20 「ただいま、新世界」




 逃げ出した祥子の後を、唯が追ってくる。


 流石に、朝の挨拶は諦めたようだ。


 自分たちの教室近くまで上がってきた時に、つと後ろから声が掛かった。




「——ショーコちゃん!」




 振り返るよりも早く、背中に衝撃を受ける。




「眼ェ覚めたんだ! きゃははは! ショーコちゃん! ショーコちゃん、ショーコちゃん! ——あれ? なんで、着物着てるの?」


「遅ェよ」


「天子ちゃん!」




 祥子の背中に頬擦りしていた天子が、首を傾げて離れた。


 ややあって、向き直った祥子の手を取る。




「まァいっか。これで、また毎日一緒だね! きゃははは! ——、ショーコちゃん!」



「う、うん……! ……!!!」




 無邪気な笑みに、祥子は胸をかれた。


 先程の怖気が洗い流されていくようだ。


 こういう再会をこそ望んでいたんだ、と呟いていると、思い出したように天子が声を上げた。




「あっ、朱音さんにはもう会ったの?」



「の、天子ちゃん……それは……」



「なんだ? お前もあの一週間戦争ラブイズウォーのこと知ってんのか?」



「待ってなにそのネーミング。チャコちゃん? 楽しんでない? 親友の危機だよ?」



「うん! ショーコちゃんが、あたしの義姉妹になるんだー! きゃははは!」



「姉妹? ——なら、問題ねェか」



「正気? ——それを認めると私がどんな目に遭うかはさっき聞いたよね? ね? ね?」




 あんなに無邪気だった天子の笑顔が、今は残酷な刺客のものにしか思えない。




「まー、姉妹にならなくても、あたしとショーコちゃんはもう家族だけどね! きゃははは!」



「そうだよね! わざわざ特別なことしなくても、私たちは家族だもんね!」



「必死だなショーコ」




 一縷いちるの希望をつなげようとしている横で、唯が呟いた。




「だから、天子ちゃんからも朱音さんを説得して——」




 祥子が乗り出した拍子に、受け止めた天子のポケットから何かが落ちた。




「テンコ、チョーカーが落ちたぞ」


「あっ、ありがとう! これ、ショーコちゃんにあげようと思って! きゃははは! おそろい!」




 短刀といい、天子は本当にお揃いが好きなのだろう。


 好意からプレゼントを用意されて——その実用性は別にしても——喜ばない者はまず居ないはずだ。


 楽しそうな天子に、祥子はまた胸を衝かれた。


 右手に握られているのは、今も天子の首にまっている黒いチョーカーと同じものだ。



 初めて出会った時も、天子はこれを付けていた。



 知り合ってしばらくしてから、天子が教えてくれたのだ。



 曰く、このチョーカーは、中学時代に荒れていた自分を受け入れてくれた朱音が、家族のあかしとしておくってくれたもので、自分にとっては何よりも特別で大切な意味を持っているのだ、と。




 つまり、チョーカーをプレゼントしてくれるということは、天子は単なる家族的存在から更に進んで特別な家族になりたいと言ってくれているも同然で——






「——どこ行くの? ショーコちゃん?」




「いや、ちょっとトイレでお医者さんが事故に遭って」



「すげェ、言い訳が重なり過ぎて奇跡的に意味が通ってるぞ」



「変なショーコちゃん! きゃははは!」



「はは、ははは……」




 尋常じゃない力が込められているのにまったく痛くない、という摩訶不思議な状態で手を握られているので、逃げも打てなかった。


 いつ朱音のところへ行こうと天子が言い出すか、気が気でない祥子だったが、救いの手は意外な方向から差し伸べられた。






「あ、あの! 梅田さん……だよね?」






 最寄りの教室——天子の所属する、一年D組——から出てきたと思しき、同級生が四人立っていた。



 話しかけてきたのは、先頭に居る黒髪ボブカットの子だ。




「う、うん。そうだけど……」




 言うまでもなく、祥子には唯や天子を除いて、一年に友人知り合いの類など一人も居ない。


 眼前の四人にしても、クラスが違うということもあって、自分とは初対面だ。




「やっぱり! きゃー! 本物だ!」


「本物?」


「あの、私たち、梅田さんのうわさを聞いて!」




 黄色い声を上げた四人に、なるほどと祥子は苦笑いを浮かべた。



 自分が言うのもなんだが、四人は誰一人としていわゆる不良生徒には見えない。



 天子や唯が傍に居るのに、話しかけてきたのが少し意外に思えるほどだ。



 派手な子も交じっているが、それとてツッパっているわけではないだろう。



 さきほどの二年生たちが語っていたうわさが、一年の生徒にまで届いているというのは由々ゆゆしき事態だったが、詰まるところ、この四人は祥子のような地味な同級生に関する荒唐無稽な話がどこまで真実かを確かめに来た、というところに違いない。




