第2章『夏と海と仲間たち』【31,858文字】
第10話 海に行こう 【4983文字】
――朝。
「む?」
心地よい鳥の声と、窓から差し込む白い光。それらを一身に受けたユイは、そっと目覚めた。
「はっ! いま何時で――」
速攻で、目覚まし時計を手に取る。デジタルの大きな文字版に表示されていたのは――
【AM 06:48】
「お、おお。なんと、まだ7時にもなってないでござる」
目覚まし時計より先に目を覚ますなど、ずいぶん久しぶりのように感じる。その割には体に疲れが残っていないことに首を傾げたユイは、とにかく上体を起こした。
大きく両手を上げて、伸びをする。そのついでに深呼吸。
「んっ――んんんんんー。ぷはぁー」
ふわり、と柑橘系の香りが鼻をくすぐる。昨日のアロマキャンドルの残り香だ。
「おお、そうであった。あれのおかげでござるか」
効果は個人差があり、気休め程度だという人もいるが、ユイには効いたようだ。
「九条殿に、礼を言わねばな」
今日こそ学校に早く行こう。そう考えると、急に頭もスッキリしてきた。身支度にもいつもより気合が入るというもので、さくさくと支度が進んでいく。
「む……うーむ」
せっかくだから、何か髪型でも整えてみるか。そう思ったユイは、なんとなくだがサイドを三つ編みにしていく。耳より前の部分を、細く2束ほど三つ編みにして、
「よっ、と」
耳に引っ掛けてみた。普段は隠れている耳の前あたり。頬だとか顎のラインだとかが見えるのが、少し恥ずかしい。しかし、同時に少し可愛らしいのが気にいった。
(しかし、こうして片方だけ編んでみると……『あの女』のようで、なんとなく――)
なんとなく――綺麗であった。しかしちょっとした抵抗感から真似したと思われたくないユイは、やっぱり解こうか迷う。
「まあ、『あの女』と会うことも今日は無いでござろう」
気にしないことにして、学校に行くのだった。
「お、ユーイーちゃーん!」
学校に着くと、ユイがいきなり声をかけられた。その声の主は、
「む?……なんだ。よじろー殿でござったか」
「おいおーい。なんだって言い方はひどいじゃないかー。それと、ぼくを呼ぶときは昔みたいに、下の名前で呼んでくれていいぜ。オトヤくん。ってさー」
「嫌でござるよ。よじろー殿」
「冷たいなー。ぼく、今日はせっかく面白い話を持ってきたのにさー」
金髪のウルフカットをくしゃくしゃと自分の手で崩しながら、困ったようなしぐさを作る与次郎。それでも楽しそうなのは何故だろうか。
「で、面白い話とは?」
「おお、ユイちゃん。聞いてくれるかい?」
大げさな動きで、ユイに振り向く与次郎。その耳にはピアス代わりの安全ピンが輝いていた。なぜピアッサーも安価で気軽に入手できるこのご時世に、安全ピンで開けたのか……
「聞かねば先に進めないイベントが発生しているようでござるからな」
ユイが少しだけ、目線を上に向けて『フン』と鼻を鳴らす。彼女と与次郎の背丈は意外と近い。なので、こうしてみると一瞬だけ、ユイの方が目線が高いのではないかと錯覚させられる。実際にはユイの方がやや身長が低いが。
「さて、まずは、これを見てくれよー」
「うむ?」
彼が取り出したのは、AT限定免許。つまり、自動車を運転できる免許だった。
「変な顔でござる」
「ひっでぇ! 写真はよく撮れてるじゃないかー」
「うむ。なので拙者が言ったのは、写真じゃなくてこっちの話でござるよ」
「こっちってどっちだよ!? ぼくの顔か? リアルの方のぼくの顔かーい!」
ユイがこうして、誰かをボロクソに言うのも珍しい。要するに、それだけ気の置けない仲という事だ。
「……それで、車に乗れるようになったのでござるな。おめでとう」
「ありがとーっ!! ユイちゃんならそう言ってくれると思ったぜ。そこで、ぼくの車で遊びに行かないかい? もう暑いし、海にでもさ」
「行ってらっしゃいでござる」
「なんで!? なんでユイちゃんは一緒に来てくれないのさー!」
