第6話 妖精姫の秘密

「お姉ちゃんもそうなの? お兄さんたちを助けにいくの? お兄さんたちはひどい人だったの?」


 娘がひどく深刻そうな顔をしてロディーヌを覗き込む。遠い泉の王国から一人で旅してきたロディーヌは、娘にとってそのお話の主人公そのものだったのだ。ロディーヌは微笑みながら首を振った。


「いいえ、私のお兄さまたちはとてもとても優しくて立派な方たちよ。でも訳があって遠くへ行ってしまったの。だからこうして私が訪ねていくのよ」

「いい人たちなのに、家族と引き離されてしまうの? どうして?」

「そうね、それは長いお話だから……。簡単に言うとね、世界には不思議なことがたくさんあるということなの。そしてそれはね、誰の上にも起きることなの。びっくりしてしまうけれどね。悲しくて胸が張り裂けそうになるわ。けれど強い心でもう一度幸せを願えば、きっとそれは叶えられるの」


 最後の言葉は娘にというよりは自分に言い聞かせるがごとくだった。それに気がついて思わず苦笑してしまうロディーヌに、こくこくと頷いていた娘が言った。


「でもこのお話はちょっと意地悪だと思うの。だって王子さまは出てこないもの。助けにきてくれないの。どうしてだろう。お姫さまじゃないと王子さまには助けてもらえないの?」


 夢多き年頃の少女らしい言葉に、思わずロディーヌは顔をほころばせた。


「本当ね、王子さまが助けにきてくれればもっと良かったわね。きっと作った人が慌てん坊さんで、早くハッピーエンドにしなくちゃって、急いじゃったのよ。あ、もしかしたら王子さまは忙しすぎて間にあわなかったのかも。だってほら、考えてごらんなさい。王子さまって、イバラを切ったり魔女と戦ったりドラゴンを探しに行ったり、いつもいつも大変でしょ」


 ロディーヌはパラパラとページをめくって自分のお気に入りの話を見つけ出す。森の王国の物語だ。真っ白な狼に乗った王子さまが村娘を助けて森を疾走する挿絵を示しながら、ロディーヌは柔らかな声で言った。


「王子さまってこんなに強くて優しいの。お姫さまじゃなくったって、ちゃんと助けてくれてる。大丈夫よ、心配いらないわ」


 それを聞いた娘は、ぱあっと笑顔になった。


「うん、そうだね、きっとこのお話には続きがあるんだね。書かれてないだけで。それで王子さまがお迎えにきてくれてハッピーエンドになるんだわ。お姉ちゃんだってきっとそうだよ。だってお姉ちゃんは、このお話の妹よりもずっとずっときれいでお姫さまみたいだし。王子さまがどこかで見ていて急いできてくれるはずだよ」


 今度こそロディーヌは声をあげて笑った。純粋な心で自分を応援してくれる娘の言葉に、心にのしかかる黒い雲がしばし晴れる思いだった。


「そうね、信じているわ。立派な王子さまがきっと、この旅の途中で私を助けてくれるわね」


 大切な本を見せてくれたお礼になにかプレゼントしようと、荷物を開けるロディーヌに娘がハンカチを指さした。


「私のお古よ? こんなものでいいの?」

「うん、私もお姉ちゃんみたいに綺麗で強くなりたいから。それにこの青はとっても素敵だから」


 それはロディーヌが自分で染めたものだ。ありがとう、と呟きながら、ロディーヌは小さな体をぎゅうと抱きしめた。その温もりに癒される。


「あれ? お姉ちゃん、不思議。水の音が聞こえるわ」


 頬を紅潮させながら声をあげた少女に、ロディーヌは天空草の花の色をした瞳を細めて笑いかける。もしかしたら宝物の本よりもすごいことを知ってしまったのかもしれない! そう感じて満面の笑顔を見せた娘は今日一番の明るい声で続けた。


