14 「矢尽き、刀折れず」




 竹竿が、音を立てて折れた。


 敵の一人が、掴んだまま落ちていったのだ。


 短くなった柄を投げ捨てる。


 長物を失ったことを惜しむ余裕は、まったくない。


 足下には、早くも次の敵が迫っていた。




「いい加減に、しろやァ!」


「——ッ!」




 窓枠に手を掛けた敵兵の脇を、すくい上げるように払い除けた。


 ペンキや血で赤く染まった角棒に押し出されて、間近く迫った敵兵は後続を巻き込んで落ちていった。


 敵の攻勢は、まったく止むことを知らない。


 打てどもい上がってくる南杜生に、祥子はかなりのところまで追い詰められていた。




 夜襲を掛けてから、どれだけ経ったのか。


 敵はやがて、力押しに攻めてくるだけでなく、後方に制圧火力を展開するようになっていた。


 敵兵を追い落としたタイミングで、二階目掛けて石や廃材が飛んでくる。


 それを、盾代わりの厚い段ボールでどうにか防いだと思ったら、呼応した新手が窓枠に手足を掛けている。


 投石が続く間は、祥子は登ってくる敵に手出しができない。


 四、五人が後方に並んで、援護射撃を加えているのだ。




 飛び上がってきた敵兵に、打擲を加える。


 一人でも登り切られれば、その時点で、このビルを改造して作ったとりでも、たちまち落城と相成るだろう。


 雄叫びを上げて、無理な姿勢を強いられている敵兵を打った。


 汗で重くなった袖がわずらわしい。


 角棒を握る手の感覚すら、曖昧になってきていた。




 もう何度目かの、制圧投石が始まる。


 架けられた荒縄は、更に二本断ち切っていた。


 残りの二本から、敵兵が迫ってきている。


 身を低くして、隣の窓に移動する。


 下を確かめないまま、ペンキの入ったバケツを逆さまに放り投げた。


 案の定、すぐ近くで人の声が上がった。


 敵。手が掛かっている。


 とっさに打ち払って、その隙に窓枠がぎりぎり埋まる大きさのブロックをめた。


 これで、敵はもう少しだけ高く登らなければ、手を掛けることができない。




 たかが数秒の、時間稼ぎだ。


 既に、対岸に用意した仕掛けはすべて使い切っていた。


 本丸であるこのフロアに備蓄していたものも、底を突きつつある。


 防衛は、もはや限界だった。


 誰よりも、祥子自身がそれを分かっている。


 初めから、この簡素な砦で南杜生の攻勢を防ぎ切れるとは、思っていなかった。


 矢玉が尽きれば、それまでである。


 何といっても、二十倍の兵力差なのだ。




「よっしゃあ! 登り切ったぞ!」




 ついに、一方の窓が突破された。


 全身を泥とペンキでカラーリングした南杜生が、一人、二人とフロアに降り立つ。


 これまでの奮闘は、すべて砦という高所の有利を生かしたものだった。


 こうやって白兵の間合いに持ち込まれたら、ケンカ素人の祥子にはどうすることもできない。




「やっぱり壬宮生だ! 捕まえろ!」




 とはいえ、このまま大人しく捕まるなどもっての外だ。


 向かってくる敵兵に、角棒を払いながら駆け回る。




「こっちも着いたぞ! いけいけ! 天狗をぶちのめせ!」




 フロアに残った空のバケツや工作道具を投げ付けて逃げ回っている間に、背後の窓からも敵兵があふれてきた。


 囲まれる。




(ここまでか——!)