「あの話って、本当なの? 梅田さんが、南杜の——」




 やはり、ボブの子は祥子の予想通りの質問をしてきた。


 ごまかしてもいいが、ここは真実だけを肯定する方が信憑性しんぴょうせいも上がって他の嘘が消える助けになるかもしれない。






「——、っていうのは?」




「うん、ほんとだよ——って違うううう!!!???」






 しかし、ボブの子は祥子の予想外の質問をしてきた。




「きゃーーー!!! やっぱり!!! ほんとなんだ!!!」



「どんなうわさ!? 一階上がってくる間にどんな改変を挟んだらそうなったの!?」




 にわかに眼の色を変えて騒ぎ出す四人。




「ショーコ……お前……」



「何でチャコちゃんも信じてるの!? 違くて、八生郁子を倒したから——」



「——思わず興奮してやっちゃったのね!? 勝ち戦の後のたかぶりを、敗軍の将にぶつけたの!? 「一度負けても分からないなら、何度だって屈服させてやるぜ」って梅田さんったらSっ娘なんだ! よっ、この諸葛孔明!」



「違うよ!? そんな蛮族みたいな世界で生きてないから! そもそも、八生郁子「を」だから! そこが「と」だと大変なことになってるからね!?」



「変態なことしたのは梅田さんじゃん! いやー、まじリスペクトだわ!」



「大丈夫、私たち梅田さんにあこがれてるだけだから! 百合的な意味で!」



「やめて! 虚像の私に憧れないで——!!!」




(あれ——!? この子たちも、もしかして馬鹿なのかな——!?)




 会話が成立していないのは、決して自分のコミュニケーション能力が低いからだけではないはずだ。


 異様な興奮を見せる四人組に、祥子はただ圧倒されるしかない。


 彼女たちは本当に自分と初対面なのだろうか。




 というより、そんなに騒いだら——




「——見付けたぞ! お前、今度はそこを動くなよ!」



「げェっ、生活指導の大塚だ!」




 不良の条件反射なのか、唯がいち早く声を上げた。


 廊下の奥から、大塚が猛烈な勢いで迫ってくる。




「天子ちゃん、逃げよう!」



「え? ——うん! 逃げよ逃げよ! きゃははは!」




 手を離してもらう時間を惜しんで、祥子は天子を引っ張るように駆け出した。



 何かの遊びと思ったのか、天子も素直に走る。



 その後に、唯と——四人組が付いてきていた。




「何で付いてくるの!?」


「もっと詳しい話を聞きたくて!」


「待ってて、今テープ起こしの人を呼んでるから!」


「誰が録音を許可したか!」




 七人で走っていれば嫌でも眼に付く。



 さきほどのように、隙を突いて人ごみにまぎれながら大塚をくというのは不可能だろう。



 階段に足を向けた祥子たちの正面から、今度は聞き慣れた怒声が上がった。




「ショーコ! 八生とヤったってのはほんとか!?」



「あたしらを差し置いて、なんで八生ごときがそんなラッキーを味わってんだ! ほんとだったら、ただじゃおかねェぞ! 八生を殺してショーコは貰う!」



「あっ、詰んだなこれは」



「諦めが早いよ、チャコちゃん!」




 欲に眼がくらんで狂戦士と化した先輩二人が、階段への道を塞いでいた。



 急制動を掛けて、唯一残された渡り廊下から南校舎に脱出を図る。



 後ろからは、大塚に加えて狼が二頭追ってくる。



 おかしい、自分の憧れたカオリと朱音は、あんなぎらついた眼をしていただろうか。



 もっと、優しい人たちだった気がする。



 少なくとも、祥子を無理やり手籠めにしようとなんてしないはずだ。



 いや、絶対しない。



 つまり、別人の可能性が極めて大で——




「現実逃避してるとこ悪いけど、あたし宿題やってねェの思い出したから抜けていいか?」



「チャコちゃんが宿題してきたことなんて一回もないでしょ!?」



「いや、お前のおかげで勉学に目覚めてヨ。今すぐ学生の本分に励みたくて仕方ねェんだ。というわけで、それじゃ——」



「待って、見捨てないで! 親友の貞操がどうなってもいいって言うの!?」



「大丈夫だ、ショーコ。無理やりから始まる恋もある。要は諦めと慣れだ。あたしは、とっくにあの人らのむちゃくちゃぶりには疑問を抱かないことにしてる。お前も、早くあの人らの頭のおかしさに慣れろ」