「騒がしいでござるな。なんで拙者がこれから事故る車に乗らねばならぬのでござるか」
「事故る前提じゃないよ!? ぼく、こう見えてしっかり勉強してきたんだからね」
ぐすっ、とわざとらしく泣くふりをした与次郎は、「いいもーん」と開き直って、ユイの近くにいた女子たちに話しかける。
「イアちゃーん。カオリちゃーん。アミちゃーん。海行こうぜー。ぼくの車でさー」
「え?」
「あら」
「はぁ?」
唐突に話しかけられた女子たちは、こぞって「なんで与次郎と?」って空気を出す。それもそのはず。そんなに親しくしていた覚えがない。
「えっと、私たち?」
名前を呼ばれていたのを確認するため、イアが訊き返す。
「そうだよーイアちゃん。君たちを誘ってるのさ。いいだろー。夏と言ったら海。海と言ったら水着の美女。どうせ誘うなら仲のいい男どもよりも、これから仲良くなる女の子ってことでさー」
「うっわ。ストレートに欲望出してきた」
イアが少し引く。ついでに言えば、後ろの二人はさらに引いていた。
「と言うよりも、水着の『美女』と言うなら、わたくしたちは不足じゃないかしら?」
と、自信なさげにいうのは、
「まあ、アタシも知っての通りだからな。泳ぎは自信あるけど、美女わくで呼ばれても自信ないぜ」
カオリの隣に立っていた
そして、
「二人がそんなこと言ったら、私なんか立つ瀬がないじゃん」
何気に第3話から出ているが、ここでもう一度紹介するなら、ユイの友人その1こと、
3人そろって、だいたいモブキャラ3人組。別に覚えなくていい。
「いやいやいやー。3人とも綺麗だから大丈夫だって。自信を持ってー!! ぼくが保証する」
「いや、与次郎君に保証されても困るけど」
「よし、頑張れぼく。もう一歩だ。ちょっと押せば行けるぞー!」
「いや、全部声に出てるよ。与次郎君」
隠し事に向かない男である。
「ねえ。ちょっと3人とも、耳を貸してー」
「ふぇ?」
「あらら?」
「あ?」
「いいからいいから。ねー」
与次郎が強引に3人を引っ張っていく。ユイに聞かれてはいけない話のようで、あからさまに彼女から遠ざかっていた。
(むー……拙者に聞かれたくないなら、そう言ってくれれば席を外すでござるのに……)
納得がいかないユイだったが、もう自分には関係ない話である。
そっと立ち去り、廊下の壁に寄り掛かる。さてホームルームまで残り3分。どうせ遅かれ早かれチャイムで会話が終了だろうと計算していると、
「あ、ユイ……」
「おお、九条殿」
どうやらやっと来たらしい九条と鉢合わせした。
「教室、入らないのか?」
九条が眉をひそめて訊いた。
「うむ。少し、の……。よっと!」
ぴょんっと勢いをつけて、寄り掛かった壁から離れるユイ。その勢いに驚いて、一歩ほど後ろに下がる九条。
「それはそうと、九条殿。拙者には遅刻がどうのと言いつつ、自分も結構ギリギリなのでござるな」
「いや、まあ遅刻していないならいいか、って思ってさ。ほら、俺のバイクって、基本的に速度が一定だからさ。到着時間の誤差が少ないんだよ」
「むぅ……確かに、自転車や徒歩だとずれが生じるでござるからな」
「だろ? だから、いつもギリギリに来てる。いつも遅刻のお前には分からないかもしれないけどな」
斜めに切った前髪を、ちょんと指ではじく九条。どうも彼はユイに視線を合わせてくれない。
「のう、九条殿」
「ん?」
「昨日は、ありがとう。でござる。あの、アロマキャンドル」
「ああ、あれか。……使った?」
「うむ。期待以上の効果でござった。まことよき品でござる」
「そっか。よかった」
そう言って、九条が教室に入ろうとする。その背中を追うように、ちょこちょこと歩くユイ。
「この礼は、必ずするでござるよ」
「要らない。偶然その辺で見かけたから買って、よく考えたら要らなかったからお前にやっただけだしな」
「む? 贈り物用に包装されていたと思うでござるが?」
「店員の手違いだろ」
「むーっ……」
