第7話 方向音痴の騎士と迷宮の魔術師
ラドクリフの話はにわかには信じがたいものだった。
地龍を一人で何体も倒すような男が、まさか『道を間違えて』最深部まで行ったなどと、どうして信じられるだろうか。
エリンは頭を抱える。
──そういえば、迷宮に入る前に、『道を違える呪い』とか言っていたわ。
エリンはそんな呪いを聞いたことがない。だから、軽く受け流した。目の前のラドクリフは、今見ても頑強で、呪いなどとは無縁に見える。
「失礼ですが、王都からこちらに来る時、道に迷われたりなさいましたか?」
「ああ。ここまでの道のりは、知っていたはずなのだが」
軍の人間なら、演習などで、この近くまで来ることはあるだろう。
「いつもよく迷われるのですか?」
「いや。王都にいる時は問題などおきたことがない」
ラドクリフは首を振る。
「迷宮の『目くらましの壁』の『近道』を通られたのは?」
「地狼に案内されてしまったというのもある。それに、なんか、それが『正しい』ように思えたんだ。今、あなたに言われてみると、確かにおかしいな。俺は馬鹿だ」
ラドクリフは自己嫌悪におちいったようで、大きくため息をついた。
「俺は『道を違える呪い』にかかっていると友人に言われたことがある。王都にいる時はいいけれど、俺は非常識でトラブル体質だともね」
「確かにあなたの強さは非常識です。地狼に懐かれることも含めて、いろいろあり得ません」
エリンは頷く。
「普通は、体力以前に剣のみで、あれほどの数の地龍を一人で倒せません。たとえ魔剣だとしても……」
言いかけて、エリンはラドクリフの下げている剣に目をやった。
「ラドクリフさま、その剣は魔剣でしょうか?」
「一応は。強度をあげる加護がついているだけだが。迷宮出土品らしい」
「拝見しても?」
「ああ」
エリンは鞘ごと、ラドクリフから剣を受け取る。
迷宮出土品の剣は儀礼用のものが多いが、これは装飾の少ない実用的な剣だ。
ラドクリフの言ったとおり、刀身の強度をあげる加護がついている。もっとも、だからと言ってラドクリフの異常な強さの裏付けには全くならないが。
──ん?
エリンは柄を握った時に違和感を覚えた。
「抜いてもいいですか?」
「かまわないが」
ラドクリフが頷くのを見てから、エリンは鞘から刃を抜く。銀色の刀身は、刃こぼれ一つしていない。
「こちら、鑑定はどこで?」
「さあ? これは師匠の形見分けでもらったものなのだ」
ラドクリフの剣の師匠が亡くなった時に、兄弟子から渡されたものらしい。
「ちょうど近衛騎士に入隊した時だったから、餞別にということだった」
魔剣と呼ぶには少ししょぼいが、入隊祝いを兼ねた形見分けだったのだろう。
エリンは刀身に指を這わせた。表面にあるのは、ラドクリフの魔力。その下には、強度をあげるための魔力。
だが、その下にも何かがある。
「魔喰いの剣だわ」
エリンが呟く。
「魔喰い?」
「先史時代にはあった技法です。刀身に『魔喰い』というモンスターを練りこむことによって、『加護』を持続させるのです。魔力の低い鍛冶職人でも、高い加護を持続させる剣を作ることができたらしいです。『魔喰い』は、モンスターの持つ『魔力』を吸い取って、『加護』に転換できた技術が存在したと聞いています──私も実物見るのは初めてですが」
エリンは説明しながら、顔をしかめる。
「たぶんですが。『魔喰い』はモンスターを求めます。ラドクリフさまに少なからず影響を与えているかもしれません」
「俺が『魔喰い』の影響を受けている?」
ラドクリフは驚いたようだった。
「はい。むろん、ご本人の資質もあるとは思うのですが、二日の距離を一週間かけてこられたのは、途中でモンスターを狩ったりしていたのではないかと」
「確かにモンスターを退治したことはしたが」
「ラドクリフさまは、魔喰いの影響を受けているといっても微量だとは思います。完全に支配されていたら、森から出ることは叶わなくなるでしょうから」
エリンは肩をすくめた。
「それに強く影響を受けていたら、その地狼も切ってしまわれたでしょう。だから、あくまでも微量です。ちょっとした判断を鈍らせて、モンスターに近い方へと向かわせる程度のことだと思います」
エリンは刀身を鞘におさめ、ラドクリフに剣を返した。通常、魔喰いの剣にそのような作用があるとは聞いていない。ただ、この剣には、ざわめきのようなものを感じる。この剣が不良品なのか、それともほかの理由があるのかは、ゆっくり調べないとわからないだろう。ラドクリフだからこそ、この程度で済んでいる可能性もある。ただ、今、この剣を捨てなければいけないということはないだろう。
「王都にはモンスターは滅多におりませんから、そこまでひきつけられることはなかったのでしょう」
「そう……なのかな?」
ラドクリフは首を傾げる。
「あれだけの地龍を狩ったあとですから、しばらくは影響もないと思います。王都までの帰路は大丈夫だと思いますよ」
「だといいが、これ以上遅くなる訳にはいかない」
ラドクリフは不安げだ。
地龍に囲まれてもびくともしない感じだった男が、『王都に無事たどり着くか』で悩んでいる。
──なんだか、可愛い。
「手を貸してくれないか、ルコラート殿。俺はまだ、王命を果たせていない」
「あなたなら、きのこなんて瞬殺なのに」
道にさえ迷わなければ。
それは本人もきっとわかっていることだ。
──あんなに強いのに守ってあげたくなるって、罪な人ね。
