第3話 ケロケロ様
深夜———…
月影の森の奥で、一人の老婆がしげみの前に跪いていた。
「…ケロケロ様、ケロケロ様…どうか私の…私の願いを叶えてください…。」
そう言ってその老婆は、そのしげみに向かって深く強い祈りを捧げたのだった。
◇◇◇
数日前にバルオキーまで戻って来たアルド達は、久々に村の中を散策していた。
「あら、アルド。帰って来てたのね。」
村を散策するアルドの姿に、村人達は笑顔でそう声を掛けてくる。
そんな顔馴染みの人々の中に、アルドは久しぶりに見る懐かしい顔を見つけた。
「トーマス!バルオキーに戻って来てたのか!」
その姿を見たアルドは、すぐさまその者の元へと駆け寄って行った。
「アルド!なんだ、お前も帰って来てたのか!」
アルドと目が合ったトーマスは、懐かしそうな表情で笑顔を浮かべながらそう答えた。
トーマスはアルドよりも2つほど年上で、アルドよりも先に警備隊に入り、現在は別の場所での任務についている。
アルドとは昔からの顔馴染みだった為、今までもこうしてトーマスが村に戻ってきた時には、二人でよく一緒に話したりもしていた。
「やっと休暇が貰えてな。今年も婆ちゃんの様子を見に帰ってきたんだ。」
そう言って自分の家を指差すトーマス。
トーマスには両親はおらず、その家には今シスナというトーマスのお婆ちゃんが一人で暮らしている。
「トーマスは昔からおばあちゃんっ子だったもんな。婆ちゃんは元気なのか?」
アルドのその言葉に、トーマスは少し顔を曇らせながらこう答えた。
「…元気は元気なんだけどさ…なんか婆ちゃん、最近ちょっとおかしいんだ。」
「…おかしいって?」
トーマスの突然の様子の変化に、今度はアルドの方が顔を曇らせる。
「婆ちゃんさ、俺が毎晩眠ったのを確認すると、夜な夜などこかに出かけてるみたいなんだ。」
「そんな夜中に一体どこに出かけてるんだ?」
トーマスのその言葉に、アルドは思わずそう聞き返す。
「それが全然分からないんだ。ただ、婆ちゃんは毎回カゴいっぱいに入れた果物とか野菜なんかを持って出かけてさ…それがめちゃくちゃ怪しくてさ…」
「…それは怪しいな…そんな毎晩毎晩、婆ちゃんは一体どこに向かっているんだろう…?」
シスナお婆ちゃんのその不可思議な行動に、アルドは首をかしげた。
「それが分からないから困ってるんだ。俺の家族はもうシスナ婆ちゃんしかいないし、そんな夜中に出掛けて婆ちゃんの身に何かあったらどうしようとか思ったら、とにかく心配でさ…そうだ、アルド。良かったら婆ちゃんが毎晩毎晩どこに出かけているのか探ってみてもらえないか?」
「えぇ!?それはいいけど…トーマスは本当は自分で探りたいんじゃないのか?」
トーマスの突然の無茶な提案に、アルドは一瞬驚いたりもしたが、アルド自身も正直そんなシスナお婆ちゃんの行動が気になって仕方がなかったのも事実だった。
「それはそうだけど…婆さんは絶対に俺が寝入ったのを確認してから出かけてるし、俺の行動には昔から異常に敏感なんだ。だから気配でバレちまう。」
(…警備隊で活躍している孫の気配ですら分かってしまうだなんて、婆さん一体何者なんだろう…)
アルドはそんな風に思っていた。
「それに…」
そんな事を考えているアルドに対して、トーマスがポツリと呟いた。
トーマスの表情も、いつしか真剣なものへと変わってしまっている。
「…それに…?」
そんなトーマスの様子に、アルドはコクリと一つ唾を呑むと、アルド自身も思わず真剣な表情となって聞き返した。
「俺、一度ベッドに入ったら朝まで起きれないタイプなんだ。」
…そっちかよ。
こうして安堵の溜息を漏らしたアルドは、トーマスの変わりにそのお婆ちゃんの行動を探る事にしたのだった。
◇◇◇
「…本当に出てきたな。」
深夜2時。
シスナお婆ちゃんの家の前で張り込んでいたアルドは、家から出てきたシスナお婆ちゃんの姿を見るとそう呟いた。
シスナお婆ちゃんは、トーマスの言う通りその腕に沢山の果物や野菜を抱えている。
深夜だというのに、夜道を一人で歩く老婆の姿に違和感が走る。
「…こんな時間に一体どこに行くのでござろうか?」
アルドと同じく、物陰からその様子を見ていたサイラスも怪訝そうな表情でそう呟いた。
「…これは確かに怪しいよな。夜道も危ないし、俺達もついて行こう!」
こうしてアルド達は、シスナお婆ちゃんの後をついて行く事にしたのだった。
◇◇◇
月影の森へと着いたお婆ちゃんは、しばらく森の中を進んで行くと、ある開けた場所で立ち止まった。
そして、しげみの前に跪くと、持ってきた沢山の作物を地面に置いて、何やらブツブツと呟きはじめた。
「…一体何を言ってるんだ…?」
突然しげみに向かって何かを言い始めたシスナお婆ちゃんのその言葉に、アルド達がそっと耳を傾ける。
「…ケロケロ様…どうか私の願いを叶えてください。お願いします。ケロケロ様…」
どうやらシスナお婆ちゃんは、そのしげみに向かって何やら祈りを捧げているようだった。
…あのしげみの中に、一体何がいるんだ…?
