02 「幸せの日常、迫る影」




 一方、その頃。


 朱音に置き去りにされたカオリは、不貞腐れていても仕方ないと、一年の教室を目指していた。


 後ろには、壬宮高校ナンバー3の古賀こがあいを連れている。


 ポニーテールを揺らしながら、藍が息を吐いた。


「カオリよォ。そんなに可愛がってんだから、昼休みは毎回こっち来るよう言えばいいじゃねェか」


「それじゃ、ショーコに悪いじゃん。あの娘にだって、友達付き合いとかあるかもだし」


「らしくねェ気遣いだな。そもそも、あいつを村八分にしてたからって、クラスメートにさんざにらみ利かせた挙句、チャコのやつをにさせたのはお前さんだぜ?」


 藍が呆れたように肩を竦める。


 ちょうど廊下ですれ違った下級生が、カオリを見るなり悲鳴を漏らして逃げていった。


 よくあることだが、今はタイミングが悪すぎる。


「ほれ見ろ、友達ごっこができる状況ジョーキョーじゃねェべ。あの「本間カオリ」がだって、ビラ配ったみてェなもんだ」


「うっさいなァ。藍は心配になんないの? ショーコのこと」


 購買で手に入れた安物のパンを振り回して、カオリが肩越しに見返った。


 一年からの付き合いである長身の友人は、遠慮などまるでしない。


 加えてあほだが、欲求に素直な分、時々思い切ったことを言い出すのだ。


 これまた憎たらしい笑みで、藍が見下ろしてくる。


「心配っつーか。まーあたしもあいつのことは気に入ってるけどサ。可愛いし。……だから、さっさと本間軍団に入れちまえって言ってんだろ?」


「何言ってんのサ。カタギにツッパリが務まるわけないじゃん」


「お前さんだって、生まれた瞬間からツッパッてたわけじゃあるめェ。要は慣れだヨ。人間の子供だって、狼が育てりゃ狼になるっていうじゃねェか」


「狼なら、朱音ンとこので間に合ってるっての」


 言ったが、藍の提案は中々悪くないものだった。


 ただ、高価な貴重品を前にしたような、壊してしまったらどうしようという漠然とした恐れが、カオリをその気にさせないだけだ。


 藍はあほだから、この繊細な気持ちなど考えもしないだろうが。


 目当ての教室——四階の一番端にある、一年A組——に着いて、すぐさまカオリがドアを開け放つ。


 騒がしかった教室は、それだけで通夜のように静まり返った。


「ショーコ、カオリお姉さんだよっと。お昼食べよ」


 揃ってうつむいたままの下級生に構わず、カオリと藍が教室の奥に足を向ける。


 窓際の席に腰掛けている二人組——正確には、その片方——が、カオリの目当てだ。


「あ……こんにちは。カオリさん、藍さん」


 柔らかく微笑んだのは、おさげ髪を肩に垂らした小柄な少女だ。


 梅田うめだ祥子しょうこ


 カオリを筆頭に、本間軍団のツッパリたちから可愛がられている一年生。


 先日の、三年生対本間一派という壬宮高校史に残る内部抗争の引き金になった少女でもある。


 カオリは、この後輩が無性に可愛くて仕方ないのだった。


「ふふ、コンチハ。あっ、チャコもご苦労サマ」


「うっす」


 金髪の少女が、カオリたちに椅子を持ってきた。


 徴発先の生徒は、奪われるよりも先に逃げ出している。


「……チャコちゃんは、お役目?だから私と一緒に居てくれてるの?」


 四人が昼食を始めてすぐ、祥子がぽそりと言った。


 その悲しそうな表情を見て、焦ったのは問い掛けられた本人だ。


「えっ、ちがっ——」


「チャコォ! テメーなにショーコ悲しませてんだコラァ! ハアァン!?」


「キレすぎだろ」


 カオリに勢いよく襟を掴まれたチャコ——本名、柏崎かしわざきゆい——が必死に声を上げる。


「た、確かに! カオリさんから見とけって言われましたけど! あたしはそれ抜きにしても、ショーコとはダチで——」


「良かった! チャコちゃん、この前親友だって言ってくれたの、私ほんとに嬉しくて……!」


 ぱっと明るい笑顔を浮かべた祥子に、唯が安堵の息を吐いた。


「——テメェなにショーコの親友気取ってんだコラァ! ハアァン!? 中々会えねェあたしへの当てつけかオラァ!?」


「もうやめてやれショーコ。何言ってもこのアホにゃ火に油ァ注ぐだけだわ」


 いつもなら祥子の人並みの幸せ——親友がスケ番というのが、カタギの常識でいう幸せかは別として——を微笑ましく見守るカオリなのだが、今日だけは少しばかり虫の居所が悪いものだから。


