16 「思えば悲し、昨日まで」




 怒号が上がった。


 南杜生が、一斉に駆け寄ってくる。


 気迫では、祥子も負けていなかった。


 右手に鉄扇を、左手に短刀ナイフを構えて、一歩も退かないという意志を見せる。




 時間を稼ぐだとか、自分の身体がぼろぼろでまともに動けないことは、忘れていた。


 ただ、眼の前の敵に、沸き立ついきどおりをぶつけてやりたかった。




 あっという間に、敵が迫る。


 先頭の一人は、そこらで拾ったのだろう鉄パイプを握っていた。


 勢いのまま、打ち合った。


 鉄扇を、薙ぎ払って振り下ろす。相手も、やたらと振り回した。


 数合して、繰り出した短刀が相手の袖を斬り裂いた。


 それに臆したところへ、打擲を叩き込む。


 これは、とっさに鉄パイプを戻して防がれた。




 左右から、新手が気勢を上げて突っ込んできた。


 正面の敵と格闘している祥子には、これに構う余裕はない。


 拳が振りかぶられる。


 衝撃を覚悟した瞬間、祥子の横を白い何かが横切っていった。




「——ぶべっ!?」




 左の敵が、いきなり姿勢を崩して壁にぶつかっていった。


 不意な出来事に、祥子も、敵も、思わず手を止めてそちらを見遣った。



 崩れ落ちる敵の頭上に、白いものが消えていく。



 腕だ。



 壁の隙間から、腕が生えていた。






「——、言ったじゃん。ショーコ」






 祥子が背負っている壁は、大通りへと通じている。


 気が付けば、その向こうからがやたらと聞こえてきていた。




「まァ、あんだけ大声で叫んでくれたら、あたしらにも分かりやすかったけどね」



「か、おり……さん……?」




 壁の隙間から、赤の交じった黒髪が揺れているのが見えた。



 ——本間カオリが、顔を半分ほど出していた。




「ほ、本間!?」


「しまった! 連中、もう来たのか!」




 動揺する南杜生の声が、路地に響いた。




「——待たせたな、ショーコ」




 気を取られていた前の二人が、今度は右側から飛び降りてきた誰かに打ち倒された。


 無論、祥子は振り向くまでもなく、声の主が分かっていた。




「あ、朱音さん……!」



「随分と、無茶したじゃねェか。あの八生を相手取って、大立ち回りか。——まァ、あたしが来るまで持ちこたえたって考えたら、




 得物を構えたままの祥子の頬に手を遣って、朱音が言った。


 それを見ていた南杜生が叫ぶよりも早く、カオリが場違いな声を上げた。




「あたしが一番先にショーコ助けたのに! いいとこどりじゃん!」




 ——相変わらず、顔だけをのぞかせた状態で。




「ジャック・ニコルソンか、お前は。さっさと上がってこい」




 どちらかというと、天子が顔を出していた方がそれらしかっただろう。


 すぐさま、カオリが壁を登ってこちらに下りてくる。


 どうやら、単車を足場にして飛び移っているようで、その後を追って藍や天子たちも軽々と壁を越えてきた。




「ショーコちゃん! 血が出てる!」




 真っ先に飛びついてきた天子が、返り血やペンキも含めて真っ赤なセーラー服姿の祥子を見て驚愕の声を上げる。




「うちのショーコを、随分と可愛がってくれたみてェだな、お前ら」


「御堂……! 私としたことが、しくじったね。どころか本隊が来ちまった」


「何でこんなところに雁首がんくび揃えて居やがンのかは知らんが……あたしのショーコに手ェ出したんだ。——腕の一本や二本で、済むと思うなよコラァ……!」


「あたしのショーコに怪我させて、五体満足に帰れると思うなよ……! 全員地獄に送ってやる……!」




 顔を引きらせる八生をにらんで、カオリと朱音が啖呵たんかを切る。


 ややあって、互いに顔を見合わせた。






「「おい、あたしのってどーゆーことだ?」」






 一言一句違わずに、二人の声が重なった。




「朱音、あんた、やっぱりショーコのこと狙ってやがったな!? 前から怪しいと思ってたんだ! 横から出てきて——」


「ふざけんな! いつからショーコがお前のもんになったんだ! あいつはあたしとテンコの——」


「何で敵の大将の前で取っ組み合ってんだ、お前ら!?」




 事情を知らない藍が、信じられないとばかりに二人を止めに入っていた。




「ショーコちゃん、髪切った? イメチェン?」


「お前、さては自分で切ったろ? 駄目だぜ、ちゃんとしたとこでやってもらわねェと」


