第11話 赤いヴァナンドラの伝説4
王女は自分のヴァナンドラについている紐を解きほぐし、添わせて一つにした二つのヴァナンドラに巻きつけた。赤い糸をぐるぐると、何度も何度も巻きつけた。首にかける部分までもを使って、二つをしっかりと包み込んだ。赤い糸は黄金の輝きを埋め尽くし、まるであの日王子が教えてくれた脈打つ赤い臓器のようになった。
そこには想いも詰まっているのだと言った自分の言葉を思い出し、ここにまた、自分たちの想いは宿るのだと王女は信じた。そしてそれを胸に抱き、もし許されるなら、求め合うもの同士が二度と離れないよう、もう一度元の一つに戻りますようにと祈った。
真っ赤なヴァナンドラは、自分も含め、愛する片割れを失った者たちの想いの結晶のように王女には感じられた。彼女は魔法の王国の王女として、わずかではあるけれど、他者よりも力を持って生まれた。だからその力を使って、奇跡の再会を果たした石を、世界の人の分までも、届かなかった想いを結びつける形にして残せたら、とそう思った。
悲しみの日々の中、やるべきことを見つけた王女は、赤い糸の下に心を注ぎ続けた。自分を奮い立たせ、封じ込めようとした想いを解き放ち、それを新たな約束にして歩き出そうと頑張ったのだ。
二人で語り合った海の向こうへも、いつか行ってみたいと思えるようになったし、彼の見たかったものを自分が見てくるのだと思えば、久々に心踊るような気分だった。王女は笑った。人はこうしてまた、希望を見つけ出し生きていくことができるのかもしれない。
けれど、それも長くは続かなかった。やっぱり寂しかったのだ。どんなに強くあろうと振舞っても、自分は無性に寂しいのだと、王女は認めざるをえなかった。新しい夢を掲げても、失った半分を取り戻すにはいたらなかったのだ。
長く長く頑張れば、もしかしたらそれも可能だったかもしれない。けれど彼女は恋い焦がれすぎていた。彼なくして世界は回らなかったのだ。自分がそんなにも弱いとは思わなかった。思いたくなかった。けれどその命の火が、寂しさに打ち勝つことは叶わず、日々小さくなっていくことを彼女は感じていた。
なぜ自分を置いて行ってしまったのかと、王女は浅い夢の中で王子を何度もなじった。王子は多分、自らが先頭になって北の大地に立っていただろう。生まれ落ちた場所、負った責任を果たそうとする彼の強い意志がそうさせただろうと、同じような環境で育った彼女には理解できる。それでも言い募らずにはいられなかった。夢の中くらい、素直になりたかった。
王子の死。自分たちが街にいる同じ年頃の恋人同士であったなら、身を投げ出して泣き叫び、運命を呪っただろう。けれど自分は一国の王女だ。何があっても取り乱すことなく、それを受け入れていく立場。この大戦によって、多くの犠牲を払った森の王国の人々のためにも、できる限りの力にならなければいけない。
だから王女は心に蓋をして微笑み続けた。身分も地位も責任さえも、本当は関係ない。一個人として欲するものは何かと問われれば、なくした彼への愛しかなかった。いつだって、大切な温もりに恋焦がれる小さな自分がいるだけだ。
それでも王女は真っ直ぐに立ち、少しずつ消えていく命の火を抱きしめて、残された者の生きる力を見せたいと思った。わずかな時間かもしれないけれど、その火が内側から削り取られる日まで、そうあろうと誓ったのだ。
ヴァナンガラージュの花が再び咲いた日、エピステッラが北から帰ってきた。大河の上を光のさざ波のように流れ来る蝶たち。彼らはもうほとんどが黄色くなっていた。王宮のある最南の地に着くまでに、ほころびかけた多くのヴァナンガラージュに迎えられていたからだ。光の蝶たちの到着で、海岸線は一層輝きを増し、人々はこぞって浜へと繰り出した。
王女宮の庭で花を静かに見ていた王女の肩に、はるか上空の群れから離れた一匹が止まった。不思議なことにその羽根はまだオレンジ色の輝きを宿したままだった。
