第6話 居住区
目を覚ましたエリンは、見覚えのない天蓋に驚いた。
柔らかなベッドの感触。
全体的に薄暗いけれど、物の色がわかる程度には明るい。照明しているものが何なのかわからないが、どうやら天井がぼんやりと光って、部屋を照らしているようだ。
「目が覚めたかい?」
ベッドわきに座っていたラドクリフがエリンの顔を覗き込んだ。
「は、はい」
思わず胸がどきりとしたエリンは、慌てて身を起こして辺りを見回す。
エリンが寝ていたのは広い大きなベッドだった。少なくとも迷宮管理小屋ではない。
天井は高く、高貴な人の部屋を思わせる。
「ここは?」
「迷宮の中だよ」
「迷宮の中?」
「ああ。地龍のいた広間の奥の壁が開いた」
「嘘」
土の迷宮が見つかって既に百年以上が立とうとしている。最近は『管理』することが主体になっているけれど、以前は探索がさかんだった。もう、未知の空間はないと言われていて、エリンもそれを疑ったことはなかったのに。
「魔力切れで倒れたあなたをどこで休ませようかと思ったら、こいつが連れてきてくれた」
ラドクリフは自分の足もとに寝ている地狼を指さした。
「なるほど。この子はここを知っていたのですね。ところでその地狼さん、名前はつけていないのですか?」
「いや。名前を付けたら、情がわくと思って」
ラドクリフは頭を掻いた。
「今さらなのでは?」
「それはそうなのだけどね」
ラドクリフは苦笑する。
確かに今は幼いけれど、地狼だ。懐いたからと言って、気軽に飼えるものではない。
「赤蛇に狙われていたところを助けたら、懐かれてしまって。地狼がこんなに人懐っこいとは知らなかった」
「私もです」
エリンも頷く。ひょっとしたら、ラドクリフが特別なのかもしれない。あれだけ人間離れした戦闘能力を見せられると、そんな気もしてくる。地狼を『飼おう』などという酔狂な試みをした者はいないけど、迷宮のモンスターは基本的に人馴れしないのが通説だ。
「それにしても、どう見ても、寝室ですよね?」
「ああ。どうやらこいつに反応して開いたようにみえた」
なるほど、とエリンは頷く。
「この迷宮、いえ、『遺跡』は、どういう目的で作られたのかわかっていません。こんな居住空間のようなものがあるなんて」
しかもこの部屋の主が消えて百年は過ぎているはずなのに、ベッドは清潔で、部屋に埃が溜まった様子はない。まるで、この空間の時が止まっていたかのようだ。
「出入口は?」
「大丈夫。閉まらないように『確保』してある」
ラドクリフはにこやかに微笑む。隠し部屋は、入ったら最後出られないなんてのも定番だ。用心は必要だ。
「ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない。『遺跡』では基本のことだ」
それはその通りかもしれないけれど、それがきちんとできる者は少ないことをエリンは知っている。ラドクリフは本当に優秀なのだと、エリンはしみじみ思う。
「この地狼は、ここで飼われていたのでしょうか?」
「それはないんじゃないかな。だって、こいつ、子供だし」
「ええと」
確かにこの幼い地狼自身ということはないだろう。実際、この部屋は獣が出入りしていた様子もない。しかし、この地狼はラドクリフをこの部屋に案内した。なんらかの使命を帯びていたように思えるのは、エリンの考えすぎなのか。
ただ、それを解明するには材料があまりにも足らない。
「少し調べてもいいですか?」
エリンはベッドから降りようとする。
「もう大丈夫なのか?」
「ええ。お恥ずかしいところをお見せいたしました。ただの魔力切れですから」
いつもはそんな限界まで魔力を使うことはない。相手が地龍ということ、隣にいたのがラドクリフだというのもあるだろう。
会ってほとんど話もしていないが、エリンはラドクリフの横なら安全だと本能的にわかってしまった。
「無理はいけない」
ラドクリフの手が伸びて、エリンは再び抱き上げられた。
「えっと、ラドクリフさま?」
先ほどと違って、今度は抱き上げられる意味が分からない。
エリンの鼓動が早くなり、頬が熱くなる。
「この後も、まだ戦闘する可能性が残ってる。体力は温存した方がいい」
「それは、あなたも同じでは」
「あなたをこうして運ぶくらい、どうということはない」
ラドクリフの至近距離の笑みに、エリンはどうしたらいいのかわからなくなった。
ラドクリフの行動は『騎士』としての行動で、少しも押しつけがましくない。エリンに恩を売ろうとしているわけではなく、本気で案じてのことだろう。
「すみません」
慣れないことではあるが、ここは第十層。近道を使うにしろ、戻るにはそれなりに時間がかかる。少しだけ甘えたほうが、いいのかもしれない。
「気にするな。そもそも俺を助けに来てくれたのだろう?」
言いながら、ラドクリフは部屋の中を歩く。
「こちらの部屋は寝室だが、隣は書斎のようだ」
エリンが寝ている間に既に調べてきたのだろう。ラドクリフはエリンを隣の部屋へと案内する。
隣の部屋はラドクリフの言うように書斎のようになっていた。机の上に置かれた書類束のようなものは、見たことのない物質のようだ。
おそらく文字であろうその図形は、先史時代のエルフ語に見える。
書棚の本の背拍子に書かれた文字もそうだ。
ラドクリフにおろしてもらったエリンは、机の上の書類のタイトルと思われるものを指でたどる。
「土、生きもの、繁殖、生体系」
「読めるのか?」
「単語だけなんとか。これを読み解くにはたぶん十年単位の時が必要です」
エリンの手が震える。
今までこの迷宮が『なぜ』作られたのかは、誰も知らない。濃いエーテル。人工的に作られた空間。そして、無から湧くように生まれるモンスターたち。
「あなたのおかげです。ラドクリフさま。これは大発見です!」
興奮のあまりにエリンはラドクリフの両手をとって握り締めた。ラドクリフの顔が朱色に染まったが、エリンは全く気付かなかった。
「ひょっとして、これをお捜しだったのですか?」
「へ?」
エリンの質問に、ラドクリフは酷く驚いた顔をする。
「秘密の任務だったのではないのですか?」
「なんのことだ? 俺は『歌うキノコ』の採取に来ただけだが」
ラドクリフの顔は真顔だ。
「では、なぜ、第十層に?」
「第十層? ここはまだ第一層ではないのか?」
ラドクリフの顔は真顔だ。どうしようもなく、真顔だ。
「え?」
「え?」
エリンとラドクリフはお互いの顔を見みあわせる。
「う、嘘でしょぉぉぉ!」
エリンの絶叫が迷宮中に響き渡った。
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