そう不審に思ったアルドが、お婆さんに近づこうと一歩足を踏み出したその瞬間…
…パキン…
アルドは地面落ちていた小さな木の枝を、その足で踏みつけてしまった。
折れた枝の乾いた音が、森の中に響き渡る。
「…アルド!どうしてここに…!」
その音に驚いたお婆ちゃんが、こちらを振り向きそう声をあげた。
観念したアルドは、罰の悪そうな顔で頭をかきながら、お婆ちゃんへと近づいて行った。
「…悪い。実はトーマスに頼まれてさ。婆ちゃんが夜な夜な外に出て行ってるみたいだから、様子を見てきて欲しいって。」
「…そうか…トーマスが…なんじゃ、気づかれておったのか…」
そう言って少し残念そうな表情で溜め息をつくシスナお婆ちゃん。
そんなお婆ちゃんに向かって、アルドの後ろにいたサイラスもお婆ちゃんの前に姿を現しながらこうお婆ちゃんに尋ねた。
「一体そこで何をされていたのでござるか?何やら”ケロケロ様”とかあまり聞き慣れない言葉が聞こえてきたでござるが…」
そう言って顔を出したサイラスの姿を見たお婆ちゃんは、さらに驚いた顔となってこう声を漏らしたのだった。
「…ケロケロ様…!」
「…え?」
「…ケロケロ様って、もしかして拙者の事でござるか!?」
お婆ちゃんのその言葉に、驚いて思わず後ずさるサイラス。
「そうですとも!もしかしたら貴方様の本当のお名前は違うのかもしれませんが、貴方様は確かに私の言うケロケロ様に違いありません!…どうか…どうか私の願いを叶えてください…!」
そう言って必死な表情でサイラスにしがみつくお婆ちゃん。
「一体どういう事なんだ?」
シスナお婆ちゃんのその言葉に、サイラスも含めたその場にいた全員が首を傾げたのだった。
◇◇◇
「数ヶ月前に、たまたま森に薪を拾いに来た時に、この森であなた様の姿を見かけましてな…はじめはあまりにも大きなカエルだったんで腰を抜かしそうになったんじゃが…」
「…失礼な話でござるな。」
途中までお婆ちゃんの話を黙って聞いていたサイラスだったが、その言葉に思わず自分の喉を鳴らしながらつっこんだ。
「すると、その翌日に久しぶりに雨が降りましてな。今年は雨が少ないもんじゃから、本当にビックリししましての。それでもっと雨を降らして欲しくて、毎晩毎晩この森に来てはお祈りをしていたんじゃ。」
…サイラスの姿を見たっていうのは多分、こないだ次元の狭間からバルオキーに戻って来た時の事だろう。
その時に見たこともないカエル男の姿を見かけたシスナお婆ちゃんは、サイラスを神様の使いか何かと勘違いして、毎晩祈りを捧げていたようだ。
「…生憎拙者には天気を操るとか、雨を降らせるなんて能力は持ち合わせていないでござるよ。」
そう言って再び喉を鳴らすサイラス。
「まぁ、初めてサイラスの姿を見た人はビックリするかもな。でも婆ちゃん、サイラスは見た目はこんなでも、中身は俺達とあまり変わらないから…」
そう言ってお婆ちゃんのことを諭すアルドに向かってお婆ちゃんは、
「…じゃあ、毎日ここにお供えものを届ければ、雨を降らせるって言ったあの言葉は嘘じゃったのか…」
そう言いながらガックリと肩を落とした。
「えぇ!?」
お婆ちゃんのその言葉に、アルド達が一斉に驚きの声をあげる。
「サイラスさん、ソンナ悪どい事ヲしていたンデスネ…」
そう言って残念そうに話すリィカ。
「…いやいや!拙者はそんな事はしていないでござるよ!」
リィカのその言葉に慌てて反論しようとするサイラス。
その表情はかなり焦っているようだ。
「冗談デス。サイラスさんはリィカ達とズット一緒にいたデハありませんカ。ソンナ事をシテいる暇ナドなかったはずデス。」
そう言って意地悪そうに両眼のレンズをビカビカと光らせるリィカ。
…リィカって、基本無表情だから冗談で言ってるのか、本気で言ってるのか、時々分からなくなるんだよな…