「そうそう。金がねェなら、あたしらが出してやるからヨ」




 その傍らで、無邪気に首を傾げる天子と、したり顔で頷いている横山よこやま水姫みずき鮎川あゆかわ寧々ねね


 こんなに、唯が居てほしいと思ったことはない。


 疲れ切った祥子一人では、とてもこの天然——考え得る限りのオブラートに包んだ表現である——な先輩たちをさばくことはできない。




「——おい! あたしら無視して、ふざけてんじゃねェぞコラァ!」




 当然といえば当然だが、南杜生が苛立いらだった声を上げた。


 それを受けて、思い出したように一同が振り返る。




「チッ、今はあっちが先だな。お前をしばくのは後回しだ」


「抜かせ。あいつら殺したら、次はお前だぜ」


「……お前ら、少しは緊張感持て」




 互いの胸倉をようやく放したカオリと朱音に、藍が疲れた声を漏らした。


 いつもなら、朱音がカオリと藍の暴走を止めているだけに、慣れていないのだろう。


 投げやりに、祥子はそう思った。


 カオリたちが来たことで、祥子の緊張の糸はすっかり切れていた。


 興奮していた身体が落ち着いたからか、今更に痛みと疲労が襲ってきて、天子に支えてもらってようやく立っている有り様だ。




「何言ってンの、藍。言ってたじゃん。八生ごとき、タイマンなら楽勝だって」


「ひいふうみい……ざっと二十人ぐらいか。しかも、


「ねー、朱音さん。? もう、あいつら殺していい? きゃははは。早く、してくれないと、我慢できないヨォ……!」


「……ま、そーか。そうだな。面倒くせェ、さっさとやって黙らせよう」


「藍さん、諦めないで……!」




 耳元で、天子のうなり声が聞こえる。


 どうしてか顔を向ける気になれないが、その眼がどんな色をしているかが気になった。




「舐めた口を……!」


「郁子さん、こうなったら、ここで」


「落ち着け、竜子、摩季。今なら、向こうは六人だけだ。隘路あいろとはいえ、未だ数の上ではこっちが有利だ。梅田は、もう闘えないだろうしね」


「私が、本間をやります」


「任せる。私と竜子で、御堂と古賀をやる」


「分かりました」




 南杜側は、この路地での決戦を選んだようだった。


 奇襲が失敗して、逃げも打てないとなれば、まずそうなるだろう。




「ショーコ。ちょっと待っててくれ」


「おう、終わったら、すぐ病院に連れてってやるからヨ」


「カオリさん、朱音さん……」




「「今は、あのクソどもをぶっ殺してやらなきゃ気が済まねェんだ——!!!」」




 総身に怒気をみなぎらせた二人に、祥子は思わず息を呑んだ。


 さっきまでの雰囲気がうそのように、眼光鋭く八生を睨み付けている。


 敵を前にしたというだけでは足りない気迫の理由は、祥子にも分かるつもりだった。


 それが、嬉しいような、やはり悔しいような気がした。


 天子の邪魔にならないよう、掴まっていた腕を離れて、壁にもたれる。


 それを合図にしたかのように、緊張が路地に走った。




 夜風が、ひと際強く吹いた。


 誰からともなく、駆け出した。


 両軍入り乱れての、乱戦である。


 立ち向かう敵兵を文字通り蹴散らして、カオリと朱音が真っすぐ八生を狙う。


 それを、敵の青髪が押し止めた。


 八生は、黒髪を従えて朱音と藍を迎え撃っている。


 援護しようと殺到する残りの敵兵は、珍しく無言で警棒を振るう天子一人に圧倒されていた。




 血煙が、あちこちでさっと立ち上った。


 大半は、天子のところだ。


 鬼気迫る様子で、敵兵を滅多打ちにしている。


 周囲の殴打をまるで無視して、ぴくりとも動かなくなった一人を執拗しつように殴り付ける天子は、尋常ではない迫力だ。


 全体としては、やはりカオリたちが優勢だった。


 南杜側は、すべてのところで押されまくっている。


 タイマンはともかく、三倍の兵力差を上手く活かせていない。


 狭い路地ということ以上に、一人一人の地力が物を言っていた。


 時々、劣勢を挽回するために祥子を人質に取ろうと動く者も居たが、そういった連中は、後詰ごづめのように立ちふさがった水姫と寧々にことごとく返り討ちにされていた。




 しかし、強い。


 壬宮の面子は、誰も彼もが恐ろしいほどに強かった。


 まともに戦っているところを初めて目の当たりにした祥子の、驚くまいことか。


 これは、八生が謀略を巡らそうという気になるわけだ。



 黒髪と藍は、ほとんど一方的な勝負になっている。