 唯にとっては、理不尽以外のなにものでもない。


 藍に止められてようやく座り直したカオリに、祥子がおずおずと話し掛ける。


「わ、私は——カオリさんのことも、大切な人だと思ってます……から」


「——ッ! へへへー、ショーコったら、可愛いんだー」


「チャコ、オメー怒っていいぞ」


 一転して上機嫌になったカオリが祥子にもたれ掛かる。


 疲れた目でそれを見遣る唯に、藍が同情の目を向けていた。


 気分屋なカオリに不満など言っても無駄と分かっているのか、唯は黙って箸を進めることにしたようだった。


 それからしばらく——カオリが中身のすかすかなを黙々と食べ終えるまで——試験の結果について話していた四人だったが、なにせ祥子以外は全員赤点か、ぎりぎり及第点といった有り様だから、そう掛からずに「じゃー互いに補習頑張って」と決着がついた。


 一通り食べ終えたカオリが、スキンシップと称して祥子に抱き着く。


 いつもの光景なので、藍と唯は構わずに雑誌に目を向けていた。


 嬉し恥ずかし、といった様子の祥子だけが、ぎこちなく身を強張らせている。


「……そんでよォ、昨日の話なんだけどサ」


 パックのコーヒー牛乳をすすっていた藍が、思い出したように言った。


「駅前で、横山と鮎川と駄弁ダベってたんだよ。したら、いきなり南杜の連中に因縁インネン付けられちまって」


「またぞろか。数は?」


「七、八人は居やがったな。まァケンカの方は雑魚ばっかだったんだけどよォ、うちの生徒に手ェ出されたら面倒だろ? だから、全員ぶちのめして電車に叩き込んどいた」


「最近、あちこちで南杜のやつらがうちのシマ荒らしてるって、もう学校中のうわさになってますよ」


 顔をしかめる藍と唯を尻目に、カオリは辟易へきえきといった表情で祥子を抱きかかえている。


「この間まで祥英しょうえいと戦争してたってのに、随分と余力があるわけだ」


 面白くなさそうに、カオリが呟いた。


「そういえば、祥英の西邨にしむら。結局病院送りになったらしいです」


「あのグリズリーを倒せるようなやつが、南杜に居たってのか?」


「さァ……ただ、最終的にやったのはあの「」だとか」


「ハブ——八生はぶ郁子ゆうこか。うーむ、たしかに外道番長サマならやりかねん」


 藍が腕を組んでうなった。


 南杜の番格である八生郁子は、卑怯上等なケンカで有名で、へびのように狡猾こうかつなことから、外道番長と一部で恐れられている。


 中学ではかなり名前を売っていたらしいが、カオリを含めて、朱音や藍も戦ったことはない。


「っつーことはだな、最近の斥候せっこうも、あいつが裏で糸引いてるンかもな」


 咥えていたストローを吐き捨てて、藍が頭の後ろで両手を組んだ。


 謀略で相手を追い詰めるのが三度の飯より好きらしい八生が相手となれば、あほの藍には確かにやりづらいものがあるだろう。


「じゃあ今日も、先輩方は巡回ですか?」


「そーなるね。こうも毎日単車バイク転がしてたら、油代が馬鹿になんないってのにさァ」


「いっそ全員でカチコミ掛けてきてくれりゃ、その方が話も早いんだがな。タイマンなら、八生ごときに後れは取らんぜ」


 溜め息を吐いたカオリに、藍が笑った。


 ここ数日、壬宮のシマを荒らす南杜生に対する示威行為と、町の治安維持を目的に、カオリたちは単車で巡回をこなしていた。


 自主的なの成果は、まずまずといったところだ。


 南杜生の出現が、やたらと散発的だということもある。


「チャコ。あんたを女と見込んで、仕事を与えよう」


 膝の上から祥子を降ろして、カオリが唯を見遣る。


 芝居(しばい)がかった声色に、唯もわざとらしく居住まいを正した。


「へい、カオリの姉さん」


「ショーコを家まで送り届けてやんな。間違っても、傷一つ付けンじゃないよ」


「ハハァ、一命に代えても」


 仰々ぎょうぎょうしく唯が頭を下げる。


 改めて言うまでもなく——周囲から揶揄やゆされるぐらいには——唯は祥子の護衛として校内のみならず、登下校にまで張り付きだった。


 無論、カオリのご下命第一というだけでなく、本人が祥子に友情を感じているのだろうが。


 実際、それも万が一の場合の保険のようなものだった。


 カオリや朱音に憧れているという唯も、度胸はそれなりだが、ケンカの腕がそれほど立つわけではない。


「は、はは……チャコちゃん、今日もお願いします」


「任せとけって。南杜の連中が出たら、すぐに先輩方のケータイ鳴らすからヨ!」


も他力本願な騎士サマじゃねェか」


 食べかけていたチョコレートを置いてからぺこりと一礼した祥子は、申し訳なさを全身で表していた。


 胸を張った唯の肩に、藍が腕を回す。


「チャコよォ、オメーもそろそろ一人でケンカくれェできるようになんねェと。御堂のとこの番犬を見習え。三年だろうが、相手が複数人だろうがおかまいなしだったろ、あいつ」