エリンは内心苦笑する。
「わかりました。第二層に案内しますね」
「世話をかけてすまない」
ラドクリフは丁寧に頭を下げた。
早朝、ラドクリフは、馬の鞍を用意する。
足元には犬がくるくるとまとわりつく。
土の迷宮に置いて行こうと思ったのに、地狼はラドクリフから離れなかった。仕方が無いので、一時的にエリンに目くらましの魔術で犬に見えるようにしてもらった。
──やっぱり見送りには来てはくれないか。
ラドクリフはため息をつく。
この時間に出ることは、昨日の夜に伝えてあった。ただ、彼女も迷宮から戻ってきて、疲れているというのもあるのだろう。そうであることを、ラドクリフとしては切に願う。
ラドクリフが道に迷って第十層に行ったことがわかった時、彼女は酷く驚いた。
美しい彼女に格好をつけたいなら、黙っておけばよかったと思う。ただ、そうしたら、きっと王命は果たせなかった。
──彼女の言う通り秘密任務ならどれだけよかったか。
そもそも道に迷って迷宮管理人の手をわずらわすなんて最低だ。ラドクリフの失態を知った後でも彼女の態度は変わらなかったが、それは逆に、ラドクリフに興味がないってことだろう。
荷物を馬にのせ、ラドクリフは柄に手を当てた。
──やはり、無理か……って
柄からなにかの感触が伝わるのを感じて、ラドクリフは慌てて手を離した。
──そういえば、考える時、つい柄に手を当てるくせがある。
魔喰いの影響は微量とはいえ、何か考えようとするたびに、そうしていたことにラドクリフは気づいた。
──まいったね。新しい剣を手に入れたほうがいいかも。
使いやすくて気に入っていたが、触るたびに道に迷っていたらシャレにならない。
──まあ、こんなに日程を超過するような俺に、二度と一人での任務が下されるとは思わないが。
今の状態の剣は『満腹』状態だろうから、王都への帰還は大丈夫だと、エリンは言っていたけれど、ラドクリフは自信をすっかり無くしてしまっていた。
──また、会いたかったな。
厩舎から馬を出して、管理小屋の方に目を向ける。
もっとも失態を犯さなかったら、エリンとあんなに話をすることはなかったとは思う。
エリンは聡明で、話していてとても楽しかった。綺麗な女性は他にもいる。ラドクリフは決してモテないわけではないが、女性と話が続かないことが多くて長く付き合ったことはない。
だが、エリンとは話があった。それに、背中を任せていい女性に会ったのも初めてだった。
エリンが王都に住んでいるのであれば、謝罪を理由に食事に誘うこともできるだろう。が、ここでは無理だ。
あんな醜態をさらしたラドクリフが用もないのに、彼女に会うためだけにここに来たら迷惑以外の何ものでもないだろう。
「ん?」
道に出ると坂道の方から蹄の音が近づいてきた。
──こんな早朝になんだろう?
この道はどんつまりで、往来は激しくはないはずだ。ラドクリフは馬の轡を持ったまま、坂道の方に目をやる。
坂道を登ってきたのは、馬に騎乗したエリンだった。ただし、来ているのは茶色のローブではなく、動きやすい乗馬用の服だ。
「間に合って良かったわ」
エリンはラドクリフと目が合うとにこりと笑った。
「村で待っていてもいいと思ったのだけど、上手く会えないと困ると思って」
エリンは馬を降りると、ラドクリフのそばにやってきた。
「えっと?」
「一緒に王都に行くから、馬を手に入れてきました。荷物を持ってきますので、少し手伝っていただけますか?」
「王都に?」
二人は馬を道のそばの木につなぐと、管理小屋の方にむかった。
ラドクリフは全く気が付かなかったけれど、入り口の隅には、荷物が置かれていた。
「はい。迷宮深部に新しい部屋が発見されたのです。魔術師の塔に報告しなけばなりませんから」
エリンの荷物をラドクリフは受け取ると、彼女の馬にそれを括り付ける。
魔術師は『遠話』という術があって、遠い場所の人間と話す事が可能だと聞く。直接王都に出向くというのは、ラドクリフを案じてのことかもしれない。
「優しいな。ルコラート殿は」
ラドクリフは、彼女に案じてもらえることを恥じつつも、どこか喜びを感じていた。
「あの、ラドクリフさま。一つ伺ってもよろしいですか?」
急に真剣な目で見つめられ、ラドクリフは思わず胸がドキリとした。
「ラドクリフさまは、恋人、もしくは奥さまはいらっしゃるのでしょうか?」
「いや、そういう人はいない」
突然の質問にラドクリフは驚いた。
「では、遠慮なく、できるだけお側で王都まで案内してもいいですよね?」
エリンは言うなりラドクリフの腕をとる。
自信たっぷりのようで、どこか不安げなエリンの目が愛おしく感じた。
「王都までじゃなくて、そのあともずっと一緒についてきてほしいんだけど」
ラドクリフはエリンの頬に手を添える。
「ええ。あなたみたいな優秀な騎士さまが、迷子になったら大変だものね」
「ありがとう。親切な魔術師殿」
目を閉じたエリンの唇にラドクリフは口づける。
いっこうに出発しようとしない主人に飽いたように、地狼がラドクリフの足に身体をこすりつけはじめ、ラドクリフとエリンは顔を見合わせて笑う。
秋の空は、どこまでも澄んで青かった。
了
方向音痴の騎士と迷宮の魔術師 秋月忍 @kotatumuri-akituki
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