 大柄な藍が、黒髪をいい様に振り回していた。


 朱音と八生は、気迫で勝る朱音が優勢だった。


 ただ、他のところよりは拮抗している。


 流石に、大将だけあって八生は相応の反撃を見せていた。



 再び修羅場と化した路地を、痛みに耐えながら眺め続ける。


 最後まで、立っていなければ。


 自分の戦いは、まだ終わっていない。



 戦闘は、それほど掛からずに終局を迎えつつあった。


 祥子が延々と死闘を演じていたのとは対照的な展開だ。


 最も頑強に抵抗していた青髪がカオリに敗れかかった視点で、既に大勢は決したのだ。




「ぐっ、摩季!」


「どこ見てやがる! ——こいつは、ショーコの分だ!」




 部下の危機に気を取られた八生の横っ面に、朱音の右拳が強かに入った。


 堪らず吹き飛ばされた八生が、地面に倒れ込む。


 近くの黒髪は、必死になって助けに向かおうとしている。


 それを、藍が阻んでいた。





 決着。





 乱戦の中で、誰もがその一言を思い浮かべたに違いない。



 一瞬。ほんの一瞬、その場の緊張がゆるんだ。



 そして、ただ一人。



 祥子だけは、眼を逸らさずにひたすら八生を見つめていた。



 だから、気付いたのだ。




 倒れ込んだままの八生が、ゆっくりと腰から何かを取り出す。




 銀色の刀身が、明かりを反射して鈍く輝いた。




 声を上げるよりも早く、祥子は駆け出していた。




 誰も、気付いていない。




 起き上がった八生の向かう先に、青髪に止めを刺そうとしているカオリの背中があることを。




 もつれそうになる脚を必死に立て直して、路地を駆け抜けた。



 朱音が、八生の意図を悟ったようだった。



 遅れて、藍や天子が声を上げる。




 間に合わない。




 既に切っ先は、あと数歩の距離まで迫っている。



 間に、合わないのか。



 むざむざと、眼の前で。



 何のために、ここまで来た。



 あと少し、もう少しというところで。



 懸命に伸ばした、



 焦りで気が違いそうな祥子の脳裏に、電撃のようにぎるものがあった。






「——ッ! 八生郁子! 背中を見せる余裕があるか! ——……!!!」






 駆けながら、とっさに短刀を投げつけていた。


 左手で投擲したものだから、威力は期待できない。


 案の定、祥子の声に反応して振り返った八生が、迫る短刀を空中で叩き落す。



 束の間の出来事だった。


 時間にすれば、一秒にも満たないだろう。


 その一秒足らずが、どうしても必要だったのだ。






「——八生郁子ッ! ……!!! !!!」




「……梅田、祥子ォ——!!!」






 地を蹴った。


 完全に向き直った八生が、短刀ドスの切っ先をひるがえす。


 一騎打ち。



 どちらの刀が、先に相手を討つか。



 右手で、鉄扇を握り締める。



 自分の刀は、未だ折れてはいない。



 まだ、一振りの足掻きが残っている。




 叫んだ。




 松が鬼を討ったというなら、自分は蛇を討ってみせる。



 宙を舞う祥子の身体に、短刀が白い軌跡を描いて迫った。



 構うものか。



 思い切り鉄扇を振りかぶって、祥子はそのまま振り下ろした。



 衝撃。



 手首に、痛いほどの手応えが返ってくる。



 熱。



 腹の下が、焼けるように熱い。



 祥子の鉄扇は、確かに八生の頭を打ち付けていた。



 血風が舞う。



 取った、と祥子は叫んだ。



 悲鳴すら上げずに、八生の身体がぐらつく。



 そのまま、重力に引かれて落ちる祥子と二人して、同時に倒れ伏した。




「……ぐァ……!?」




 着地の衝撃で、腹の熱が暴れ出す。


 短刀が、セーラー服を赤黒く染めていた。




「……まさか、私が負けるとは……ね」




 隣に伏した八生が、呟いた。




「……私は、壬宮に負けたんじゃない。お前に、負けたんだ」




 顔を血で汚すままに、八生が口の端をつり上げる。




「誇るがいい、梅田祥子。……駆け出しの無名の将が、大金星をあげたのだから。……お前は、今日から——南杜の八生を、倒した女だ」




 それきり、八生は話さなかった。


 気を失ったか。


 ぼんやりとした頭で、祥子はそう思った。




「ショーコ! なんて無茶を……!?」


「おい、大丈夫か!?」




 決着がついたことで、カオリたちが周りに集まってきた。


