第12話 ドルセン教官の試練


「おや、レクト教官ではないか」


 職員室へ向かう途中、廊下の向こうからドルセンさんが歩いて来た。


「ドルセンさん。お疲れ様です」


「……ふん、態度だけは殊勝だな」


 軽く頭を下げると、ドルセンさんは気に入らないとでも言わんばかりの表情で俺を見据えた。


「今日の授業はもう終わりだろう。貴様に頼みたいことがある」


「頼みたいことですか?」


 ドルセンさんは「ああ」と頷いた。


「私の授業で使う薬草の在庫が心許なくてな。貴様に取ってきてもらいたい」


「……俺が、ですか?」


「新米が雑用を任されるのは、どこの業界でも同じだろう」


「それは……確かに」


 探索者になったばかりの頃を思い出す。

 新米の探索者は大抵、雑用系の仕事を押しつけられることが多い。しかしそれは決して嫌がらせなどではなく、小さな雑用を積み重ねることで、幅広い分野の経験を積めという意図があった。実際、そうして雑用を続けていくうちに、仕事のイメージが鮮明になったような気がする。


「分かりました。薬草の種類は何ですか?」


 仕事を引き受けると、ドルセンは何故か嫌な笑みを浮かべた。


金糸雀カナリアの花だ」


 聞き覚えがある。

 確か、王都の近くにあるC級ダンジョンで採取することができた筈だ。


「金糸雀の花ですね。すぐに取ってきます」


「……すぐに取ってくる?」


 そう言ったつもりだが。

 何故かドルセンさんは目を丸くする。そして唐突に笑い出した。


「はは……ふはははっ! そうか! ではすぐに取ってきてもらおうか! ははははっ!」


 何がそんなに面白いのだろうか。

 大笑いするドルセンさんを不思議に思いながら、俺は教習所を出てダンジョンへ向かった。




 ◇




「あら、ドルセンさん。どうしたんですか、随分と上機嫌に見えますが……」


「ふははは!! こ、これが笑わずにいられるか……っ!」


 あまりにも愉快過ぎて笑いを堪えきれないのか、ドルセンは腹を抱えていた。


「エラ教官。先程、私はレクト教官に、金糸雀の花を取ってくるようにと頼んだのだ」


「か、金糸雀の花ですか……? あれって、確かC級ダンジョンの、かなり奥地に行かなければ採取できなかったものでは……?」


「そうだ。しかしあの若造は、何食わぬ顔で『すぐに取ってくる』などと口にした」


 くくく、と笑みを浮かべながらドルセンは続ける。


「よほどの身の程知らずか、或いは金糸雀の花がそもそも何処にあるのかすら知らないのか……いずれにせよ、あの男は教官に相応しくないっ! ……所長のみならず、探索者協会の会長からも推薦された男と聞いて、最初はどんな豪傑が来るのかと思っていたが……なんてことはない、所詮は若いうちに引退した凡人だ! ははははっ!」


 まさに抱腹絶倒。

 目尻に涙を溜めるほど爆笑するドルセンを見て、エラは額に手をやった。


「ドルセンさん……」


「ははは! メッキが剥がれるのも思ったより早かったな! ふはは――」


「ドルセンさんっ!!」


「ひっ!?」


 大きな声で呼ぶと、ドルセンが漸く反応する。

 エラは眦鋭くドルセンを睨んだ。


「知っていますか? レクト教官、先程の授業で、生徒が怪我しそうになったところを身を挺して守ったそうですよ?」


「な、何? そうなのか?」


「ええ。さっき廊下で一組の生徒たちが話しているのを聞きましたから、間違いありません」


 エラがそう告げると、ドルセンは途端に気まずそうな顔をした。

 思わず、エラは溜息を吐く。


「ドルセンさんが、生徒たちの教育に人一倍熱心なのは知っていますが……だからと言って、他の教官に無茶ぶりをしてはいけませんよ」


「し、しかし、私は私なりに生徒のことを考えてだな……新しい教官がどの程度の実力なのか、きちんと確かめた方が生徒のためにもなるだろう」


「生徒だけでなく、同僚のことも考えなければ駄目だと言っているんです。レクト教官はまだ新人なんですから、長い目で見ましょう」


 じっとりとした瞳でエラはドルセンを睨む。

 ドルセンは観念した様子で項垂れた。


「栄えある黄金世代の生徒たちを教育するわけですから、お互い気負ってしまうのは仕方ありませんけど……こんな話を生徒に聞かれでもしたら、大変ですよ?」


「……そうだな。教官が、才気溢れる生徒たちに振り回されているなど、絶対に知られてはならないことだ」


 すっかり反省したのか、ドルセンは小さな声音で同意する。


 生徒たちはきっと知らないだろうが――エラとドルセンは、生徒たちの才能を伸ばすために、数え切れないほど試行錯誤を繰り返している。その作業には途轍もない根気を要し、常人ならすぐに退職届を提出してしまうほどの負担が掛かることもある。


 それでも、二人が教官を続けているのは、偏にやり甲斐を感じているからだった。

 才気溢れる黄金世代の生徒たち。彼らの成長は凄まじい。苦労することも多いが、その分、生徒たちの成長を見届けた時の感動は筆舌に尽くしがたいものがある。


「しかし……だからこそ、私は期待していたのだ。所長と会長の推薦を受けた男。それほどの人物なら、あの生徒たちをより良い方向へ導いてくれるのではないかと」


 切実な思いを込めたドルセンの呟きに、エラも神妙な面持ちをする。


「一組は、才能がある生徒たちの集まりですからね。しかし、それはあくまで潜在能力・・・・の話。あの子たちの問題は、その才能をあの子たち自身ですら持て余していることです。だから私たち教官は、あの子たちに正しい才能の使い方を教えなくてはなりませんが……」


「……今までの担任は、その使命を果たせず、全て退職してしまった。私たちにとっても決して他人事ではない」


 沈痛な面持ちで、ドルセンは言う。


「レクト教官は、これまでの担任とは違うと思いますよ」


 徐に、エラは言った。


「実力はまだ分かりませんが、今までの担任のように簡単に匙を投げる人とは思えません」


「……ふん。あれは単に、生徒たちの才能に気づいていない、節穴なだけだろう」


「仮にそうだったとしても、それが生徒たちのためになるなら問題ないと思います」


 それもそうかもしれないな、とドルセンは小さく呟いた。


「取り敢えず、レクト教官を呼び戻しましょう」


 そう言ってエラは体内元素を練り上げる。

 エラは元素の遠隔操作を主に使用するタイプ……即ち元素使いだ。

 カリーナ所長ほど繊細なコントロールはできないが、エラも繊細で高度な術式を得意としている。


「――《サーチ》」


 特定の人物や物を探すための術式を発動する。

 今朝、顔を合わせた時にレクトの体内元素は見ている。あれと同じ元素を街中から探せばいいだけだ。


「……見つけました」


 レクトの居場所が分かった。

 エラはより詳細な位置情報を割り出そうとする。


「まだ王都にいますね。今、丁度、城壁を出たところで――――え?」


「どうした?」


 目を見開くエラに、ドルセンが訊く。


「反応が、急に……消えた?」


 エラは不思議そうな顔で、ぽつりと呟いた。


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