言い換えてもいいかもしれない。自分の服装にも他人の服装にも無頓着なユイ――そう思っていたから余計に。


「まあ、教室では毎日顔を合わせておるが、こうして平日に会って普段着を見るのは珍しいでござるからな。似合っておるよ?」


「そ、そう? えっと、ありがとう」


 細かい花柄のキャミソールに、白いショートデニム。そんなスポーティな恰好をふんわりしたイメージに塗り替えるのは、上から羽織ったシースルーのサマーカーディガン。膝の裏まで届くほどのロング丈だ。

 UVカットの意味合いが強いそれは、風になびいて大きく揺れ、日差しを透かしてキラキラと光る。イア本人も計算していなかったが、自転車と合わせると映える格好だ。


「拙者もそんな感じの服で来ても良かったかもしれぬな。さすがに拙者のママチャリだと、後輪などに絡むかもしれぬが」


 ユイの自転車は、後輪の横にドレスガードと呼ばれる網が付いていない。それに変速ギアも外装6段のため、チェーンも下半分がむき出しだった。

 対してイアの車体は、ドレスガードとフルチェーンケースが標準搭載。おかげで部品の間に裾を挟むことが無い。


「――とはいえ、日本の道路は狭いし、特に自転車の扱いも車両として見られないことが多いでござる。あまりひらひらした服装で風になびかせていると、引っかかる危険性があるでござるよ」


「そ、そうだよね。ゴメン」


「うむ。なので、もっと車道側に寄るでござる」


「え?」


 さっきからずっと前を走っているユイは、確かにイアよりも車道の真ん中に寄っている。イアはずっと『危ないけどユイちゃんだから大丈夫なのかな』程度に思っていた。

 なので、自分もそこを走るように言われるとは、想像していなかった。


「い、いいの?」


「うむ。あまり端を走ると、ガードレールに裾が引っかかるでござるよ。それに、イア殿がひらひらしてなくても、すれ違う歩行者のバッグや服を引っかける可能性もあるでござるからな」


 むしろ、ユイが心配しているのはそっちの方だった。

 あまりにも路側帯に寄り過ぎれば、ハンドルなどを歩行者やガードレール、あるいは電柱や街路樹などに引っかける危険性が上がる。本来なら、白線の内側を走るのが正解なのだ。


「自転車のハンドルを、白線の内側に入れるでござる。タイヤじゃなくて、ハンドルの左端でござるからな」


「え?そ、それってどのくらい?」


「ハンドルの端は、大体タイヤより30センチくらい外側でござる。もっとも、自動車がサイドミラーを擦るほど左に寄らないのと同じように、自転車もハンドルが擦るほど左に寄らなくてもいいでござるよ」


「――つまり?」


「白線とタイヤのあいだは、50センチくらいが目安でござるな。車道の左1/4から1/3くらいを意識するといいでござろう」


「え、ええ……」


 正直、最初は誰でも怖いものである。


「で、でも……ひゃん!?」


 白線の位置を気にしすぎたイアは、道路横の木の枝に頭をぶつけかけた。とっさにハンドルを曲げて内側によるあたりは、彼女もそれなりに自転車に乗り慣れている。


「おお、そこでござるよ。いま出てきた当たりを常にキープすれば、それでいいでござる」


「え?でも、今のは木が邪魔だったからで……そう。障害物があったときだけ内側に寄ればいいだけじゃない?」


「それ、後ろから来た自動車にしてみれば、突然進路を変えたり、蛇行しているように見えるだけでござるよ」


「……そ、そうなんだぁ」


 イアは、ユイのことを可愛い妹のように思っている節があった。対等な存在か、あるいは放っておけない子供か……そんな風に思っていたのだった。

 が、しかし、自転車となれば話は違う。この分野においては、やはりユイが上手なのだろう。


(怖い、けど……)


 少しだけ勇気をもって、車道の内側を目指す。ユイのタイヤが通った後を、自分のタイヤでなぞるように。


「わぁ……」


 先ほどまで、轍や補修痕でガタガタだった車体。それが急に、アスファルト本来のなめらかさに変わる。景色も、道も、標識も、信号も……


(綺麗……)


 空や、光さえ、綺麗に見えた。さっきまでと変わらない景色が、全然違って見える。


「これが、ユイちゃんの見ている景色なんだね」


「む?」


「……なんでもないよ」


 ドキドキする。イアは自分の胸を押さえつけようとしたが、ハンドルを持っている都合で押さえられなかった。

 その胸の高鳴りは、初めて道路の真ん中を意識して走った怖さによるもの。それだけでもないのかもしれない。


(ユイちゃんに、ちょっとでも近づけた……かな)


 今回、イアが自転車で海に行くと言い出したのは、つまりそういう理由だった。

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