アルドは心の中でそんな事を考えていた。
「サイラスじゃないとしたら、一体誰がそんな事を…」
そう言ってアルドが腕組みをしながら考え込んでいると、
…ケロケロ…ケロケロ…
突然、カエルの鳴き声のようなものが聞こえてきた。
その鳴き声に、再びアルド達は一斉にサイラスの方を振り向く。
「拙者ではないでござるよ!」
アルド達の視線に何かを察したサイラスは、慌てて自分の鳴き声ではないと必死に弁解をしていた。
「…じゃあさっきから聞こえてきているこの声は一体何なんだ?」
不思議に思ったアルドが、そう言って耳を傾けると…
…ケロケロ…ケロケロ…
…雨を降らせてやるゾ…
…ケロケロ…
…美味しい作物は持って来たか…
…ケロケロ…
どうやらその声はしげみの中から聞こえてきているようだ。
「姿を見せるでござる!」
そう言ってサイラスが、そのしげみに向かって刀を振るうと、
「ギャッ!」
しげみの中から一匹のゴブリンが飛び出して来た。
「クッソー!そのババアを騙して食べ物をせしめ取ってやろうと思っていたがここまでか…こうなったら…!」
そう言って鋭い爪を向けて来たゴブリンだったが、アルド達の手によってあっさりと追い払われてしまった。
「…まさかケロケロ様の正体がゴブリンだったじゃなんて…」
そう言って悲しそうな表情を浮かべるシスナお婆ちゃん。
「…何にセヨ、お婆サンに怪我ガなくて良かったデス。」
リィカが安心したように、お婆ちゃんに声を掛ける。
「詳しく話を聞きたいとこだけどもう夜も遅いしな。まずは婆ちゃんの家まで戻ってくっわしい話はまた明日の朝にじっくりと聞くこ事にしよう。」
こうしてアルド達は、お婆ちゃんと共にバルオキーへと戻っていったのだった。
◇◇◇
「ゴブリンに餌をあげてたって!?」
翌朝、ようやく起きてきたトーマスに昨晩の出来事を報告したアルド達の前で、思わずトーマスは驚きの声をあげた。
「何だってそんな危ない事をしてたんだよ!?」
「ゴブリンというカ…正確に言えバ、お婆サンはカエルの神様ニお供えモノをアゲテいたツモリダッタらしいデス。」
リィカのその言葉に、トーマスも含めた全員がサイラスの事を見つめ始める。
「…そりゃぁ、拙者のような可愛らしい生き物を見れば、誰だって餌を与えたくなるものでござろう?」
そう言って自分の顎元に手をやりながら、一人で満足そうに頷いているサイラス。
…可愛い生き物って、一体誰の事だろう…?
サイラスの言葉に、アルドはふとそんな風に思ったりもしたが、とりあえず今はその言葉は自分の心の中に留めておく事にした。
「それにしてもだよ!カエルに餌なんてやって、どうするつもりだったんだ!?」
そう言ってお婆ちゃんに詰め寄るトーマス。その表情は本当にお婆ちゃんの事を心配しているようだった。
「…今年は雨が少なくての…例年に比べて桃の出来が悪いんじゃ…桃はトーマスの大好物じゃからの。毎年大好きな桃を食べに帰ってくるトーマスに沢山の桃を食べさせてやりたくてな…」
そう言って寂しそうに俯くシスナお婆ちゃん。
「それで雨を降らして欲しくて、あそこで祈ってたのか。」
シスナお婆ちゃんのその言葉に、アルド達はようやくお婆ちゃんの行動に理解ができた。
「…婆ちゃん、そんな事しなくても俺は来年も絶対に帰ってくるよ。桃なんてなくったって、婆ちゃんの元気な顔を見に毎年必ず帰ってくるから…だからどうか、いつまでも元気で長生きしてくれよ。」
そう言ってトーマスに連れられて、仲良く家の中へと入って行く彼らの背中を見送ったアルド達は、再びバルオキーを旅立って行ったのであった。
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