15 「狼は天に吼える」




 纏めを失った後ろ髪が、首筋をくすぐる。


 斬られた。


 首を斬られる時はこんなものか、と祥子は思った。




 眼前の敵兵の手には、自分の髪が握られている。


 首級を扱うように、他の兵が走ってきて、八生に献上した。


 負けたのだ。


 だが、一敗地に塗れるような、手酷い負けだとは思わなかった。


 この時間すらも、自分が身を以て稼いでいる。


 それは、負け惜しみのようであるが、一方で事実でもあった。


 敵の足止めこそが、第一義である。




 ここで自分が倒れようと、壬宮と南杜の抗争には何ら影響はない。


 カオリや朱音の主力が無事ならば、どうとでもなる。


 そのために、自分はまだ立っている。


 負け方にも、意味のあるものと、そうでないものがある。


 一度で決まるものと、そうでないものも。


 今は、いさぎよさなど捨てるべきだった。




「かなり時間を浪費したな。連中は、今どこらへんだ?」


「最後の連絡では、花城はなき通りを回る、とのことでしたから……それが、十分ほど前です」


「それじゃ、あまり時間がないな。余裕があるかどうか」


「急げば、間に合うでしょう」


「ふむ……なら、敗軍の将には、そろそろ退いてもらわなければ」




 八生の指示を受けて、眼前の敵兵が祥子に掴み掛かる。


 その腕を振り払って、祥子はゆっくりと手を広げた。




「——何が、お前をそうまでさせる。お前にとっての義経は、どこに居る? 本間や御堂がそうか? なら、何故一人でやって来た?」



「……ここは、通さない、からっ。……私が、居る限り……誰一人だって、通すものか……!」




 仁王立ちになって行く手を塞ぐ祥子に、八生が感嘆の声を上げた。




「認めよう、梅田祥子。お前は、私が出会った中で一番の女だった。その意気に応えるには、やはりお前を完全に打ち倒す他ない」




 強烈な蹴りが、腹を打った。


 膝を突きそうになるのを必死に堪えて、眼前の敵兵にしがみ付く。




「容赦するな。そいつは、気を失わん限り何度でも噛み付いてくるぞ」


「うざってェ、さっさと死ねやコラァ!」




 思い切りあごをかち上げられて、眼の前が真っ白になった。


 意識が、飛びそうになる。


 自分から壁に背を打ち付けて、痛みで正気を保った。


 倒れるわけには、いかない。


 何があっても、カオリたちが通過するまでは、この壁を守り切る。




 滅多打ちにされながら、祥子は歯を食い縛って立ち続けた。



 怖いという思いなど、もはや残っていなかった。



 唯一残った希望の光だけを、かすむ眼で捉え続けている。




 光。明るい光だ。




 自分を、暗闇から救ってくれる光。




「散々好き勝手やってくれやがって! ふざけんじゃねェぞオラァ!」




 誰にも、奪わせはしない。



 初めて、そう思っていた。



 を奪われないために、足掻いている。



 今までは、そんなことさえして来なかった。



 ただ、みじめに泣いて、うつむいていただけだ。




「オイ、はッ? 雑魚のくせに、みなさんに迷惑かけてごめんなさいって、言えっつってんだろ!」




 何も、変わっていない。



 平等などと、幻想に過ぎないのはとうに分かっている。



 いつだって、自分は奪われる側なのだ。



 数を揃えたが、自分から大事なものを奪っていく。



 だから、いつだって一人だった。



 今度は、ようやく手に入れた居場所まで、奪おうというのか。




「弱いくせに、逆らってんじゃねェよ! お前みたいなやつは、初めっから隅で大人しくしてりゃいいんだ!」




 腹の底から、熱いものが身体を巡っていた。



 何故、自分ばかりがこんな目に遭うのか。



 それが分からなくて、ずっと悲しくて、泣いていた。



 もう一つ、自分の中でわだかまっていた感情に、気付かないままだった。



 光。



 カオリたちが暗い道を照らしてくれたおかげで、ようやく気付いたのだ。




「何したって、もう無駄なんだよ! 壬宮は終わりだ! 本間も、御堂も、みんなやられるんだからなァ! あたしらが、やってやるんだ!」




 へらへらと、卑劣な連中ばかりがやりたいことを通して。



 自分はいつだって、失うばかりなのだ。



 いい子だと。どの口が、そんなことを抜かす。



 黙って奪われるのが、いい子なのか。



 間違っている。



 どいつも、こいつも。






(理不尽——!)






(許せない——!)


 




(私は、怒っている——!)




 



 こんなことが、正しいはずがない。



 いや、たとえ正しくなくとも、もはや構わない。



 ずっと、声を上げたかった。



 いつまでも、奪われるだけの人生に、自分は怒り続けていたのだ。



 松の言ったこと。



 もうこれ以上、何も失いたくない。



 これ以上、憎い相手に、自分の怒りを堪えることはできない。



 足掻いて、足掻いて、理不尽をくつがえしたい。



 大切なものを壊す卑劣な輩に、きつい一撃を食らわせてやりたい。



 



 眼の前に、自分の敵が立っている。



 、もう終わりだ。



 熱が、き上げてくる。




「——ッ!!! ふ、ざ、けんなあああァァァァァ!!!」




 左腕。



 ポケットの中の、固い感触。



 ばちんと、音が鳴った。



 思い切り、突き立てる。



 脚。血が舞う。



 絶叫が上がった。



 後退あとずさった敵兵の頭に、鉄扇を振りかぶる。



 鈍い音と共に、相手が倒れ伏した。



 八生の顔。



 驚愕に、眼を見開いていた。




 叫んだ。




 敵に、思い知らせよと。




 天まで、届けと。






「……私は、梅田祥子! ——ここで、……!!!」






 八生が、声を上げて笑った。




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