修羅 と 羅刹

nekuro

 修羅 と 羅刹

 黒い海に厚い雲が浮かんで漂う。

 生物が全て死滅したかのような錯覚するほどの静けさが支配する。

 そんな中、我が物顔で道を歩いている男がいた。

 見た目十代の若者。

 ショートヘアに気の良さそうな人相。中肉中背のどこにでもいる青年といった様子。


 ただ、その服装は異質だった。

 この時間に上下黒の学生服に身を包み、その手には鞄らしきものを持っておらず、ズボンのポケットに両手を入れて歩いていた。

 学生服に身を包んだ男はこれといって気にすることなく、その歩を進めていく。

 やがて、止まった。


 目の前には高くそびえる鉄格子の門。先に見えるは白い建物。門の横に備えてある黒の表札に書かれているのは『虹の浦高等学校』の文字。

 男子生徒は周囲をちらり、と目配せする。その場で膝を曲げると、と跳んだ。


 実際、そんな感じの仕草だったが、内容は真逆。

 目の前にある鉄格子は優に二メートルを超える。だが、それを男子生徒は足の屈伸だけの跳躍で軽々と飛び越えた。

 校舎の中へ悠々と入り込み、足が接地するときの音も皆無。

 再び周囲を観察した後、男子生徒の足は動き出す。

 白い建物の中に入るかと思われた時、男子生徒の目が何かを見つける。


 猫だった。


 黒い猫。その黒猫はまるで誰かを待っていたように礼儀正しく座っていた。

 尻尾を振り、ニャー、と鳴く。まるで歓迎するかのように。

 黒猫はその場から離れ、校舎の裏に続く道で止まる。男子生徒を見て、再び鳴く。


 ”――ついてこい” そう、言わんばかりに。


 猫に導かれるままに、その後ろをついていく。校舎をぐるりと一周し、やがて開けた場所に出た。

 グラウンド。砂で形成された一般的な運動場。地面には白いラインパウダーで敷かれた楕円形の陸上用トラックの線が引かれていた。

 中央に向かって猫は駆ける。遠目に見て、そこに人影が一つ存在しているのに男子生徒は気付く。


 照らし合わせたかのように、漂う雲が道をあけ、そこに真円を描く月が現れる。

 幕が上がる。月明かりは次第にその役者へスポットライトを当てる。


 それは長い黒髪の女性だった。


 背中までの長く艶のある黒髪が揺れる。その目は静かに、そして意思の強さをあらわすような目つき。目鼻の整った美形であり、その白肌は光に照らされ淡く輝く。

紺のブレザーに下は膝上までの長さがある格子柄のスカート。

 極めつけはその手に持つ抜き身の日本刀であった。

 足元には先ほどの猫が女性になついており、その顔を足に擦り付けていた。

 ここまで導いたご主人の下へ男子生徒もまた歩み寄り、中央の女子生徒から数メートルの間をあけて正面から対峙する。


 

 「まずは、ここまでのお誘いありがとう」


 男はポケットから折りたたんだ茶封筒を取り出す。



 「そう。私の愛の告白は受け取ってもらえるのかしら?」



 透き通るような冷たい声色が響く。



 「刺激的な文面だった。刺激的すぎて、反吐がでたけど」



 手にした茶封筒を思いっきり引き裂く。何度も引き裂き、紙の意味をなさなくなったそれを、こともあっさり投げ捨てた。それを目にしても女子生徒は一切の表情を変えることはない。

