11 「宵闇の迫る街を」




 人通りの多くなった街路を、両手に袋を下げて走る。


 決戦の場となる路地は、駅前の広場から往復で二十分といったところに位置している。


 南杜生が戦場に達するのは、自分の記憶が正しければ、現在時刻からおよそ五時間後だ。


 それまでに、路地の要塞化を完了させねばならない。




 まずは、南杜生を路地に閉じ込める仕掛けを作った。


 資材は、現場に放置されていた大量の廃材を利用し、バリケードを組み立てる。


 ある程度の高さに達したら、ホームセンターで調達したロープや角材で、積み上げた廃材を補強していく。


 やわい手のひらが、とがったくず鉄によって血を吐き出す。


 痛みに流す涙は、今の自分にはない。


 適当に包帯で縛り、廃材を積む。ひたすらに、ひたすらに。


 初秋とはいえ、こうも動けば暑さはかなりのものだ。


 見る間に汗だくになり、もどかしさに、上着を脱ぎ払った。


 決戦が近付くにつれ、胃の腑が浮くような感覚が強くなっていく。


 焦っていた。


 据えたはずの腹が、揺れる。




 一時間ほどして、壁が出来上がった。


 自分の背丈よりも更に半身ほど高く、二メートルは超すだろう。


 これならば、敵も容易には突破できまい。


 息を吐く間もなく、今度は敵の退路を断つための仕掛けに取り掛かる。


 一度作ったものだ。作業速度は、一枚目よりも速い。


 やがて二枚目が形になっても、まだまだやることはあった。


 左右の空きビルに立ち入り、間取りや荒れ具合を確かめる。


 祥子の目標は、第一に持久戦である。


 徹底持久の堅陣を敷いて、カオリたちが無事に通過するまで時間を稼ぐ。


 そのためには、これを城砦として改造する必要がある。


 幸いに、松の兵法書には、籠城戦の心得もしっかりと記されていた。




 出入口は勿論、敵の侵入が予想される一階の窓はすべてふさいだ。


 資材が底をついたら、ホームセンターまでのピストン輸送でこれを補うのである。


 流石に、店員には怪訝けげんな顔をされた。




 西の空が真っ赤に燃え上がり、やがて紫色に変わる。




 宵闇の迫る街中を、祥子はひたすらに駆けた。




 駆けて、駆けて、叫び出したくなった。






 自分は、生きている。そして、戦っているのだ、と。






 粗方あらかたの準備が整ったのは、三時間後のことだった。


 すっかり暗くなった街は、帰宅途中の学生やサラリーマンであふれていた。


 あと二時間もすれば、決戦の時が訪れる。


 最後の買い出しのために駅前に戻ってきていた祥子は、汗とほこり塗れの顔をどうにかしようと、ショッピングモールの二号館にある多目的トイレを占拠していた。


 冷たい水で顔を洗う。


 鏡に映った自分の表情に、思わず笑いが漏れた。


 外で待っていた利用客が悪態を吐いてくるのに構わず、一路本館へ。


 財布の中はもうすっからかんになっていたが、それでも僅かに銭を残していた。


 決戦前の、最後の腹ごしらえのためだ。


 空きっ腹をなだめすかして、本館へとつながる横断歩道を渡る。


 そこへ、一台の単車が突っ込んできた。




「——ショーコ?」


「か、カオリさん……!」




 危なげなく祥子の手前で減速してみせた運転手ライダーが、ヘルメットのバイザーを上げた。


 見慣れた赤交じりの黒い前髪が、外気に触れて揺れる。


 祥子が会いたくてたまらなかった、死すべき者。


 本間カオリ、その人である。




「何してんの、こんなとこで?」


「……買い物です。今は、晩御飯にしようかと思っていたところで」




 再び笑顔を作って、不自然にならぬ間で返した。


 本当なら、今すぐ抱きすがって泣きに泣きたい気分である。


 そうしないのは、緊張の糸を切らしたくなかったからだ。


 いつまでも、守られるばかりの自分で居たくない。


 そう決心して、ここまでやってきたのだ。


 決戦を前に、甘えた心を抱くべきではなかった。




「買い物、ね。……飯なら、あたしがおごってあげよっか?」


「そ、それは……カオリさんに、悪いです。この後は、巡回に出られるんでしょう? 私に構っている暇なんて——」


「いいから。あたしも、ちょうど腹が空いてたんだ」




 祥子の遠慮した物言いをさえぎって、カオリが予備のヘルメットを寄越した。


 後ろに乗れ、というのだろう。


 こうなると、カオリが頑として譲らないことは、祥子も分かっている。


 ええいままよと、渡された半ヘルを被り、単車にまたがった。


 自分の腹に腕が回されたのを確認してから、カオリがアクセルを回した。




 夜の街を、二人で駆ける。


 街灯の明かりが、尾を引いて後ろに流れていった。


 夜風が、頬をでる。


 しがみついた背中に、熱を感じる。


 カオリの後ろに乗せてもらうのは、これが初めてだ。


 本当ならば、この温かさすら知らずに、自分はカオリと死に別れる羽目はめになっていた。


 そう思うと、胸の奥が締め付けられて、どうしようもない気持ちになった。




「——用事があるなら、チャコを連れてけって言ったじゃん」




 つと、カオリが振り返らないまま声を上げた。


 風の音に負けないよう、張り上げられている。




「……、まだできてないみたいだったので」


「ははっ、本気でチャコを粉みじんにするつもりだったんだ」




 罪悪感がすごい。


 我ながら、答えにきゅうしたからといって、親友を悪魔に売り渡すような真似をすることになるとは。


 この時間なら、過去の自分もチャコも、既に帰宅してくつろいでいるはずだ。


 あくまでもこの世界では梅田祥子Bに過ぎない自分が、迂闊うかつに呼び出せるわけもない。




「まァ、今日は何でか南杜生の数も少ないっぽいから。運が良かったね」


「そう、ですね」




 数が少ないのは、嵐の前触れだ。


 攻勢が弱まったのではなく、主力である八生の本隊が満を持して進軍を始めたことを意味している。


 敵もやる気なのだ。




「この先に、あたしのよく行く定食屋があるんだ。旨いよォ、あそこは」


「……楽しみです」




 そのことについて、祥子が言えることは何もなかった。




 言えば、自分は戦うことすらできずに退場となってしまう。




 カオリたちには、何も知らずにおとりになってもらう他ないのだ。




 込み上げるものを漏らさぬように、祥子はカオリの背に額を押し付けた。

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