10 「〆て四五〇〇円也」
一時間後。
「……そんじゃ、一通り見て回るか」
「お、お願いします!」
祥子と朱音、天子の三人は「リーリヱ」を後にして、駅前のショッピングモールに来ていた。
午後の授業を丸々無視した外出の発端は、祥子だった。
告白騒動が一段落した後、喫茶を楽しみながらガールズトークに花を咲かせていた三人だったが、一方で祥子だけは不安に
八生郁子を倒すための妙策が、まるで思い付かなかったからだ。
松の助言の真意も、未だ見えてこない。
二人との会話を大事にしながらも、祥子はどうにか突破の糸口を探ろうとしていた。
そんな時にふと眼に付いたのが、やたらと重たそうな朱音の学生鞄だった。
いつだったか、朱音が教えてくれたのを思い出した。
自分の鞄には分厚い鉄板が仕込まれていて、相手を殴打するにも、相手の打撃や刺突を防ぐにも使える、攻守一体の武器なのだ、と。
武器の使用は、
自分の細腕で殴打を加えたとして、ケンカ慣れした南杜生を相手に、まともに太刀打ちができるとは祥子も思っていない。
松からも、その前提に基づいて鉄扇を借り受けている。
だから、思い至ったのは使うか使わないか、ではない。
松の言うような「
意を決して尋ねた祥子に、朱音と天子は喜び勇んで、手早く会計を済ませた。
そして、気が付けば連れ立って駅前にまで足を運んでいたのである。
「しっかし……まさかショーコが、得物を
「……やっぱり、変ですか?」
行きつけの場所があると言われ、朱音の案内通りにたどり着いたのは、専門店街に併設されたホームセンターだった。
「いや、正しい判断だと、あたしは思う。護身用でもなんでも、お前に勝ちの目があるとすりゃ、出会い頭の一発目だけだ」
「最初の一発、ですか」
「相手より先に、急所に一撃を叩き込めれば、後はどうとでもなる。むしろ必要なのは、人を思い切りぶん殴れるか、っていう度胸だろうな。これが、最初は意外と難しい」
棚に並べられた商品を見ながら、二人並んで歩く。
時々、はしゃいで先に駆けていった天子が、おすすめの一品を
「ショーコちゃん、これは!?」
今度は、
その前は、
「洋画ホラーか! 使えるわけねェだろそんなもん!」
「あっ、重た過ぎたかな?」
「そこじゃねェんだよ! もっと気にするとこあんだろ!」
「もっと軽いの探してくる!」
「聞けェ!」
嬉々として駆けていく天子に、朱音がやれやれだぜと息を吐いた。
「悪いな。あれで、あいつなりに真剣に探してンだ」
「い、いえ……天子ちゃんなら、ほんとにああいうので戦えちゃいそうですし」
「面白い冗談だ。——いや、冗談であって欲しい。和製ジェイソンを後輩に持った覚えはねェぜ、あたしは」
「……私も、ファイナルでデスティネーションな展開に巻き込まれるのは嫌です」
朱音の
祥子のメンタル面を考慮してか、刺突に使えるものよりは打撃を中心としたものが多い。
今のところ、一番手に馴染んだのはモンキーレンチだ。
とはいえ、やはり大半の商品は松の鉄扇よりも威力や
対人戦闘への転用を想定されていないのだから、当然といえば当然だ。
打撃に関しては置いておいて、他のものを探してくれるよう朱音に伝えた。
「おいおい、大丈夫か? ハッタリならともかく、光り
「……根性こそ、必要なんだと思います。私には、他の何よりも」
「そりゃ……しかしな、ショーコ。やらんで済むなら、それに越したことはねェんだ。何も戦場に行こうってわけでもねェ。あたしもお前も、花の女子高生なんだぜ? 相手の首を取るまで勝ちが決まらんっつー世界の住人じゃない」
そういう台詞は、手に持った
しかし、朱音の言葉には引っ掛かるものがあった。
「——朱音さんは、刺したことがあるんですか?」
「一度だけ、ハッタリ無しにやっちまおうかって思ったことはある。それも、結局は未遂だったし……何より、ケンカじゃなかった。くだらねェ私事だヨ」
束の間、朱音の表情が
「……意外です。もっと、刃物が出てきて当然の世界なんだと思ってました」
ごまかすように頭を
思えば、自分のことばかりで、朱音たちの日常などあまり考えて来なかった。
「任侠映画じゃねェんだ。あたしらには、それなりに仁義もくそもある。用もねェのに、刺した刺されたやらかして
「——ショーコちゃん! これは軽いからいいと思う! 小さい! かわいい!」
両手の指の間に
「例外もある」
無言で指さした祥子に、朱音が真顔で言い切った。
「とにかくだ。本気で殺してやろうってンじゃねェなら、こんなもん使わなくても、勝ちようはある」
天子の差し出したナイフを
ぐいぐいと押し付けてくる天子に押し負けて、祥子もいくつか手に取る。
小さめな自分の手のひらにも問題なく収まる——誤解を受けそうな言い方だが——握りやすく、使いやすそうなものばかりだった。
天子なりに自分のことを考えてくれているのだと思って、祥子は微笑んで礼を言った。
それで、天子も浮かれて笑い声を響かせる。
「それは……でも、私じゃ……」
「ショーコよォ。……あたしがお前に得物持たすのは、何も相手をボコボコにさせるためじゃねェんだ」
バチンと、小気味良い音を立てて、朱音の手中にあったナイフが刀身を
「そうだな。先輩から、一つありがたい訓示をくれてやろう」
「は、はい。拝聴します」
「ケンカってのは、大抵は
「道理です」
「そうやって、どっちも目的を抱えてアホみてェに殴り合うわけだが……そこで疑問に思わねェか? どうして、最終的な勝利が毎度毎度相手を打ち倒すことにつながる? ——あっちとこっちじゃ、目的が違うのに」
「それは……」
ケンカ慣れした朱音の口から出たとは思えない問いに、祥子は言葉を詰まらせた。
祥子にとってケンカとは、どちらかが倒れるまで続く、という認識の下にある。
したがって、勝者とは、相手を打ち倒し、最後まで立っていた者をいうのだと——無論、素人ながらに——そう思っていた。
然るに、朱音の問いは、まさにその前提を
これは、すわ金言を
「例えば、そうだな——お前は今、あたしとテンコにカツアゲをされてる最中だとする」
「きゃははは! ——ショーコちゃん、お財布出しなヨ」
物分かりが早過ぎる。
カツアゲにしては異様なテンションの高さで、天子が不良Bの演技を始めた。
「お前の財布には、昨日もらったばかりのお小遣いがたんまりだ。前から買おうと思ってたもんもある。——さァ、どうするネお嬢ちゃん? 二対一だぜ?」
悪い笑みを浮かべて、朱音が天子とは対になる方向に占位した。
ちょうど、商品棚を背にして、祥子が左右から挟まれる形になる。
(ほんとにカツアゲされてるみたいに思われないかな、これ……!)