 円を描いて自分を包囲する敵兵を見渡して、祥子がうめく。


 袋の鼠だ。


 フロア中に散る敵を前に、逃げ場はどこにもない。




「大人しくしろや!」


「このまま! 城を枕に討ち死ぬくらいなら——」




 角棒をばっと振り払って、祥子は駆け出した。


 それを追って、敵も包囲を縮める。


 唯一、自分の方に祥子が向かってきた南杜生だけは、構えながらも怪訝けげんそうな顔をしていた。




「やけになったか? それとも、怖くなって家に帰りたくなったのかァ? もしもし、ママはここです——よ?」



「——いっそ、こんなとこ自分から捨ててやる!」




「げェ!? まずい、風香! そいつは——」




「あんたも、ァァァァァ!!!」






「——特攻だ!」






「ぎゃあああああああァァァァ!?」




 窓に近かった南杜生——おそらく、風香という名前の——に思い切り体当たりをかました祥子は、そのまま諸共もろともに外へ落ちていった。




「何だ!?」


「天狗が降ってきたぞ!? 風香も!?」




 路地に残っていた南杜生が驚いた声を上げた。


 縄に引かれて姿を見せると思っていた相手が、いきなり仲間と一緒に落ちてきたら、誰でも驚くだろう。


 下敷きになった風香とやらの上を、祥子はすぐに飛び退いた。


 立ち上がって顔を向ければ、五、六人に守られた八生郁子が見えた。


 砦は落ちたが、敵の大将が目の前に居る。


 大半の敵兵は、二階に留まったままだ。




「天佑、未だ我にあり!」


「こいつは、もう何をしてくるか分からん! 郁子さんに近付けさせるな!」




 八生の傍に居た、青い髪をサイドアップにしている女が叫んだ。


 角棒を構えた祥子に、四人が対峙する。




「八生郁子、覚悟!」




 祥子が気勢を上げた。


 そのまま駆け出す。


 敵も、油断なく距離を詰めてきている。


 その手が触れるかどうか、という時に、祥子が敵前でいきなりしゃがみ込んだ。




「何、を——!?」




 疑問に思った先頭の南杜生が言い切る前に、辺りがいきなり真っ暗闇に包まれた。




「な、何だ!? 暗——」


「あいつ、照明のコードを!」


「まずい、何も見えねェ!」


「天狗は、あいつはどこだ!」




 路地に、敵兵の戸惑った声が響いた。


 やたらに伸ばされる腕をすり抜けて、祥子が再び駆け出す。


 地面に垂らしていた、投光器の延長コードを断ったのだ。


 要は、先程の点灯と逆のことをやったわけである。


 明かりに慣れた南杜生は、今度は夜目が利かない。


 もっとも、それは祥子も同じだった。




(一瞬だけでもいい——八生の位置を!)




 温存していた、最後の一つを取り出す。


 すばやく着火して、正面に放り投げた。




「今、火が見えたぞ! そっちだ——」




 一人が叫んだ。


 その時には、既に百連装の爆竹が、最期の徒花あだばなを咲かせるべく宙を舞っている。


 光。


 耳を塞ぎたくなるほどの破裂音と共に、閃光が路地を照らした。


 八生郁子。


 正面に居た。


 眼を、閉じている。




(読まれてた!?)