「お姉ちゃん! お姉ちゃんはやっぱり女神さまのお城のお姫さまなんでしょ? 青の泉と花の、妖精姫さまなの?」


 少女の言葉が温かい励ましとなってロディーヌの中にこだました。女神の愛が、泉の想いが、花たちの歌が、知らないうちに固くなっていた心をほぐしていく。


「ありがとう。そうなりたいわ。なれるかしら?」

「うん、お姉ちゃんなら大丈夫。王子さまもきっとびっくりするね。もっともっと好きになってしまうわ!」

「まあ、それは素敵ね」


 束の間ではあるけれど、ロディーヌは少女と温かい時間を過ごした。幼い日の自分を見ているようで微笑ましい。自分がまた素直で柔軟な心を取り戻せたような気がして、ロディーヌは小さな救世主に心から感謝するのだった。


 月が頭上に輝き始めた頃、ロディーヌは街へと一人彷徨い出た。通りは赤々と照らし出され、やはり多くの人出があって昼も変わらない賑やかさだ。ふとポケットに手を入れたロディーヌは、ハンカチが一枚しかないことを思い出した。なんだかちょっぴり落ち着かない。必ず二枚持つのは小さい頃からの習慣なのだ。

 

 ロディーヌは辺りを見渡した。素敵な思い出となった今日の日を記念して、自分に一枚美しいハンカチを買おうと思ったのだ。

 眠らない街自由自治区。幾千幾万の店が並ぶ通りに、目指す場所はすぐ見つかった。レースやリネン類を扱う店々。多くの店がひしめく中では個性的で際立つ何かがなければ生き残れない。外装などから自ずとその店の趣旨が見えてくるため、どこもディスプレイに余念がない。クラシックな佇まい、ディスプレイの椅子の背にさりげなくかけられたレースの美しさ。心惹かれた店に入ってみれば、やはり品のいい老舗らしさで、思った以上のものが並んでいた。


 濃く深い青のハンカチは上質のリネンだろう、手触りも最高だ。繊細なレースの縁取りも美しい。一級品の青い染料・シュページュで染められた布を、自治区の腕のよい職人が丁寧に加工したのだろうそれを、ロディーヌは一目見て気にいった。

 普段使いのものよりもぐっと高かったけれど、惜しくはないと思えた。そして嬉しいことに、商品の横には「イニシャル刺繍をサービス」とメモが添えてあったのだ。

 ハンカチを手に取りカウンターに声をかければ、顔を上げた店主が驚きの声を上げた。


「おやおや、これは。お嬢さん、なんと綺麗な瞳でしょう。泉の王国の方で間違いないですかな? 遠いところをはるばるありがとう。ああ、刺繍ですな。なにをお入れしましょうか」


 ロディーヌが「Lを」と頼めば店主は頷き、「できあがるまでそちらで待っていてもらえますか?」と彼女を奥へ案内した。こじんまりとした、けれど洒落て居心地のよい書斎のようなその場所で、ロディーヌがそっと椅子に腰を下ろせば、目の前のテーブル上には秀麗なカリグラフィーの額が飾ってあった。


「まあ、美しいですね。これはどなたが?」

「ああ、手慰みでお恥ずかしい。私の趣味です。最近は神話の写しなんかに凝っていまして。とは言え古代の言葉はわからないので、もっぱら見た目だけの印象からですが。ああ、そこに使っている本が。よかったら広げてみてください。とても美しいものなんですよ。ではのちほど」


 店主を見送ったロディーヌは、手元にそっとその本を引き寄せた。兄たちの部屋で、兄たちの本を読んで過ごした時間がこんなところで役に立とうとは……。それは哀しみに彩られた壮絶な日々だったけれど、兄たちを感じたいと無我夢中で取り組んだ結果、ロディーヌは泉の王国のものであれば、古代語が読めるようになっていた。

 そっとめくっていけば、青い蝶の挿絵に目が止まる。ロディーヌはその下に続く美しい文字を追った。

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