結局、九条との話もそこそこに終わり、ホームルームも一限目も終わった頃。
「ねえ。今週末、海に行かない?」
どこかで聞いたような提案を隣の席から投げてきたのは、イアだった。
「む? イア殿とでござるか?」
「うん。私と、カオリと、アミと……
「うむ、うむ、うむ」
腕を組んだユイは、丁寧に1回、2回、3回と頷き、
「それから与次郎君」
ゴン! 4回目で机に頭を打ち付けた。
「いや、なんでよじろー殿が出てくるでござるか!?」
「いやー、言い出しっぺだし。っていうか、彼が車を出してくれるって」
「あの誘いに乗ったのでござるか!? 言っておくが、あやつは本当に水着の美女への下心しかないでござるからな」
「いいじゃんいいじゃん。行こうよ」
イアが妙に乗り気である。他二人の顔も見ておこうと視線を移せば、やはり二人ともにっこり笑って頷いてきた。
「どういう心変わりでござるか? お主ら、奴に何を吹き込まれた?」
「んー、別に何も」
「嘘なのバレバレでござるからな」
はぁ……と、ユイはため息を吐く。与次郎をどれほどぞんざいに扱おうが構いやしないが、イアたちの誘いなら断りにくい。
そこへ、噂の与次郎もやって来た。
「さーて、ユイちゃん。どうする?」
「……仕方ない。お主がどんな策を使ったかは知らぬが、拙者も参ろう」
「やったー。海だー。ハーレムだー!!」
「それを阻止するために拙者が同行するのでござるからな? イア殿たちに指一本でも触れたら許さぬからな」
ユイの忠告が聞こえていないのか、すっかり自分中心で楽し気な与次郎。まったく、どうしてイアたちもこれに協力したのか謎である。
「ところで、気になったのでござるが、よじろー殿の車は5人乗れるでござるか?」
「え?」
「いやいや……え?」
突然のように固まった与次郎は、そのあとゆっくりと顔を下に向ける。そして、とても言いにくそうにつぶやくのだった。
「そういや、ぼくの車……4人しか乗れないんだった」
「「「え?」」」
ユイ以外の3人の声が、見事に揃った。唖然とした間抜け顔を揃える4人に対して、ユイは鼻を鳴らすようにため息を吐く。
「ふん。まあ、ヨジロー殿のことだから、そんなものでござろう。女子に囲まれたい気持ちは分からぬこともないが、人数制限は考慮して誘うべきでござったな」
パーティからユイが離脱しました。とでも言わんばかりに、手を振って与次郎を追い払うユイ。しかし、与次郎も諦めない。
「そこを何とかっ!」
……諦めないというだけで、何か考えがあったわけでもないが。
「私からもお願い。ユイちゃん」
「イア殿まで言うでござるか……しかし、拙者も人数制限を破るわけにはいかぬでござるよ? せっかく免許を取ったヨジロー殿の立場もござろうし」
「う……」
しかし、ユイだって遊びに行きたくないわけでもなかった。特に、与次郎はどうでもいいとして、他の3人とは仲のいい友達である。
「ふぅむ……それであれば、いい手があるでござる。ヨジロー殿。拙者だけ現地集合で構わぬでござるか? 自転車でいくでござる」
「え? いや、それは……」
「気乗りせぬか? しかしこの中で、自動車を運転できるのはヨジロー殿だけでござる。そして自転車でもっとも自由に走れるのは、拙者でござろう? この方法をおいて他に無いと思うのでござるが?」
それは、まぎれもない事実であった。とはいえ、
「ユイちゃん。ここから海水浴場まで、片道で30キロはあるよ?」
「拙者にとっては、毎日の通学距離に少し足した程度でござるよ」
「そうだけど……」
なにやらまだ大きな不満があるらしい与次郎に、ユイが笑って見せる。大丈夫だと……
「わ、私もっ」
そこで手を上げたのは、意外な人物だった。
「私も、ユイちゃんと一緒に自転車で行く!」
なぜか、乗れるはずの車を辞退したのは、イアだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます