第8話 秘められた紋章

 それから何度も花の季節は巡り、ロディーヌは少女から娘へと成長していった。

 己が心に刻む約束を果たさんと微笑み続けたロディーヌは、今や輝くばかりの美しさだった。流れ落ちる髪は誰よりも光り輝き、太陽と月を合わせたようだと、その目は泉や天空草よりも鮮やかな青で「癒しの泉」に咲く古代種の花色のようだと、人々は彼女を褒め称える。

 けれど、誰もが振り返るようなその美しさの内側で、ロディーヌの心は蝕まれ喰らい尽くされていくばかりだった。もはや涙さえも枯れ果てていた。まるで幽鬼のようなロディーヌ、その心は未だ闇に横たわったままだったのだ。

 両親はそれに気づきながらもどうすることも出来ずにいた。じっとそれを受け入れるしかなかった。彼らは、ロディーヌの秘められた強さが目覚め、本当の意味での美しさを取り戻してくれることを、密かに願い続けた。


 そんなある日、思いもかけないことが起きた。何気ない言葉が、まったく動きのなかったロディーヌの心の中に一石を投じたのだ。ありふれた会話の中、誰が言ったのか、それは美しいロディーヌへの賞賛の言葉のはずだった。けれどそれだけでは終わらなかった。


「ロディーヌ、あなたは生かされたのだよ。そう、女神さまが守ってくださったのだ。その美しさが愛されている証だ」


 ロディーヌ、それは古い王国の言葉で泉の乙女。生まれたばかりのロディーヌを見て両親がそう名付けた。なぜならその体には、女神との絆を示す二つの印があったからだ。人々がよく知る歌にもある、女神の青の紋章だ。

 紋章は決まったものではない。同じ部位に出るわけでもない。ただ、それはみな美しい青だった。女神と同じ青が生まれ出る。それは女神の祝福。運命の愛子 《いとしご》の証。


 ロディーヌには二つの紋章があった。一つは足の爪で、それは彼女の瞳の色にも負けぬほど美しい青だった。どんな高価な染料でも出せないような鮮やかで艶やかな青。光を閉じ込めたかのような輝きを持ち見る者を魅了する色。

 けれど幼い日のロディーヌは、兄たちとは違う自分の爪を嫌って涙を流した。そんなロディーヌに兄たちは「ああ、なんて美しいんだろう、僕らの妹はまるで天空草の花の妖精のようだ」と微笑んでくれた。そのおかげでロディーヌは泣かなくなった。人前では決して靴を脱ぐことはなかったけれど、大好きな兄たちが好きだと言ってくれるなら、それだけでいいと思えるようになったのだ。


 そしてもう一つは青い髪。誰よりも美しい金色の髪の中にはっとするほどの青い一房があった。さらにそれは色だけではなかった。その髪に触れれば水の音が聞こえたのだ。水の匂いが温度が伝わり、触れた人の体を駆け巡って渇きを癒すことができる。

 ただ、豊かな水に恵まれたこの王国ではロディーヌの髪にすがるような人は見つからないだろう。それにそのような状況は決して喜ばしいものではないはず。だからロディーヌはそれを人に打ち明けることはなかった。そのような力、使わなければそれにこしたことはないのだとそう思っていた。

 

 爪も髪も、自分にもたらされたものはなくてもいいようなものだとロディーヌは自嘲じちょうした。紋章だなんておこがましい。いや、果たして紋章などというもの自体、本当にあるのだろうか。

 ロディーヌは未だ同じような人の話を聞いたことがなかった。それゆえ、ロディーヌにとってそれは聖なるものというよりも、なんだか忌まわしいもののようにさえ思われたのだ。

 けれど兄たちも両親も、その青を大事にしてくれた。女神に愛されている証なのだと繰り返し言ってくれたのだ。最初は毛色の違う自分に戸惑いしかなかったロディーヌも、彼らの揺るぎない言動によって、少しずつそれを受け入れていけるようになった。


 今はその意味がわからなくても、いつの日かなにかに役立つ日がくるかもしれない。そう素直になれば、大好きな花や女神と同じ色を持つということは嬉しいことに他ならなかった。

 ロディーヌもまた、信仰厚い泉の国の天空草に関わる一族の娘なのだ。小さな頃こそ拗ねて泣いたりもしたけれど、成長するとともに女神への思慕の念も深くなり、恐れ多くもその役目を申しつかったのなら、全力で果たそうと思えるようになっていた。


「女神さまですって? 愛されているですって? 助けられた? 生かされた? 誰が。誰に?」


 ロディーヌ、泉の乙女。あれほどまでに慕い続けていた女神のことは、そもそもそれがすべての始まりだったというショックの元に封じ込められた。兄たちを失ってからの数年、ロディーヌは信仰など忘れてしまっていた。

 それなのに、それは突如として飛び込んできた。恐ろしく尖った切っ先で、まっすぐに心の臓をつきやぶるかのごとく、ロディーヌの胸の内に打ち立てられたのだ。

 ロディーヌは心の中で、投げかけられた言葉の数々を復唱した。その瞬間、心が燃え上がった。血の気の引いた白い肌の下に痛いほど脈打つものがあった。ロディーヌは激昂している自分を感じた。


(それならばなぜ!) 


 大きな声で叫びたかった。もちろん、長年使うこともなかった唇や喉にそんなことが出来るわけもない。しわがれた息が漏れただけだった。けれど今、彼女は猛然と吹き上がる思いの中にいたのだ。

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