 流石に外道番長。眼晦ましを二度も食らうほど、甘くはない。


 だが、既に間合いに入っていた。


 右脚で、地面を蹴り付ける。


 思い切り跳躍して、角棒を振り下ろした。


 今更動いたところで、この一打は避けれまい。


 必中を確信した祥子が手応えを感じる前に、横から突然突き飛ばされた。




「ぐっ!?」




 倒れ掛かったところに、更に腕が伸びてきた。


 そのまま腕を取られて、腹に蹴りを食らう。


 角棒を掴まれていたので、衝撃で吹き飛んだ拍子に奪い取られてしまった。


 水気を含んでどろどろになった地面を、祥子の小柄な身体が転がる。


 優に五回転はしてから、出口の手前でようやく止まった。




 明かりが点く。


 落ち着いた敵兵が、コードを繋ぎ直したのだろう。


 八生のすぐ傍に、黒髪の女が角棒片手に立っていた。


 今のは、あいつに邪魔をされたのだ。


 吐きそうになるのを堪えながら、祥子は震える四肢に力を込めて立ち上がった。




「お前が、天狗の正体か。どんな醜女しこめが出てくるかと思えば、存外可愛い顔をしてるじゃないか」




 旗本を引き連れて、八生が近寄ってきた。


 二階に上がっていた敵兵も、続々と降りてきている。


 袋小路で——というよりも、金網で区切られたリングの上で——二十対一という形になった。




「まずは、褒めてやろう。たった一人に、ここまでいいようにされては、もはや笑うしかない」


「郁子さん」


「まァ、待て。摩季。……壬宮はケンカだけが自慢のアホ学校だと思っていたが、お前のような智将が居たとはね。中々どうして、油断ならないじゃないか」


「——兵を退け、八生郁子。すぐに、援軍がやってくる」


「おまけに、度胸もある。それに、、天狗」




 くつくつと、心底愉しそうに八生が笑った。


 見透かされている。


 油断ならないのはどちらだ、と祥子は心中で吐き捨てた。




「お前の名前を、教えてくれ」


「……さっき、名乗ったはず——」


「あァ、勿論、本名で頼む」




 束の間、祥子は迷った。


 だがすぐに、自分を奮い立たせるためにも、名乗りが必要だと思い直した。


 腹に力を込めて、八生をにらみ付ける。






「壬宮の、梅田祥子。——






 気を吐いた。


 気迫だけは、負けるわけにいかない。




「梅田……?」


「おい、知ってるか?」


「知らねェな……無名もいいとこだぜ」




 祥子の名乗りを受けて、南杜生が顔を見合わせた。


 当然の反応である。


 不良として名が売れているかどうか以前に、何といっても祥子は堅気かたぎの女子高生なのだ。


 いてレッテルを貼るとすれば、「」がせいぜいだろう。




「ふむ、梅田祥子、か。確かに、聞いたことないね。私は、中々の将器と見たが」


「ご存知なくて結構。まだ、駆け出しだ」


「なるほど。なら、好都合か」




 顎をさすっていた八生が、眼を細めて呟いた。


 意味を理解しかねて身構える祥子に、すっと手を伸ばしてくる。






「梅田祥子。——






 心臓が、音を立てた。




「……くだれ、とは?」




 ややあって、しぼり出すように祥子はそれだけを返した。


 八生は、そんな祥子の様子を余裕綽々といった風情で見つめている。




「私の軍門に降れ、無名の将。負け行く壬宮に、忠節を貫いてどうなる。私が壬宮を支配下に置けば、お前たちは雑兵扱いされるんだ。それなら、一早く私の麾下きかに加わった方が、?」


「何を。壬宮は、負けない。カオリさんたちが、卑怯な策以外でやられるはずがない」


「だが、私が居る限り、お前の言う卑怯な策は回り続けることになる。それを看破して打ち破るだけの知恵が、連中にあるか?」


「私が、止める。何度だって」


「そうだね。お前なら、今日みたいに邪魔をできるかもしれない。だからこそ、私はその才気が惜しい。よく考えろ。ここで無意味に散る花か、お前は?」




 八生の黒い瞳が、祥子の身体を射竦いすくめる。






「私のものになれ、梅田祥子。私だけの可愛い人形になれば、お前を存分に使ってやろう。お前の才は、そのためにある」






 笑みを深めながら、八生がうたうように告げた。


 その暗い眼光を見れば、否やと言った瞬間に自分がどうなるかは分かり切っている。


 どれだけ分かり切っていたとしても、祥子が答えるべき言葉は、やはり決まっていた。




「言ったはずだ、八生郁子。私は、壬宮の行く末に興味はない。義によって、助太刀をしている。そのために、私は闘う。お前みたいな奸賊かんぞくなどに、決して降れるものか」