「——ちょっと! 梅田さんったら、まさか二年の本間さんと御堂さんにも手ェ出してるの!? 追いかけてくるのは痴情のもつれとか!?」





「ちょっと黙ってて!」



「大丈夫だ、ショーコ。あの人らがあほなのは、割と元からだから」



「違う! カオリさんと朱音さんは、私の恩人で、とっても優しくて、それから——」






「「止まれ、ショーコ! 今こっちに来たら、本番は勘弁してやる!」」






「それから?」



「ぐすっ……ううっ……知らないっ」




 まさか、歴史の改変が過ぎてみんなの性格が若干変わってしまったのではないか。


 そう思わないと何も信じられないくらいに、祥子は混乱していた。




「ショーコ! あんた、勘違いしてるんだって!」



「そうだ! あたしらが、お前に酷いことするわけねェだろ?」



「耳を貸すな、ショーコ。怨霊のたわごとだ」



「分かってる、チャコちゃん。流石に、私もそこまで馬鹿じゃないよ」




 あれを信じる人がどれだけ居るのか。


 たとえブッダでもマーラ並みに無視を決め込むと思う。




「聞いてンのか!? お前が八生に刺された時、あたしらがどんだけ……!」



「ショーコ、お願いだから止まって! もう一回、元気な顔を見せて……!」



「あれだな。渡り廊下が黄泉比良坂よもつひらさかになったみてェだ」




 分かっている。



 カオリも朱音も、演技や嘘であんなことを言っているのではない。



 本当に、祥子のことを心配してくれている一方で、ただ純粋に最低に欲望に忠実なだけなのだ。



 それに、自分が意識不明で入院していることになっていたこの七日間の苛々で、反動がすごいことになっているのだろう。



 飢えた獣の前に、餌をぶん投げたようなものだ。



 捕まったら、可愛がり程度で済まないのは眼に見えている。




「はァー……はァー……! 私、病み上がりもいいとこなんだけど……!」



「頑張れ、ショーコ。校庭まで出たら、あたしの原チャがある。貸してやるから、お前は一回それで姿をくらませろ」



「チャコちゃん……! やっぱり持つべきものは親友だね! ありがとう!」




「——テメェなにショーコのポイント稼いでんだコラァ! ハアァン!? あたしへの当てつけかオラァ!?」



「チャココロスチャココロスチャココロスチャココロスチャコ」




「済まん、ショーコ。原チャは諦めてくれ。あたしも捕まるわけにはいかなくなった」



「負けないで、チャコちゃん! きっと大丈夫だよ! だから鍵を!」



「ふざけんなお前コラァ! あたしがあのモンスター二人に勝てるわけねェだろうが!」



「チャコちゃん弱いもんね! きゃははは!」




 四階から駆け通しで、祥子の肺も脚も限界だった。



 あと腹も。



 幸いに、俊足なカオリと朱音は、大塚との足の引っ張りで速度を落としているため、何とか追い付かれずに済んでいるが、それも時間の問題だろう。




「——見えた、駐輪場だ!」




 唯が叫んだ。


 あと五〇メートルもない。


 それだけを駆け抜ければ、活路が開ける。




「——あっ」



「何してんの朱音!? 早くしないと、ショーコが逃げちゃう——」



「いや、あたしに策がある。絶対逃がさんやつだ」



「策? あほの朱音が?」



「ぶっとばすぞ赤点ストレート女」




 時間を置いて、落ち着けばカオリたちも話を聞いてくれるようになるだろう。



 最悪、松にも知恵を借りればいい。



 きっとすぐ、うわさも消えて元の日常に戻れる。



 たとえ何か変わったとしても、それはきっと自分にとって良いことのはずだ。



 もう自分は、過去に戻って運命を覆した、悪い子なのだから。






「簡単なことだったぜ。なんで、もっと早く思い付かなかったのか」



「なんでもいーから、早く!」






 家族が全員揃っている、あの幸せな時間に。



 ようやく取り戻した居場所だ。



 梅田祥子の青春は、ここから始まる——






「——テンコォ! だ——!!!」






「! はーい!」



「えっ、ちょっ!? あああああああああ!? ——肩! 肩はずれたああああ!?」



「ええええ!? おま、ば、何してんだテンコ!?」



「チャコちゃん。だって、朱音さんが——」



「きゃ、きゃー! 梅田さん、血が!」



いったあああああ!? お腹が! 今のでお腹の傷開いた!?」



「ショーコォ! しっかりしろ! 誰か救急車呼べやァ!」




 もんどり打った祥子を、一同が囲んだ。



 カオリと朱音が駆け寄ってきて、痛みに気を失い掛けている祥子に必死に呼びかけている。



 校門近くのことで、服装検査に立ち会っている教師や、それを受けていた生徒たちが何事かと集まってくる。



 叫び声が轟く混乱極まった修羅場に、ホームルーム五分前を知らせる予鈴が鳴り響いた。




「何をやっとるんだ……お前らは」




 追い付いてきた大塚が、騒がしい祥子たちを見下ろして息を吐いた。




「まったく、お前らが揃うとろくなことにならんな! 本間に御堂は反省文だ! それから、そこの着物は一年の梅田だな? お前は病院の後で職員室に出頭するように! 以上、散れ!」




 ブーイングが上がる。






「あ……鞄……探しに、行かなきゃ……」






 再びうすく意識の中で、祥子は新しい日常への希望と不安を抱きつつ、そのまま車中の人になった。






第一部、完。

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『黄昏タイムスリップ』 龍宝 @longbao

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