「藍さん、勘弁してくださいよ。あいつは別格でしょうに」


「それぐれェの気概でやれって言ってンだ」


「そーそー。いざとなったら、相手にしがみついて自爆したまえヨ」


「そりゃーいい! オメー爆竹百束ぐらい身体に巻いとくのはどうだ! 相手もびびって逃げ出すに違いねェ!」


「勘弁してくださいよ! それあたし死んでんじゃないっすか!」


 悪ノリを始めた先輩二人に、唯が血相を変える。


 さすがに冗談だが、常識的な朱音と違って、いささか酔狂なカオリと藍なら本当にやりかねないと思っているのだろう。


「ショーコのためにいさぎよく散りたまえヨ、特攻のチャコ」


「誰が特攻のチャコだ!?」


「私としては、チャコちゃんは生かしておく方向だと嬉しいです」


「オメーはもっと頑張って止めてくれ!」


 頼みの綱の祥子に、唯がすがる。


 からかう先輩二人をようやく止めた祥子は、にやにやと締まりのない表情をしていた。


「どしたん? ショーコ?」


 横に居たカオリが指摘した。


「あっ、いや——私も、友達同士の会話……みたいなの、できたかなって……すみません」


「——可愛いじゃんヨ、お嬢ちゃん」


 あわあわと照れた祥子の肩を抱く。


 ひょんなことからこうして接するようになって、祥子がこの学校に転校してきてからだけでなく、前の学校で——いや中学、もしかすると小学校から——辛い目にってきたのは、カオリたちもなんとなく察している。


 祥子は、大人しく控えめな性格だから、色々と苦労を押し付けられて来たんだろうとも。


 勿論、このご時世にツッパリなんぞを名乗っている自分たちにしても、事情の末に人格形成が行われてきたわけで。


 大なり小なりことを、あえてずけずけと聞くこともない。


 祥子自身が、いつか話してくれる日を待てばいいのだ。


 ただ、それ以外にもできることはある。


 ある者は、反骨の性分に基づいた義憤から。


 ある者は、同じく生きづらいと感じる者同士の共感から。


 ある者は、その小さな背中に、自分の過去を見たから。


 長い間いじめられ、友達の一人すら居なかった梅田祥子という少女。


 そんな少女の傍に居座って、自分たちが幸せにしてやりたい。


 そう思ったのだ。


「か、カオリさん……?」


 つと顔を近付けたカオリに、祥子が戸惑った声を上げる。




「ショーコ。あたしらは、もう身内だ。もっと笑って、もっと気楽にしてりゃいい。心配しなくても、あたしも、藍も、チャコも、それから、朱音たちだって。——あんたを放って居なくなったりしないからサ」




「——ッ!」


 安心させるように、腕に力を入れる。


 カオリは、理不尽が嫌いだった。


 不条理に塗れた、が嫌いだった。


 だなんて、そんなたわごとが大嫌いだった。




になっちゃいな、ショーコ。一度吹っ切れたら、気の持ちようも変わるヨ」




「……カオリ、さん……私……ありがとう、ございます——!」


「だっから、礼なんて要らないって」


 一言一言を噛み締めるように、祥子が言った。


 微かに震える肩を抱きながら、カオリは微笑む。


「——あたしが、好きでやってンだからサ」


 祥子のうるんだ瞳と、目が合う。


 光をたたえて金剛石のように輝く双眼に、これ以上、悲しい色はにじませたくない。


 そう思った。


「はっは、いい感じなとこ悪いけどヨ。あたしらだって、お前さんのダチなんだぜ」


「そうです! ショーコの親友なあたしを忘れてもらっちゃ困ります!」


 空気を読んで黙っていた——したり顔でうなづいてはいた——二人が声を上げた。


 それを、宝物を見るような目で、祥子が見遣る。


 それから、何度も頷いた。


 カオリには、それがまた愛しくて。


 それから、昼休み終了のチャイムが鳴るまで。


 祥子はカオリの腕の中で、ずっと幸せそうに笑っていた。




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