「それが、お前の答えか。お前ほどの頭を持った女が、情に流されてむざむざと私の敵になるのか」


「情にのみ、私は縛られる。仁義を果たせず生き恥を晒すくらいなら、最期まで足掻く。お前の首を、狙い続ける」


「散るか、梅田祥子。無名の将のまま、この路地に散るのか」




 すっと、八生が眼を閉じた。




「なら、それもいいだろう。せめて、私が散らせてやる。精々、鮮やかな花を咲かせてみせろ」




 再び開いた八生の双眼は、冷たい光をたたえていた。






「八生郁子! 是が非でも、お前の首を貰い受ける!」






 腰に帯びた鉄扇を抜き払った。




「行け」




 低い声で、八生が呟いた。


 長身の青髪が、周囲の南杜生に号令を掛ける。


 手前の三人が、気勢を上げて向かってくる。




 吼えた。




 鉄扇を握り締めて、祥子は駆け出した。


 先頭の女。


 うように、身を低くして突っ込む。


 馳せ違いざま、拳を振りかぶった女の脚を、思い切り打ち付けた。


 すねを押さえて悲鳴を上げた女をそのままに、更に奥へ。




 残りの二人。左右から掴み掛ってくる。


 右の一人が、泥に足を取られて姿勢を崩した。


 勢いに逆らわず、祥子もそちらに体重をかける。


 襟を取っていた左の女も、やはり右に傾いていく。


 三人で、そのままカラフルな泥に倒れ込んだ。


 手を突いた拍子に、左手が僅かに沈みこむ。




「この——!」




 上に乗り掛かる形になった左の一人が、祥子に拳を振り下ろす。


 右手は、間に合わない。


 とっさに、左手ですくった泥を相手の顔に投げ付けた。


 視界を奪われて狙いを外した拳が、祥子の傍を通り抜ける。


 その無防備な胴を蹴り飛ばして、跳ね起きる。


 あと、十七人だ。




「ふざけんなコラァ!」




 先程一緒に飛び降りた風香とやらが、八生との間に立ち塞がった。


 繰り出された拳を、もろに受ける。


 まともに決まった一打に、祥子はたまらずその場で数歩ふらついた。




「死ねやにせ天狗!」


「くそったれが、よくもやってくれやがったな!」




 足を止めたことで、抜かれた三人も追い付いてきた。


 祥子の肩やら腕やらを掴んで、殴打を加えて振り回す。


 鈍痛が、身体のあちこちに走った。


 眼がくらむ。


 右手には、まだ鉄扇の重さを感じる。


 姿勢を崩しながら、祥子は正面に振り下ろした。


 悲鳴。


 手応えがあった。


 誰を打ったのか分からないまま、蹴りを食らって地面に吹き飛ばされる。




 押さえ付けられる前に、立ち上がって壁を背にした。


 突き出された拳を、鉄扇で払い除ける。


 切っ先を返す間もなく、再び誰かに襟を取られてぶん投げられた。


 すぐさま立ち上がる。


 また、痛みが走った。


 何度も、繰り返した。


 もはや、まともに前進できていないだろう。


 殴られ過ぎて曖昧になってきた意識では、自分がどこに立っていて、狙うべき八生がどこに居るかも分からない。


 それでも、立ち続けた。


 松の言い付けを必死に守って、絶対に倒れてなるものかと歯を食い縛る。


 立つのを、止めれば。


 起き上がることを止めた時、自分の負けが決まる。


 まだ、自分の戦いは終わっていない。




「終わらせて、たまるか——!」




 鉄扇。放していなかった。


 眼前の一人、その肩を打つ。




「手前、いい加減にくたばれやァ!」



「あああああァァあああああァァァァァ!!!」




 二、三人に制服を掴まれたまま、血混じりの叫びを上げて頭突きチョーパンを見舞った。


 身体が、宙に浮いた感覚。


 正面に、五、六人。突っ込んでくる。




 叫んだ。




 鉄扇だけは、握っている。


 蹴り飛ばされた拍子に、したたかに頭を打った。


 血が垂れて、左眼に赤い滝を流す。




 こんなところで、自分は死ぬのか。




 ふと、そう思った。




 震える脚で地面を踏み締めながら、祥子は喉が裂けんばかりに叫びを上げ続けた。


 ほとんど、言葉になっていなかった。




 死にたくない。


 まだ、何も成していない。


 死ぬわけには、いかない。




 朦朧もうろうとする頭で、祥子は何度も思い続けた。




 自分は、生きたいのだ。




 今までの人生で、これほどまでに生きたいと思ったことが、あったか。




 まだ、僅かしか生きていない。




 本当の意味で、生きるということを教えられたばかりなのだ。




「信じられねェ根性だぜ、こいつは」


「あんだけ殴られて、まだ立てるってのか」


「……油断するな。手負いのやつが、一番恐ろしい」




 どれだけ殴られているのか、分からなくなった。


 戦い始めてから、どれだけ経ったのか。


 気付けば、自分の作った壁を背にして立っていた。




 息が苦しい。




 あえぎにも、血が混じる。




 心臓が、聞いたことのないくらいに騒ぎ立てている。




 震えが止まらないのに、身体の中から熱が噴き上げてくるようだった。






「はァー……はァー……」



「見事だね、梅田祥子。まったく見事な花だよ」






 八生の声。






「まさに、刀折れ矢尽きて、というやつじゃないか。お前のような女を、私は見たことがない。本当に、惜しい。だが、お前の闘いぶりを、私は決して忘れまい。……梅田祥子——ここまでチェックだ」


「は……ぶ、ゆ……こ……」


「私の、と言っていたな。本来なら、身の程知らずに返り討ちになったお前を、私は同じ目にわせてやるのが筋なんだろうが……あれほどの執念を見せられては、その限りにあらずと言わざるを得んな」


「——郁子さん。こいつは、尋常じゃありません。ここでなさけを掛けたら、後でどんなうれいになるか」


「分かってる、摩季。私なんぞに情けを掛けられても、こいつにはそれこそ首を掻っ切らんばかりの屈辱だろうしな」




 さっと、八生が手を振った。


 それを合図に、敵兵の一人が、刃物を片手に近寄ってくる。




「首とまでは言わず、その立派なを頂くことにしよう。まったく、口はわざわいの元だ。例え比喩でも、ね。——だがまァ、これで壬宮の連中への、見せしめにもなる」




 頭を掴まれた。



 抵抗もむなしく、立つのがやっとの自分の後ろ髪にナイフが当てられる。






うらんでくれるな、梅田祥子。私が勝ち、お前が負けた。それだけだ」






 ぶつりと、音が鳴った気がした。


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