 カオリに、抱き起される。


 大丈夫です、と言い掛けて、ふと自分の手がけているのに気付いた。




「な、何だよ、これ!?」


「う、うそ……ショーコちゃん、透けて……!?」




 腹の熱が、堪えがたいほどになってきている。


 戸惑う一同を余所よそに、祥子は松の言葉を口の中で呟いた。




(……過去の自分と、顔を合わせるな。……過去の者に、未来の話をするな。……それから——。……松様……私……最期に、言い付けを守れませんでした……)




 腕に、力が入らない。


 見上げるカオリの顔も、かすんだ眼ではよく分からなかった。






「か、おり……さん……」


「なに!? ショーコ!?」


「あなたが……無事で、よかった……私、は……そのために……」


「馬鹿! 馬鹿ショーコ! あんたは、あたしと違って頭良いはずじゃん!? なのに、なんで! なんで、こんな……! あたしなんかのために……!!!」






 頬に、温かいものが落ちた。



 泣いているのか、カオリは。



 自分の最期に、誰かが泣いてくれる。



 夢のようなことだ、と祥子は思った。




 悔いはない。



 自分の心に従って、成すべきを成した。



 カオリは、こうやって五体満足に生きている。



 僅かでも、恩を返せた。



 自分の人生に、意味ができた。



 それだけで、思い残すことはない。






「ショーコ! ……ふざけんなっ、ふざけんな手前! こんなン、あたしは認めねェぞ……! お前にゃ、まだ返事を聞いてねェんだ……!!! 死ぬな、ショーコ!!!」




「ショーコちゃん……? うそ、だよね……? 全部、偽物だよね? この赤いの、全部……ショーコちゃんが、居なくなっちゃうなんて……うそだ! うそだうそだうそだ!!! ショーコちゃん! ショーコちゃん! ……ショーコ、ちゃん……!!!」






 朱音と、天子の声。



 よく見えないが、確かに傍に居る。



 藍たちの、すすり泣く声も、聞こえてくる。






「あたしが、助けてやらなきゃいけないのに……! あたしが、あんたを幸せにしてやるって! ——そう、約束したのに……!」




「か、おり……さん……」




「ショーコ! ごめん、ごめんなァ……! あたしが……あたし、なんにもしてやれなかった……!」






 俯いて顔を寄せるカオリに、祥子は消えかけた腕を持ち上げる。


 涙の流れる頬に、なんとか手を触れた。






「かおりさん……私、幸せでした……あなたと出会えて……あなたに、助けてもらって……朱音さんや、天子ちゃんも……藍さんも、唯ちゃんも……みんな、私の家族になってくれた……私に、居場所をくれた……それだけで、私は幸せでした……」






 大切な家族に見守られて。



 大切な人の腕の中で、死んでいく。



 自分の人生の終わりとして、これ以上に幸せなものはないだろう。



 誰一人、失っていない。



 何も、奪われていない。






「あなたたちに、やっとひとつ、恩返しをできた……それだけで、私は胸を張って……死んで行けます……」






 満ち足りていた。


 死ぬ間際に、こんなにも幸せな気持ちになれたのなら、自分の人生も、捨てたものではなかったのだ。






「ショーコ……いやだ……! 頼む、お願いだから……あたしを、置いて行かないでくれ……!」




「カオリ、さん……! 私、最期に……」






 だから、目尻から流れ落ちたしずくを、見せたくなかった。


 大事な家族に、無様な死顔をさらすわけには、いかない。






「——悪い子に、なれましたよね?」






 笑え。


 笑って、幸せなまま、死んで行け。






「ショーコ……! ああ、ああ! なれたよ! あんたは、いい子じゃない……! あんたは、あたしよりも、あたしなんかよりも——うんと悪い子だ……!!!」




「よ、かった……私……あなたに、ちかづけ……て……」




「ショーコ! ショーコ……!!! うそだ、こんなの——」






 カオリの声が、聞こえなくなっていく。



 肌で感じていた温もりが、徐々に遠ざかっている。



 寒い。



 まだ、秋なのに。



 眼も、見えなくなっていた。



 暗闇の中。



 何も、感じない。



 一人なのか。




 光。




 違う、と祥子は呟いた。




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