ふと王女は、森の王国の風の匂いがするような気がした。花が揺れる音さえ聞こえるような気がして耳を傾けた。見たことも聞いたことも嗅いだこともないのに、そう感じたのだ。まるで誰かが王女の前に、そんな風景を見せているかのようだった。
王女はそっと傍のエピステッラに顔を寄せた。内緒の話をするようなその姿はいつになく美しく、侍女たちは引き込まれるように見入った。
その時、王女がふと微笑んだのだ。それは王子と二人で歩いていた時に見せていたような、無邪気で輝くような顔だった。大好きな人にその名前を呼んでもらった時に王女が見せたあの笑顔だ。誰もが久しぶりに見るその麗しさに釘付けになる。
その瞬間、王女と王子が愛した、王女の庭のヴァナンガラージュの花が赤に染まった。いつの間にか多くのエピステッラが舞い降りてきていた庭、そのエピステッラたちもみんな赤になったのだ。侍女たちが驚きの声を上げる中、王女は囁くように歌うように言った。
「赤き花咲くとき、時は満ち、愛は生まれる」
それはそれは幸せそうな顔だった。待ち望んでいたものを手に入れたような、満たされた笑顔だった。そしてその夜、王女の命は燃え尽きた。
翌朝、海の王国の風習で海と同じ色をした舟型の棺が作られ、横たわる王女は大海原へと出発した。その胸には赤いヴァナンドラがあった。包まれた紐で赤いのではない。自らが赤い光を放つヴァナンドラだ。
王女の願い通り、それは欠けていびつになっていた部分に糸が解けて混ざり合い、生まれた時と同じ形を取り戻していた。そしてそれは、驚くほどに鮮やかな赤に生まれ変わったのだ。
誰もが初めて見る赤いヴァナンドラに息を飲んだ。それはまさに、魔法の王国の力が作り上げた色と形だとしか言いようがない。王女の祈りが実を結んだのだ。その美しさを前に人々はただ涙した。王子の想い、王女の想い、世界の求め合う人々の想い。大切な想いは届き、今、色に形になったのだと、誰もがそう思った。
「赤い色は約束の色なんだね、姫さま」
王女の侍女の一人だった少女が呟いた。もっともっとそんな赤が増えればいいのに。姫さまを愛する者はみんな赤になって、姫さまの想いを守ればいいのにと彼女は思った。
その年、王女の庭のヴァナンガラージュはずっと赤い花を咲かせ続けた。少女たちは赤いドレスを身にまとい続け、ルーフランの赤は「約束の色」、いつからかそう呼ばれるようになった。
けれど誰もがこの時、王女と共に去った赤い石は必ず戻ってくるだろうと感じたのだ。王女がそう望んでいるならば、きっといつかまた。赤いヴァナンドラが世界中に手渡され、それは想いの架け橋になっていくのだと、心からそう信じることができた。
花の季節が終わり、黄色いエピステッラがエルフの郷へと飛び立つのを見送りながら、あの日、オレンジ色のエピステッラは大切なものを届けに来たのだと少女は知った。飛び立つエピステッラがそれを教えてくれたのだ。
北の大地に託された王子の想い。凍る大地に残されたそれは時を待った。やがて訪れた春に芽吹き、秋に満開の花となり、そこに留まった蝶に伝言を託したのだ。王女が聞きたくて聞きたくてたまらなかった、大好きな人の優しい声を、言葉を、約束を。
オレンジ色のエピステッラは、己に託された大切なものをはるか南へと運んだ。王子が最後に残した言葉はこうして王女の元へと届けられたのだ。小さなその一言は、愛しい人が願った言葉、そう、彼女の名前だった。それは、彼らの愛が、思い出が、願いが凝縮されたものだった。
「パルシエータ」
たった一言。けれど何よりも優しくて甘い囁きが、あの日の姫さまを笑顔にさせたのだと少女は知った。ああ、もう大丈夫、姫さまはきっと大好きな人と一緒に、海の向こうの約束の地へと旅立たれたのだと。
赤いヴァナンドラは求め合う情熱。燃える命を示すもの。生と死を超えて、時を超えて、失われることなく、いつか必ず想いは形になることを教えてくれるもの。それは美しく尊いきらめき、大切な大切な……想い人たちの約束の色。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます