第5話 地龍

 エリンは装備を整えると、迷宮に入った。

 第十層といたということは、今さら上層部を探しても意味がない。

 入ってすぐ、エリンは、見かけ上は封じられていた場所をラドクリフが通っていったことに気づいた。

 通常、深部に行く者だけが使う『近道』だ。

 熟練者が見れば『まやかし』の壁であることはすぐわかる程度の術ではあるが、普通はそんな術のかかっている場所は『正規』の道でないことは理解するものだ。

 それにみせかけの『壁』はモンスターを区切るもので、その強さからも『違い』はわかるはずである。

 迷宮の地図に関しては別段機密ではないから、この『近道』も地図に載ってはいるし、深窓部に行くものにはエリンも教える道ではあるけれど。

 ラドクリフは『近道』を知っていて、最深部にむかったのかもしれない。

──それにしたって、無謀だわ。

 ラドクリフがどれほど強いのかは知らないが、第十層の地龍を一人で相手にするのは難しい。いや、一匹倒すことは出来るかもしれないが、奴らは『群れ』ている。集団で囲まれる可能性が非常に高いのだ。

 迷宮を知り尽くしているエリンでも、第十層は念入りな準備をしてから潜ることにしており、今日のように下準備もない状態で向かうことはない。

 地龍から採れる材料はとてつもなく高価だ。しかし危険なのだ。

 ラドクリフの目的が地龍であるなら、正直にそう命じればいいはずである。さすがに一人の討伐は無謀であるから、そうであればエリンもそれなりに準備して同行した。

 それにしても迷宮管理人をたばかる理由がわからない。

 ひょっとしたら、ラドクリフの独断で第十層にむかったのだろうか。

──滅茶苦茶強いのは、わかるわ。

 ラドクリフが倒したと思われるモンスターの死骸があちこちに残っている。

 無駄のない攻撃がその躯からも想像できた。

 これだけ正確に相手の急所を突き、効率的に倒すことができるのなら、王が彼に一人で地龍の討伐を命じたとしても、不思議はない。

 ただ嘘をつきたいなら、第二層に住む『歌うキノコ』ではなく、もっと深い階層のモンスターにすればよかったのだ。

 夕刻には戻るはずだと思っていたからこそ、エリンは探査の魔術を使った。時間がかかることが不思議でない階層であれば、エリンは何も考えず部屋でのんびりしていたはずだ。

──と、すると、やはり独断?

 そういえば、わざわざ村のそばで野営をしていたと聞いた。

──地龍退治は鍛錬なのかしら。

 お金に困っているなら、第十層までいかなくても、ここにくるまで倒したモンスターからの戦利品を持ちかえれば、それなりの金額になるだろう。無造作に放置されたモンスターの死骸を見れば、彼の目的が金銭ではないとわかる。

──変わった人。

 迷宮管理人になって、三年。

 いろんな『客』を見てきたが、ラドクリフのような男を見たことがない。

 地龍退治もあったけれど、チャレンジしたのは小隊だったし、なんならエリンも同行した。

 一人で地龍に立ち向かおうなんて、狂気の沙汰だ。

 迷宮に入る前の彼を思い出しても、そこまでの覚悟や悲壮感は感じられなかったと、エリンは思う。

──第七層から第十層までの『近道』に気づくなんて、やっぱり本物だわ。

 モンスターの死骸、足跡などを見ていれば、ラドクリフがどの道をたどったのかはわかる。

 最後の『近道』は危険度が高いため、地龍に対抗しうる人物でしか通れない。

 そもそも『近道』を壁で隠すのは、迷い込みを防ぐためである。

 そこに気づかない者が、そこから先に行ったら危険という意味で、そうしているのだ。

「本当に正直に言ってくれれば、私も手伝うのに」

 たとえ王命とは別に個人の理由であったにせよ、地龍と戦いたいというのなら、エリンは止めなかった。

 誰も欲しなくても、定期的に迷宮のモンスターは掃討しなければならないのだから。まして、地龍となれば、手に入る『材料』は貴重だし、エリン一人で倒すためには、数か月かけて準備する必要まである。エリンから見れば、ウインウインの関係なのだ。