遠くからこちらを見ている買い物客が、ひそひそと話し合っていた。
「この状況で、だ。お前は、どうやって勝つ? お前の勝利条件は、何だと思う?」
「……武器を使って、朱音さんたちを排除することです」
「違う、そうじゃない」
持っていたナイフが、朱音によって瞬く間にもぎ取られた。
宙に浮いた祥子の手を取って、朱音が自分の腹に押し当てる。
「仮に、あたしの腹をこいつでぶっ刺せたとして。——がら空きのテンコがお前を倒す。逆も、同じだ。二人同時に倒すなんて芸当は、お前にはまだできんだろうからな」
「きゃははは! ショーコちゃん、捕まえた!」
死角から、天子が抱き着いてきた。
不意を
一言一句、朱音の言う通りだ。
「じゃあ、私はどうやって勝てばいいんでしょうか?」
「大事なことを思い出せ。お前がやりたいことは何だ? あたしらが憎いか? 打ち殺してやりたいと思って、武器を用意したのか?」
「……私の目的は——お財布を、無傷なまま守り切ることです」
ぶわりと、風が舞った気がした。
「そうだ。そのために、一々あたしらを半殺しにする必要はないはずだ——いや、できるなら、全然やっても構わねェんだが」
「大丈夫です。二兎を追うつもりはありません」
「そうだな。これは
朱音の中では、近い将来、自分も不良を半殺しにするようになっているのだろうか。
「あー、話が
「守り抜く……」
「時間を稼いで、相手の
ぱっと手を離して、朱音が笑った。
『此度の戦、第一義は』
電撃のように、松の言葉がよみがえった。
そうだ。
自分は、八生郁子を倒すために、過去に戻って来たのではない。
朱音やカオリたちを守り抜くために、戻って来たのだ。
「——ッ! ありがとうございます! 朱音さん!」
込み上げる衝動のままに、朱音に抱き着いた。
朱音の
まさに、金言である。
自分の成すべきことを、ようやく知ったのだ。
「お、おい! 大胆だな、ショーコ……!」
「あたしは? ねー、ショーコちゃん、あたしは?」
構って欲しそうに袖を引く天子ともハグを交わす。
それを見て、ざわざわとしていた他の客も安心したように散っていった。
「……じゃあ、これにします」
結局、祥子は記念として天子の選んできた折りたたみナイフを購入することに決めた。
お代は、朱音が払ってくれた。
可愛い後輩への、プレゼントだというのだ。
丁重に礼を述べる祥子を
上機嫌な天子を微笑ましく思いながら、祥子も初めての「お揃い」に少々舞い上がっている。
女子高生が友達同士で持つにしてはいささか物騒な代物だが、今の祥子にはそれも気にならなかった。
それなりに長居をしていたようで、ホームセンターを出た時には、既に日が傾き出していた。
「さて、あたしらは単車取りに一旦戻るか。ショーコ、途中まで送ってってやるヨ」
ショッピングモールの正面で、朱音が振り返って言った。
緊張を気取られないように、無理やり笑顔を作る。
これから、二人はカオリたちと合流し、町内の巡回へ繰り出すのだ。
二人が、行ってしまう。
あの死地へと。
手を伸ばしそうになる自分を、何とか制した。
「……親が、近くに居たそうで、迎えに来てくれると言ってます。ですから、朱音さんたちの手を
「そうか。まァ、そういうことなら、あたしらの出る幕はねェな。親御さんが来るまで、一緒に居なくて大丈夫か?」
「はい。極力人通りの多いところで、時間を
「あんまマッポを信用するな。あいつら、肝心な時には無能な
「木人でも、数が居れば役に立ちますよ」
「どうだか。少林寺帰りのスケ番がうろついてりゃ、そうもいかんだろうぜ」
「またねー、ショーコちゃん!」
大げさに手を振って去って行く朱音と天子——朱音は軽く手を挙げただけだったが——を見送って、祥子は一つ息を吐くや、さっと踵を返した。
感傷など、今は不要だった。
変えるべき過去に、気を取られている場合ではない。
ポケットの中にナイフの重さを感じながら、祥子は一人、来た道を引き返した。
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