第8話 レクトの印象
生徒たちが他の教室へ向かった後、俺は「ふぅ」と小さく息を吐いた。
思ったより緊張していたのかもしれない。程よく気分が弛緩され、俺は職員室の方へ向かった。
「あ……レクトさん、ですよね?」
廊下を歩いている途中、栗色の長髪をした女性と出会う。
「はじめまして、私はエラと申します。元素学の担当です」
「レクトです。担当は実技になります」
この教習所で働く教官の一人らしい。
つまり俺にとっては同僚だ。
「すみません、挨拶が遅れてしまって」
「いえいえ。就任初日ですし、色々と余裕もないでしょうから。……何かあったらいつでも頼ってくださいね?」
「ありがとうございます」
優しく微笑むエラさんに、俺は頭を下げた。
頼りになりそうな人だ。俺は探索者としてならともかく、教官としての経験は皆無であるため、こういう人がいてくれるのは非常に心強い。
「無事、クラスには馴染めましたか?」
「まだ少ししか話していないので分かりませんが……善処はするつもりです」
「ふふ。最初は慣れないと思いますが、生徒たちも真面目な方が多いので、すぐに仲良くなれると思いますよ」
少々自信なさげに言ってしまったからか、エラさんは励ましの言葉を掛けてくれた。
「レクトさんは以前、ここの生徒だったんですよね? でしたら、当時と比べて変わっている点が多くて驚いたんじゃないですか?」
「そうですね。特に授業のシステムが以前とは全く違うので、戸惑いました」
「生徒が増えたことで、教習所の制度も一新されましたからね。今は授業も選択制で……生徒が受けたい授業を、自由に選択できるようになったんです」
俺がいた頃は、全ての生徒が同じ授業を受け、同じ試験を突破しなければならなかった。
しかし昨今、生徒が増えたことで、生徒たちの個性の差を無視できなくなったのだろう。座学が得意な者もいれば実技が得意な者もいる。彼らに別々の進路を歩ませるために、選択制の授業を行うことにしたのだ。
「まあ、そのおかげで私たち教官は少し大変になりましたが……」
「そうなんですか?」
「ええ。なにせ下手な授業をすれば生徒たちが離れてしまいますから。……生徒の信頼を得られなければ、最悪、授業に誰も出席しないなんてこともあり得ます」
「……そんなことがあるんですか」
俺がいた頃とは全く違う状況だ。
生徒が受ける授業を選べるということは、授業を受けない自由もあるということだ。
出席する生徒が一人もいないというのは中々辛いことだろう。
「あ、で、でも、そんなことは滅多に起きませんから、そこまで心配しなくても大丈夫ですよ! ……ただ、それを切っ掛けに退職した教官も何人かいますので、一応レクトさんも気をつけてくださいね。最近の生徒たちは優秀ですから、見る目が肥えているんです」
元気づけてくれるエラさんに、俺は「分かりました」と返す。
初めて経験する仕事だ。上手くいかないことも多々あるだろうが、少しずつ改善していくしかない。
「私は、貴様に教官が務まるとは思わんがな」
廊下の向こうから、金髪をオールバックにした男がやって来る。
見知らぬ男の登場に俺は驚いたが、隣にいるエラさんは顔を真っ赤にして怒った。
「ドルセンさん! いきなり失礼ですよ!」
「正直に考えを述べているだけだ。それに……私以外にも、多くの者が似たようなことを思っているだろう」
そう言って、男は俺の前に立つ。
「ドルセンだ。主に薬学を担当している」
「……レクトです」
あからさまに訝しむ目で、ドルセンさんは俺を見た。
「貴様、歳は幾つだ?」
「二十ですが」
「ふん、その若さで探索者を引退したということか。……たかが知れているな」
短くそう告げて、ドルセンさんは踵を返した。
今の発言は、どういう意味だろうか……?
◇
レクトがドルセンに難癖をつけられている頃。
一組の生徒たちは、地理学の教室へ向かいながら会話していた。
「あの教官、若かったな」
赤髪の少年、レイが呟く。
「探索者として活動していたものの、若くして引退し、今は教官か……」
レイの発言に、灰髪の少年スメルクも相槌を打った。
そんな二人の男子の様子に、公爵家の令嬢アリスは不思議そうに首を傾げる。
「それの何が悪いんですか?」
「要するにあの男は、探索者として挫折したということだ」
スメルクは溜息混じりに続けて言った。
「歳を取ってから引退するならともかく、若いうちに引退したということは、簡単に心が折れてしまったということだろう。……その結果、教官という仕事に妥協したに違いない」
「うちの親父が言ってたぜ。そういう奴は、口先ばかりで実力の方はからっきしだから、イマイチ信用ならねぇってな」
スメルクの発言に、レイも頷いて同意を示した。
「で、ですが、それならエラ教官も若いですよ?」
「あの人は教官でありながら、現役の元素学者でもあるだろ? エラ教官は妥協したわけじゃない。実際、元素学の分野でもすげー成果を出しているし、尊敬できる人だ。……対して、俺たちの新しい担当は、ぶっちゃけハズレかもなぁ」
レイが残念そうに言った。
「ハズレ、ですか……」
アリスが視線を下げて呟く。
その様子に、橙色の髪をポニーテールにまとめた少女、シャッハが目を怪しく光らせた。
「おやおや~? アリスは結構、あの教官のことを気に入った感じ~?」
「「む」」
レイとスメルクが明らかに不機嫌そうな声を漏らす。
そんな二人の反応に、アリスは気づくことなく答えた。
「ええっと、シャッハさんが思っているような意味ではないと思いますが……その、レクト教官は、私の名前を聞いても態度を変えなかったので」
「……そう言えば、アリスが公爵家だと知っても大して様子が変わらなかったね」
アリスの言葉にシャッハは納得する。
慣れているクラスメイトたちならともかく、普通、公爵家の令嬢を前にすれば態度が硬くなるものだ。しかしあのレクトという教官は、アリスの名を聞いても全く態度を変えなかった。
「いや、分からんぞ。先に知っていたから心の準備ができていたのかもしれない」
勿論スメルクが言う可能性も十分ある。
いずれにせよ、レクトという男の真価が問われるのはこれからだ。
「幸い今日は実技の授業があるし、取り敢えずそこでレクト教官の実力を確かめようぜ」
「ああ。……化けの皮を剥がしてやろう」
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