 エーテルの濃度が濃くなった。

 何かが焦げる匂いと、血臭がする。ドンと、大地が揺れた。

「いた」

 第十層への出口付近の通路に、薄暗い明かりがみえた。

 どうやら、ランタンの明かりのようだ。

「ラドクリフさん!」

 通路付近には、大きな小山が転がっている。血臭がすごい。

 争っている剣戟の音。地龍の唸り声と、地狼の鳴き声だろうか。

 ただ、薄暗いのと、転がっているもののせいでよく見えない。

「光よ」

 エリンは呪文を唱えた。

 光玉を天井にとばすと、辺りが昼間のように明るくなった。

「なっ」

 エリンは絶句する。

 通路をふさぐかのように転がっているいくつかの小山は、地龍の躯だ。

 第十層の『大広間』に入る入り口付近で、火炎を剣にまとわせたラドクリフが地龍と戦っていた。

「嘘。これだけの数を一人で?」

 魔術師ならば、あらかじめ仕込んだ魔術玉を使って、複数の地龍を倒すことも可能だけれど、みたところ、彼は剣の付与術だけを使用して戦っている。

 これだけの数の地龍を付与術のみで倒すなんて、常識外れもいいところだ。

 とはいえ、まだ十体近い地龍がいる。狭い通路で戦うにせよ、倒した地龍の躯が邪魔だ。

 エリンはまず、地龍の躯を管理小屋へ転送した。

 転送魔術は、『無生物』限定だけど、死んでいれば送ることができる。

 五体ほど転送すると、ようやく視野がクリアになった。

「ラドクリフさま!」

 通路の入り口付近で戦うラドクリフは、血濡れていて、さすがに疲労の色がみえる。

 それでも、地龍の攻撃をかわしながら、急所である逆鱗を狙っているようだ。

 そして、彼と呼吸を合わせるように何故か地狼の子供が戦っている。

 地狼は彼の味方のようだ。遠目では、ふわふわの金の毛玉に見えるが、その犬歯は骨をも砕く。人に慣れるなんて聞いたこともないが、どう見ても、忠実な『犬』のように戦っている。

「雷撃!」

 エリンは、一人と一匹の邪魔になる場所を測って、攻撃魔術を放つ。

 雷はラドクリフの前の地龍を貫通し、後方の地龍ともどもダメージを与えた。

「さすが、迷宮の魔術師だ」

 ラドクリフはすかさず、手前の地龍に止めを刺す。

 そのまま、その地龍を踏み台にして飛び越え、手負いの地龍の逆鱗に剣を突き立てた。

 その手際の良さに思わず見惚れそうになったが、まだ、それどころではない。一度攻撃態勢に入った地龍の群れは、全滅させるまで、攻撃対象を追いかける習性がある。一体を倒しただけの状態ならともかく、たくさんの仲間を殺している。もはや逃げることは不可能だろう。

 エリンはラドクリフのすぐ近くまで走った。

 攻撃の魔術は視認できるところでないと、誤射することがあって危ない。

「ラドクリフさま、その地狼はお仲間で?」

「ああ。成り行きでね」

 ラドクリフは剣戟の手を緩めず答える。地狼の方も、ラドクリフの態度を見てエリンを敵ではないとみなしたようだ。

「ラドクリフさま、一気に決着をつけましょう。中央で大技をかけます。私を護衛していただけますか?」

「わかった」

「道を開きます」

 エリンは深呼吸をする。

「炎の道!」

 エリンの言葉と共に、そそり立つ炎の壁を両脇に持つ道が広場中央に向かって伸びた。炎の壁は薄く、それほどの破壊力はないが、それでも地龍たちは攻撃をやや躊躇するだろう。

「行きましょう」

「よし」

 歩き出そうとしたエリンの身体を、ラドクリフが抱き上げる。

「へ?」

 突然のことにエリンは緊迫した状況にもかかわらず、どきりとした。

「この方がたぶん早い」

 ラドクリフはエリンを姫抱きにしたまま、炎の道を走り出した。地狼もラドクリフと共に走っている。

「嘘」

 ラドクリフは人ひとり抱えているとは思えない敏捷さで、時折、炎の壁の向こうから地龍から放たれた気弾を跳ねるように避けて走る。

 確かにこのスピードならば、エリンが普通に走るよりずっと早い。

──この人、本当に人間?

 鎧を着て、しかもエリンを抱えているとは思えない。まして地狼を手なづけて、たった一人で地龍を何体も倒すのもあり得ないことだ。

 エリンはひたすら前を見据えているラドクリフの端整な顔を見つめる。

──すごい。こんなにカッコイイ人、実在するのね。

 エリンは今まで『守られている』と思ったことはない。もちろんエリンは魔術師であるから、盾となる戦士の後ろから攻撃することも多々あった。

 だが、それはあくまでエリンが術を発動させるための『時間稼ぎ』だ。エリンの術が発動しなければ、戦士たちはあっという間に倒れてしまうだろう。だが、ラドクリフは違う。エリンがいなくても彼はこの窮地を脱することが出来るだろう。返り血を浴びてなお、色気を感じさせる顔に、エリンは釘付けになった。

「ここでいいか」

「はい」

 炎の道が途切れるところまで走ると、ラドクリフはエリンをおろしてくれた。

「ラドクリフさま、魔法陣から出ないでください。あなたも動かないで」

 エリンは地狼にもそう言って、魔法陣を描きはじめた。

 ラドクリフは剣に炎をまとわせて、地龍を牽制してくれている。地狼はエリンの言葉を理解したのか、足元でじっとしていた。

「大火炎」

 エリンの術が発動すると魔法陣を中心に周囲へと 炎が燃え広がる。

 床と天井が真っ黒にすすけたころには、地龍は全て燃え尽きていた。




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