 女性は手にした刀を前に構えて男子生徒にその切っ先を向ける。


 「大丈夫。これから起こる事はもっと刺激的だから」


 それに対し、男子生徒は呆れた様子。


「たかが数人しただけで、ケチつけられるのは堪ったものじゃないな」

「あなた達にはだろうけど、こっちはなのよ」

「話し合いの余地は・・・・・・なさそうだな」


 はっ、と吐き捨てるような言い方。

 男の目が黒から赤に。両の手の爪が急激な成長を見せると、それはやがて刃を形成する。

 明らかに異様な光景。だが、女子生徒は動じぬ事のないまま静かに男を見据える。

 何かを察したのか、女性の下から離れていく猫。相対峙する二人の役者を交互に見比べた後、小さく鳴いた。


 激突する。数メートルの距離など意も介さず、二人はすでに目と鼻の先に居た。

 女子生徒は手にした日本刀を横に一閃。それを男は伸びた爪で受け止める。互いの得物がかち合うと、鋭く甲高い音が響く。

 男の伸びた爪は、女子生徒の持つ金属のそれと同等の強度を誇ることを意味した。

 互いに一歩も引かず、何度も鎬を削りあう。

 双方の動きは目で捉える事叶わず。その間に立とうものなら、瞬時に膾へと変貌するだろう。


 絶えることの無い剣戟は息をする間もないほどの連続。

 やがて、暴風域と化した互いの斬撃を、一筋の光がかいくぐり、胸を貫いた。

 女子生徒の刀であった。男の心の臓を深々とえぐり、それに耐えかねて男は赤い吐瀉物をまき散らす。


 えぐられながらも、その動きを止めない男。トドメを刺すように、貫いた刀を女子生徒は、もう一度奥へと刺した。

 男の目が暗転する。糸の切れた人形のように、腕が垂れ、体を女子生徒へ預ける。女子生徒は男を払いのけ、その骸を地面に転がす。

 天を仰ぐ男の顔に生気はなく、傷口から漏れ出る血潮が男の周囲を赤く染める。

 動きの止まった男を確認した女子生徒は背を向け、刃の血を一振りして拭う。

 緊張の糸が解けたのか、初めて女子生徒は疲労の様子の表情を見せた。



 刹那。



 女子生徒の胸から何かが生えてくる。

 大きく尖った”それ”は女子生徒の服を赤く染め上げ、左胸から背にかけて伸びていた。

 何度か女子生徒の身体が痙攣した後、手にした刀がするりと落ちていく。

 何が起こったのか全く理解できてない様子。ゆっくりとその顔を後ろに向けると、そこに死んだ筈の男が立っていた。

 嬉々とした笑みをうかべ、その爪を女子生徒の背中から胸にかけて貫いていた。

 

 「何故? って顔をしてるな。悪いが、俺の心臓は二つあるんだ。一つだけのお前には理解できなかったんだろうがな」

 

 貫通した爪を男は思いっきり抜くと、女子生徒の傷からとめどない量の血液が流れ落ち、そのまま男と入れ替わるように、前のめりに倒れてしまう。

 見開いた目に光はなく、その身体は一瞬の動きさえも見せない。

 微動だにしない女の首筋に手を当て、完全に脈がないことを男は確認する。

 

 「悪いな。やっぱり、最後に勝つのは俺だったな」


 遠くで見ていた猫が女子生徒の下へ駆け寄る。

 屍と化したその女子生徒にすりより、心配するようにみー、みー、と鳴く。

 主人の返事はない。

 胸に深手を負った男はその胸を押さえながら踵を返す。


 ”――さて、次の獲物は誰にしようか”


 そんな事を考えていた矢先。

 胸に激痛が走る。男の胸から天を貫くように”それ”は上に向かって伸びていた。

 月明かりに照らされ鈍い銀色の”それ”は赤い液を浴びて妖艶に輝く。

 理解するのに男は数秒かかる。

 残った心臓がある片胸に、刀が刺さっていることに。


 「――がっ! は?」

 

 驚きと困惑。

 ゼンマイ式の人形のようにその身をガタガタ震わせながら背後を振り返る。

 疑うような光景が男の目に飛び込んできた。

 あってはならない。死者が再び動き出し、手にした刀で男の胸を貫いたのだから。

 女子生徒は刀を引き抜くと、男は再度地面に倒れる。


 (――なぜ?)


 呼吸は無かった。脈もない。それを完全に確認したのは間違いない。

 例え自分と同じように心臓が二つあったとしても、脈の動きで分かる。

 しかし、現実としてこの女子生徒は今動いている。

 

「理解できてない様子だな」


 心を見透かしたように女子生徒は言う。

 もう首を動かす力もない男子生徒は視線だけを女子生徒の方へ向ける。


「悪いわね。私も『こっち』が本体じゃないのよ」


 驚愕した。女子生徒の口が全く動いていなかったのだから。

 そして唐突に全てを把握する。

 ならば心臓を刺しても、呼吸が無いのも頷ける。

 視線を向ける。

 男子生徒の前に行儀よく座った黒幕は、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


「くそ・・・・・・猫が」


 

 

 



  

 


 

 



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