第11話 学者大統領・ウイルソン
【第28代ウッドロウ・ウィルソン】民主党(1913 – 1921)2期
ルーズヴェルトがニューヨーク州知事からなら、ウィルソンはニュージャージー州知事から大統領になった。どちらの州も中部群に属する。
1912年、共和党は分裂した。共和党大会が保守派のタフトを大統領候補に再指名したとき、それに飽き足らない進歩派が離脱したのである。その進歩派が担いだのが3年前に退任したが、その後も国家主義者として影響力を持っていたルーズヴェルトであった。進歩派は革新党を結成し「新国民主義」を掲げてこれを基本理念とした。
私的「財産」は常に保護されるべき第1の権利であるが、同時に市民は国家に奉仕する義務をもち、共同体の共通利益にも貢献する義務を持つとし、そのためには連邦政府は利益の調整者として積極的な役割を果たさねばならないとするものであった。企業活動の公開性、所得税および相続税を組み入れた税制改革、労働災害補償制度等の労働者保護政策を掲げたのである。女性の参政権にも熱心であった。
共和党が分裂したことで、三つ巴となり、大統領選挙戦はウィルソンが漁夫の利を得た。ウィルソンはプリンストン大学の学長であり政治学者であった。ルーズベルトの「新国家主義」対してウイルソンは「新自由主義」を掲げた。ルーズヴェルトの唱える忠誠や奉仕という概念より、新しい産業社会において保障される自由や機会の拡大を改革の目標にしたことが国民には新鮮に映ったのである。しかし、実行された政策の大筋はルーズヴェルトの「新国民主義」のスローガンで提案されたプランと大差はなかった。
巨大化していく企業の横暴をいかに規制するかが政治課題であった。シャーマントラスト法の不備を補うクレートン法を成立させ、常設独占規制委員会として「連邦取引委員会」を設置した。関税率の引き下げ、連邦準備法委員会を新設し、中央銀行体制を整備した。上院議院の直接選挙、婦人参政権の連邦制度化等の改革を行った。また労働運動が求めていた法制化にも理解を示し、16年には鉄道労働者に対して労働時間8時間制の法律を成立させた。民主党と労働組織との接近という新しい政治動態を生み出した。革新党は大統領選に敗れたことによって求心力を失ったが、その掲げた政策の多くはウィルソンによって実現された。
外交では共和党政権時代の「棍棒外交」を批判し、「宣教師外交」を主張した。これは、かつて南米においてスペインの宣教師たちがキリスト教を教え込んだように、ウィルソンが至上の価値と考える民主主義を教え込もうと言うものである。ただそれは棍棒で殴るか、聖書で叩くかの違いに過ぎなかった。
今のアメリカ外交の原型はここにあったと言える。結局、中南米外交は変わらず、ウィルソン政権下でハイチが保護国となりドミニカも軍政下に置かれた。南米諸国の反発が高まっただけであった。
ウィルソンといえば、理想主義者で「十四か条の平和原則」を掲げ、国際連盟の提唱者として有名である。その14か条の内容は、ロシア革命でレーニンが発した「無賠償」・「無併合」・「民族自決」に基づく講和を唱えた「平和に関する布告」を意識(パクッタ?)したものであった。ウィルソンはこの原則を講和会議の前提とすることで、国際政治の舞台でアメリカの指導力を見せようとした。しかし、イギリスのロイド・ジョージやフランスのクレマンソーらの老練政治家にしてやられ、敗戦国ドイツに過重な負担を強いる形での戦後処理が行われ、期待された民族自決の原則も適用されたのは東欧・中欧のヨーロッパに限定された。中国やアジア諸国は大きく失望した。
この会議に英国大蔵省会計官として臨席したケインズが、理想主義・学者大統領が老練政治家ジョージやクレマンソーにしてやられていく様子を著書『平和の帰結』で辛らつに描写している。と同時にこれはヨーロッパの再建という大局観を持たない自国第一主義の老練政治家への批判でもあった。
ウィルソンが最後まで拘った国際平和機構の設立はヴェルサイユ条約に取り上げられたが、アメリカ議会はこれを否決した。ウイルソン個人の力がなかったのか、アメリカの力がまだそこまでだったのか、ウイルソンの理想主義は大した成果を上げられなかったのである。
第1次世界大戦が始まったのが1914年6月、アメリカが参戦したのが17年4、月、終結したのが18年11月である。参戦したのは最後の1年と半、3年間は参戦しなかったのである。
ウィルソンはヨーロッパの紛争には介入しないという外交原則にのっとり中立を表明した。ヨーロッパの戦争に巻き込まれることを国民が欲しなかったのが一番である。また、アメリカにはドイツやイタリアからの移民も多く、国内で民族対立が起きることも嫌ったのである。しかし、中立ながら、イギリス・フランス・ロシアの協商側には盛んに武器や物資を援助し、協商国に大きく肩入れした。中立の立場を取ったことでアメリカは、開戦時は約30億ドルあった債務を1915年のうちに完済し、債務国から債権国に転じたのである。
一般にはドイツが無制限潜水艦作戦を参戦理由に挙げているが、戦争反対論者は「これはあくまでも国内世論を喚起するための口実に過ぎないものである」と批判している。
当初、戦争は短期で終わると想定されたのであるが、大方の予想を裏切って戦争が長期化したのである。増大する戦費でイギリス・フランスの返済能力に限界が来たらどうなる。万が一英仏が敗北するようなことがあればどうなる。ロシアでは革命が起きそうな気配である(事実2月革命が起きている)。債権は紙くず同然、経済は大打撃を受ける。それを心配しない政府はない。それが一番の参戦理由と考えるのが妥当ではないか。
潜在的優良取引相手ドイツが壊滅的に破壊されるのもアメリカには利益がないことである。アメリカ参戦により、戦局を大きく変え、早期に講和に乗り出した方がアメリカの利益にならないか。自国の利益を考えない政府はない。ウィルソンの14原則には理想ばかりでない面があったのである。
「ウイルソンは嘘をつかなかった。ただウイルソンの理想主義がウイルソンをだましたのである」と批評した歴史家がいた。
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